本誌・web連動企画 『新宿アンダーグラウンドの残影』 〜モダンアートのある60年代〜 文=ばるぼら S&Mスナイパー4月号の誌面では紹介できなかった「モダンアート」をめぐる新宿とアングラの親和性。現在までつながるいくつかの残影を集めながら、いま再び光をあてる新宿アングラ詳論の決定版! |
60年代の新宿モダンアート
改めて書けば、モダンアートは新宿二丁目にあった小劇場である。初代社長は益岡清志。1967年秋に、当時盛り上がっていたアングラ演劇や前衛舞踏の舞台として作られた。通称“触覚派の穴ぐら”。入場料を払って席につくと、演劇やフィルム上映などをセットで楽しめる。もともと裸の女性がサイケデリックな演出の中で踊る“アングラ・ヌード”と呼ばれる出し物の人気が高かったが、70年代に入るとアングラブームが去って客足が遠のき、完全にストリップが中心となる。演者はストリップとストリップのあいだの幕間に出演した。80年代に入ってから何度か名前を変え、1985年に閉館となる。
モダンアート外観 from 『キネマ旬報別冊 アングラ'68』 |
コンパクトにまとめてしまうとなんともあっけないが、ここに出演したはずの有名無名入り混じったアングラ劇団や芸能人の名前を羅列できれば、この決して有名ではない小劇場の歴史的立場も少しは修正されるだろう。が、当然ながら今から40年も前にあったアングラ劇場の出演者・演目リストなど、残っていない。
ただ、いくつかの史料にモダンアートの名前が見つかった。『演出家の仕事 六〇年代・アングラ・演劇革命』(2006年2月/れんが書房新社)には、天井桟敷が旗揚げしてからまだ一年ほどだった1968年2月に、モダンアートで芝居「新宿のユリシーズ」を公演した思い出話が書かれている(書き手は天井桟敷で演出を担当していた萩原朔美)。
『キネマ旬報6月号別冊 アングラ'68』(株式会社キネマ旬報社)1968年6月10日発行 | ||
『朝日新聞』1968年3月3日朝刊 |
また、当時(1968年3月3日)の朝日新聞で、「蝎座」や状況劇場の花園神社の話と並んでモダンアートが紹介されており、そこには「前衛演劇、八ミリ映画、ヌードに軽演劇などを組合わせた、地下劇場で、午後二時から十一時すぎまでやっている」と説明されている。同じように、『キネマ旬報別冊 アングラ'68』(1968年6月10日発行/キネマ旬報社)には「ストリップから残酷ショウ、アングラ演劇、軽演劇に至るまで一回につき数番組ある。マッカーサーを殺せ、とか、ベトナムまでとび出して戦後と現在をごちゃまぜにした新宿特有の体質がうかがわれる」とも。
その他、『テアトロ』1968年5月号の新劇評を読む限り、3月3日にはモダンアート特集週間が行なわれ、「ガリバー船長ヤポポン公国に上陸す」(作・演出=棟方三郎・村山庄三・長崎朗)という演劇が上演されていたはずである。「スマイル・ショウ<狂った色彩>」(構成・振付=樋口四郎/照明=丸山浩一/出演=マーガレット・純、京マリ、夢みとひ、三鷹ジュン、園山多吉)や、「サイケデリック・アート」(立見忠広)といった、光で演出したサイケデリックなライト・ショーが行なわれていた記録もある。前衛集団の「黒の会」や「薔薇卍結社」も人気が高かったらしい。
『キネマ旬報8月号別冊 アングラ'68 ショック篇』(株式会社キネマ旬報社)1968年8月10日発行 |
当時のプログラムの簡単な流れについては『キネマ旬報別冊 アングラ'68ショック編』(1968年8月10日発行)に下記のように書かれており、益岡社長の言葉によれば「お客はこのどこかで楽しんで頂ければいい」と、何気に盛りだくさんな内容である。
モダンアートのだしものはヌードショー、前衛劇、軽演劇、8ミリ映画、現代の素顔と称する流行もの。以上の五本を、途中にヌードのアクト(お客とのおしゃべり)や、カバーガール的な使い方で目先を変えながら、ひたおしに並べ立てる。だしもの相互の間には、まったくの関係がなく、ごった煮的な羅列に過ぎないが、そう、強いていえば、欲求不満の渦巻きが、全体のトーンといえばトーン。
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構成・文=ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。 |
07.03.11更新 |
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