『Crash』1995年9月号/発行=白夜書房
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青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(11)
1995年前半の青山はとにかくドラッグ&テクノ三昧で、『危ない1号』の編集に時間を取られる中、それ以外の娯楽を消費している暇がなかったのだと思われる。それほどこの2つが楽しかったのだろう。しかし1995年後半に一転。1996年3月号で唐突に連載は最終回を迎え、これからの姿勢の方向転換を宣言する。1995年前半までが、青山の全盛期、怖いものなしの時代だったと言っていいだろう。
『Crash』1995年1月号
本来1995年2月20日発売予定だった『危ない1号』創刊号の宣伝も兼ねてか、それともネタの使いまわしか、ドラッグネタのみ。LSDマラソンと称したLSDの効き目を持続させるための方法(LSDは一旦抜けると丸2日効果がないという)について「ここに紹介した話って、その気になれば誰でも体験できるんですよ。もちろん、全文、他人から聞いた話ですけど(わざとらしいか……)」と書きつつ紹介。加えて、伊豆で行われた野外レイヴのレポート記事。どこからともなくFAXで情報がまばらに伝えられ、指定場所に行くと車でさらに移動、ついた先にはDJや売り子が一杯で好き勝手に踊っている、という現場は、今は流石に絶滅状態だろうか。
『Crash』1995年2月号
「8冊の書物からピックアップした「ドラッグ体験」描写 いったいどれがホンモノか?──に関する安易な感想文」は、年末進行により時間がなく『ダ・ヴィンチ』でやったネタの使いまわし。小説のドラッグ描写のリアリティについて。青山がこれはいいとしたのはウィリアム・バロウズ『ジャンキー』とジャン・コクトー『阿片』。村上龍『エクスタシー』については「性欲の発露にこだわったのは感心」としつつ「右手はピクリとも動かなかった」という描写に対し「エクスタシーはダウナーズ(抑制剤)じゃないんだから、こんなことはありえないはず」とマイナス評価。
『Crash』1995年3月号
とにかくドラッグネタが続く。「カラダにやさしい、ふたつのハード・ドラッグ」はLSDとエクスタシーの安全性を改めて解説。「ドラッグがなくてもダイジョウブ!?大音量でドラム・クラブにハマる快感」ではクラブ系雑誌のタブーである「ドラッグについて語ること」「ドラッグについて書くこと」について言及。ドラッグとテクノの関係は切っても切れないものであるのに、それを書けない日本のメディアは限界があるね、ということをマイルドに語っている。その他、ドラッグネタが続きすぎたので唐突にルワンダ内戦について。
『Crash』1995年4月号
「ナチのガス室はなかった」という記事のことで『マルコポーロ』が廃刊になった件について「何よりも僕が興味を覚えたのは、相も変らぬユダヤ人の民族イメージへのこだわりである。なぜ、彼らは、それほどまでに“犠牲者”であることに執着し続けるのか?」と語り、世の中への最重要の武器として「同情集め」があることを指摘する。その他、シャブについて、エクスタシーが手に入らない日本人は置いてけぼり、など。後者は『Quick Japan』3号掲載の「テクノ・レボリューション 俺たち日本のガキは仲間外れ!?」と似たような印象ではある。プロフィールには「次なる展開に向けて、2週間の休養を決意。具体的な内容は未定だけど、とりあえず春以降の活動に注目して下さいネ」とあるが、どんな計画だったのだろうか。
『Crash』1995年5月号
締切直前のため急遽対談形式。ゴア系ハッピー・トランス、チル・アウト、ミニマル・ミュージックなど、ドラッグとテクノしか書くことないのかと言わんばかりの内容。
『Crash』1995年6月号
「聴き始めて半年の未熟者ではありますが──最近ハマッてる新旧テクノCD10枚」と題しつつ、全部で32枚のテクノCDを紹介。テクノにハマッたことで変わったのは音色についての興味のあり方で、「風呂場で頭洗ってたら、頭皮を手指で擦る「シャカシャカシャカシャカッ」って音にハマッちゃって、それが気持ちよくって、30分近くもシャンプーし続ける始末。シラフだったんですけどねぇ、そんときは……」とかなりのレベルに達している。
『Crash』1995年7月号
時間がなさすぎて村崎百郎に代筆を頼んでいる。ムッファー!!(※原稿内に頻出する叫び声)
『Crash』1995年8月号
延期が続いていた『危ない1号』創刊号がついに発売ということでその告知。ほとんど内容の羅列だが、「知識より体験」「気持ちよければそれでいい」が売りの本邦初のドラッグ本だったことが改めてわかる。売れたら月刊になる予定だったというが、このクオリティの維持は難しかっただろうと思う。
『Crash』1995年9-12月号
予告なしの4ヶ月の休載。6月24日に大麻取締法違反で逮捕されたためである。保釈されたのは8月末。
『Crash』1996年1月号
再開したが逮捕については触れていない。1996年1月10日にロフト・プラスワンで行われる「鬼畜ナイト」のお知らせと、シカゴテクノの流行について。他に書籍『ジ・オウム』(太田出版)を小さく紹介。
『Crash』1996年2月号
「実は、僕、思うところあって昨年の6月、35歳の誕生日を機にきっぱりドラッグと縁を切ったのである」。もちろん嘘であったことは現在分かっているのだが、6月24日に逮捕され、3日後の27日に誕生日を迎えたことで、少しは反省したことがあったのかもしれない。そうした悟りコラムの他、テクノとドラッグ漬けだった時期に気付いた人間にとってのリズムの重要性について、個人情報垂れ流しの月刊誌『じゃマール』のトバシっぷりについて。
『Crash』1996年3月号
1982年10月から続けてきてNo.150。この回でついに最終回。フレッシュ・ペーパー連載のこれまでの歴史を振りかって分析し、ドラッグは最初から書き続けているが、その他の傾向として「ギャグ/グロテスクもの」「ホラー映画」「心理学/思想ネタ」の3つのテーマをあげている。しかしこれら「エロ/グロ/ナンセンス」については「もう飽きた」とのことらしく、今後はプロデュース&編集をメインに活動を続けるという宣言がある。「僕自身は、ドラッグ体験のさらに次のレベル「イメージ&リズム」を基調とした「死ぬまでハイでいられる思想(気づき)」の創造を評論なりエッセイなり小説なりで追及・展開していく心づもりです。既成の宗教や思想、心理学、それから大脳分子生化学に遺伝子研究と、学際的な探求が要求されるのでかなり時間はかかると思いますが、「エクスタシー思想」の考案こそが僕に課せられた使命だと思ってますんで(俺って、もしかして狂ってる?)、まあ、気長に、そして大いに期待して下さい」。
青山が追求してきたのはまさに「暇つぶし」であり、その重要なファクターが「快楽」だった。暇つぶしのためにドラッグをやり、テイストレスなジョークネタを探し、ホラー映画を観て、テクノにハマる。しかし逮捕をきっかけに大きな割合を占めていたドラッグについて大っぴらに語れなくなったゆえに、別の快楽を探すことになった青山は、その行く末を人間の精神性と身体性(イメージ&リズム)に定める。しかしその快楽を分かりやすく伝える言葉を見つけないまま、逝ってしまった。もしかしたらこれらではドラッグを超える快楽は得られないと気付いてしまったのかもしれない、とも考えられるが、答えは永遠にわからない。
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青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(11)
1995年前半の青山はとにかくドラッグ&テクノ三昧で、『危ない1号』の編集に時間を取られる中、それ以外の娯楽を消費している暇がなかったのだと思われる。それほどこの2つが楽しかったのだろう。しかし1995年後半に一転。1996年3月号で唐突に連載は最終回を迎え、これからの姿勢の方向転換を宣言する。1995年前半までが、青山の全盛期、怖いものなしの時代だったと言っていいだろう。
『Crash』1995年1月号/発行=白夜書房 |
本来1995年2月20日発売予定だった『危ない1号』創刊号の宣伝も兼ねてか、それともネタの使いまわしか、ドラッグネタのみ。LSDマラソンと称したLSDの効き目を持続させるための方法(LSDは一旦抜けると丸2日効果がないという)について「ここに紹介した話って、その気になれば誰でも体験できるんですよ。もちろん、全文、他人から聞いた話ですけど(わざとらしいか……)」と書きつつ紹介。加えて、伊豆で行われた野外レイヴのレポート記事。どこからともなくFAXで情報がまばらに伝えられ、指定場所に行くと車でさらに移動、ついた先にはDJや売り子が一杯で好き勝手に踊っている、という現場は、今は流石に絶滅状態だろうか。
『Crash』1995年2月号/白夜書房 |
「8冊の書物からピックアップした「ドラッグ体験」描写 いったいどれがホンモノか?──に関する安易な感想文」は、年末進行により時間がなく『ダ・ヴィンチ』でやったネタの使いまわし。小説のドラッグ描写のリアリティについて。青山がこれはいいとしたのはウィリアム・バロウズ『ジャンキー』とジャン・コクトー『阿片』。村上龍『エクスタシー』については「性欲の発露にこだわったのは感心」としつつ「右手はピクリとも動かなかった」という描写に対し「エクスタシーはダウナーズ(抑制剤)じゃないんだから、こんなことはありえないはず」とマイナス評価。
『Crash』1995年3月号/白夜書房 |
とにかくドラッグネタが続く。「カラダにやさしい、ふたつのハード・ドラッグ」はLSDとエクスタシーの安全性を改めて解説。「ドラッグがなくてもダイジョウブ!?大音量でドラム・クラブにハマる快感」ではクラブ系雑誌のタブーである「ドラッグについて語ること」「ドラッグについて書くこと」について言及。ドラッグとテクノの関係は切っても切れないものであるのに、それを書けない日本のメディアは限界があるね、ということをマイルドに語っている。その他、ドラッグネタが続きすぎたので唐突にルワンダ内戦について。
『Crash』1995年4月号/白夜書房 |
「ナチのガス室はなかった」という記事のことで『マルコポーロ』が廃刊になった件について「何よりも僕が興味を覚えたのは、相も変らぬユダヤ人の民族イメージへのこだわりである。なぜ、彼らは、それほどまでに“犠牲者”であることに執着し続けるのか?」と語り、世の中への最重要の武器として「同情集め」があることを指摘する。その他、シャブについて、エクスタシーが手に入らない日本人は置いてけぼり、など。後者は『Quick Japan』3号掲載の「テクノ・レボリューション 俺たち日本のガキは仲間外れ!?」と似たような印象ではある。プロフィールには「次なる展開に向けて、2週間の休養を決意。具体的な内容は未定だけど、とりあえず春以降の活動に注目して下さいネ」とあるが、どんな計画だったのだろうか。
『Crash』1995年5月号/白夜書房 |
締切直前のため急遽対談形式。ゴア系ハッピー・トランス、チル・アウト、ミニマル・ミュージックなど、ドラッグとテクノしか書くことないのかと言わんばかりの内容。
『Crash』1995年6月号/白夜書房 |
「聴き始めて半年の未熟者ではありますが──最近ハマッてる新旧テクノCD10枚」と題しつつ、全部で32枚のテクノCDを紹介。テクノにハマッたことで変わったのは音色についての興味のあり方で、「風呂場で頭洗ってたら、頭皮を手指で擦る「シャカシャカシャカシャカッ」って音にハマッちゃって、それが気持ちよくって、30分近くもシャンプーし続ける始末。シラフだったんですけどねぇ、そんときは……」とかなりのレベルに達している。
『Crash』1995年7月号/白夜書房 |
時間がなさすぎて村崎百郎に代筆を頼んでいる。ムッファー!!(※原稿内に頻出する叫び声)
『Crash』1995年8月号/白夜書房 |
延期が続いていた『危ない1号』創刊号がついに発売ということでその告知。ほとんど内容の羅列だが、「知識より体験」「気持ちよければそれでいい」が売りの本邦初のドラッグ本だったことが改めてわかる。売れたら月刊になる予定だったというが、このクオリティの維持は難しかっただろうと思う。
『Crash』1995年9月号/白夜書房 |
予告なしの4ヶ月の休載。6月24日に大麻取締法違反で逮捕されたためである。保釈されたのは8月末。
『Crash』1996年1月号/白夜書房 |
再開したが逮捕については触れていない。1996年1月10日にロフト・プラスワンで行われる「鬼畜ナイト」のお知らせと、シカゴテクノの流行について。他に書籍『ジ・オウム』(太田出版)を小さく紹介。
『Crash』1996年2月号/白夜書房 |
「実は、僕、思うところあって昨年の6月、35歳の誕生日を機にきっぱりドラッグと縁を切ったのである」。もちろん嘘であったことは現在分かっているのだが、6月24日に逮捕され、3日後の27日に誕生日を迎えたことで、少しは反省したことがあったのかもしれない。そうした悟りコラムの他、テクノとドラッグ漬けだった時期に気付いた人間にとってのリズムの重要性について、個人情報垂れ流しの月刊誌『じゃマール』のトバシっぷりについて。
『Crash』1996年3月号/白夜書房 |
1982年10月から続けてきてNo.150。この回でついに最終回。フレッシュ・ペーパー連載のこれまでの歴史を振りかって分析し、ドラッグは最初から書き続けているが、その他の傾向として「ギャグ/グロテスクもの」「ホラー映画」「心理学/思想ネタ」の3つのテーマをあげている。しかしこれら「エロ/グロ/ナンセンス」については「もう飽きた」とのことらしく、今後はプロデュース&編集をメインに活動を続けるという宣言がある。「僕自身は、ドラッグ体験のさらに次のレベル「イメージ&リズム」を基調とした「死ぬまでハイでいられる思想(気づき)」の創造を評論なりエッセイなり小説なりで追及・展開していく心づもりです。既成の宗教や思想、心理学、それから大脳分子生化学に遺伝子研究と、学際的な探求が要求されるのでかなり時間はかかると思いますが、「エクスタシー思想」の考案こそが僕に課せられた使命だと思ってますんで(俺って、もしかして狂ってる?)、まあ、気長に、そして大いに期待して下さい」。
青山が追求してきたのはまさに「暇つぶし」であり、その重要なファクターが「快楽」だった。暇つぶしのためにドラッグをやり、テイストレスなジョークネタを探し、ホラー映画を観て、テクノにハマる。しかし逮捕をきっかけに大きな割合を占めていたドラッグについて大っぴらに語れなくなったゆえに、別の快楽を探すことになった青山は、その行く末を人間の精神性と身体性(イメージ&リズム)に定める。しかしその快楽を分かりやすく伝える言葉を見つけないまま、逝ってしまった。もしかしたらこれらではドラッグを超える快楽は得られないと気付いてしまったのかもしれない、とも考えられるが、答えは永遠にわからない。
(続く)
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