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こじままさきインタビュー part2
21世紀を迎えてはや幾年、はたして僕たちは旧世紀よりも未来への準備が整っているだろうか。乱脈と積み上げられる情報の波を乗り切るために、かつてないほどの敬愛をもって著者が書き下ろす21世紀の青山正明アーカイヴス!
■自分はそこまでの境地には行ってない
――青山さんと実際に会ったのはいつになるんですか?
こじま:僕は先に村崎百郎さんに会っていて。その時に青山さんに影響受けてるんだって話したら、じゃあ一回会わせるよって話になって、仕事とは関係なく、3人で新宿の喫茶店で2〜3時間お話しました。会った瞬間に他人とは思えないような雰囲気がありました。
――話した内容は流石に覚えてないですよね。
こじま:ほとんど覚えてないですね。でも自分はそこまでの境地には行ってないわと思ったのは、あの人はロリコンを公言してますが、「これくらい人生を送ってると、もう子供は男でも女でもどっちでもいいんだよねー」って言ってて、「この人すげえな」って思った記憶があります。超楽しそうにしてたのが印象的です。『BD』の15号が出る出ないみたいな話をしてたんで、94 年末くらいかな。ちなみに青山さんはロリコンじゃないと思いますよ、そんなに。単に女好きで、子供も守備範囲というだけで。青山さんがそこで語るべきところは何もない、と僕は思います。
――どちらかと言えばマザコンだと皆さんおっしゃいますが。
こじま:でもマザコンって性的な欲望とはちょっと違いますよね。経済的に自立してるかどうかではなく、大人じゃない、子供がそのまま年喰っちゃった、ということの延長じゃないかと。大人になっても少年の心を持っている、って話ではなくて、それに達せてない、モラトリアムのまま。モラトリアムっていうのは青山さんを語る時のキーワードになると思う。
――ちなみに村崎さんの印象は?
こじま:村崎さんはゲスな工員キャラを作ってるけど、行間からインテリジェンスがにじみ出てると思うんですよ。頭がいいだけじゃなくて知識もあるんですよね、教養。青山さんは教養的なものはないと思うんですよ。だから同じようにクレバーな感じでも対照的で。正反対だけど仲が良くて、すごく気のあう感じだったんだと思いますよ。いい人ですよ、ってこんなこと言うと営業妨害ですけど(笑)。『BD』を出した当時、色んなメディアに紹介してもらったんですが、村崎さんが『危ない1号』に小さく書いてくれた文章が一番グッときたんですよね。信頼してます。青山さんが亡くなってからは連絡は取ってないんですが、でも自分の中では何十年会ってなくても信頼関係は揺るがないと思ってるんで。誰だっけって言われたらショックですけど(笑)。
■鬼畜ナイトの頃
――こじまさんは1996 年1 月10 日、新宿ロフト・プラスワンで開催された「『危ない1号』鬼畜ナイト」にゲスト出演しています。これに誘われたきっかけは?
こじま:あんまり覚えてないですが、たぶん村崎さんからですね。もしくは、僕と会ったことを覚えていたとは思うんで、どうですかってラインナップにあがったのかもしれないし。
――その時の様子はあとで『別冊危ない1号』にまとまっていますが、『BD』が青山さんの影響下にあることを率直に語っていました。ところで一部、伏字になってる箇所がありますよね。
こじま:青山さんの『Hey!Buddy』の連載で、ミニコミを作る時はこうしとけ!っていうコラムがあったんです。『BD』はそれを忠実に守っていて、何かというと、創刊号に「2号」ってつけて、2号に「5号」ってつけるんです。そうすると本当はまだ2冊なのに「結構頑張ってる雑誌だね」ってなる。これが青山さんのネタ。でもそれをみんな実践してると思ってたら世界で俺だけで、青山さんに爆笑されましたけどね。まんまと狙いはあたって、『BD』が一般誌で取り上げられるようになってから「(創刊号や3、4号を)どうしても欲しいので、コピーでいいんでお願いできませんか」って手紙がきたりしました。それは言ってきた人にだけ「こういう理由でないんです、ご安心ください」って教えて、あとは誰にも言わず、ずっと在庫切れで通してました。
――まさにバックナンバーのページを見て、ずっと古本屋で探してました(笑)。「復刻できないほどヤバいネタなのか?」と。
こじま:まんまと(笑)。最初はバックナンバー紹介のページにコンテンツだけ載せようかと思ってたんだけど余力がなくて。
――『鬼畜ナイト』はイベントに出演した流れで青山さんからムックのデザインを頼まれたんですか?
こじま:いや、あの本は木村重樹さんが仕切ってたんです。注釈も全部木村さんが書いてた気がするんで。青山さんもチェックはしたと思うんですけど、青山さんがやってたら出ないですよ(笑)。進行管理ができない人だから。木村さんは実務の人なんで。僕は青山さんと仕事したことはないんですよね。名刺は頼まれてデザインしましたけど。
『鬼畜ナイト』のあとに出た『別冊危ない1号Vol.2「格闘界」ケンカ列伝』(1996年)も東京公司の別の人からの仕事です。青山さんはもうその頃はグダグダになってたと思います。
――イベントの時はまだ普通でしたか?
こじま:その時はまともでしたね。自分は薬をやらないのでわからないんですけど、イっちゃってる感じもなかったし、鬱っぽいところも、自分が見た範囲では全然なかったし。でもその後に東京公司の人に会って話を聞いたら、どんどんひどくなっていった、ってことでしたけど。
――青山さんからこじまさんのデザインに対して何か言われたりは?
こじま:まったくそういう表層について興味がなさそうだったんで、いいも悪いもなにもなく、スルーでしたね。
(次回に続く)
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「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/
10.06.06更新 |
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