毎週火曜日更新、新連載! 海外レザーフェティッシュ見聞録 アメリカン・ボンデージの風 第3回 ガールフレンドとボンデージ・プレイ 文=Mikey 皮革拘束のみに絞った日本国内初のボンデージ・サイト「Fetish Stage」。 縄拘束とは違った魅力を醸し出すレザー・ボンデージ。そこにこだわって映像作品を撮り続けてきたMikeyさんがお届けする、アメリカでのボンデージ体験記です。 |
20歳の秋はバイトに入れ込んでいました。
バイト先のイベント会社にはコンパニオンの女性たちが登録されていて、夏が終わるタイミングで、彼女たち総勢20人ほどを集めて私がメインの幹事を担当してコンパを開催することに。
そこで女性の幹事役の子と密なヤリトリがきっかけで幹事同士が交際することとなったのでした。
ノンケであろうと思っていた2歳年上の彼女です。
しかし付き合って2カ月目、たまたま雑談をしているときにマゾ性を持っていることを彼女自らカムアウト。
どっちかというとサドっぽい容姿で姉御肌な彼女だったので、これには驚きました。
こちらも返す刀で「アメリカン・ボンデージを実は研究してて、ずっと女性を拘束してみたい気持ちを抱いていたんだ……」と恥ずかしながらカムアウト。
そこからはお互いフルスロットルで本能煩悩剥き出しな交際へとセカンドステップ。
一緒に六本木の「セビアン」や新宿の「マルゴ」へ皮革拘束具を買いに行き、常にプライオリティはセックスよりもボンデージ・プレイ、というそんな日々でした。
ロープで身体を拘束しないというコンセプトのスタイルは、この頃に確立されたものです。
また私は高校時代より8ミリビデオカメラで自主映画を撮っていたのですが、
彼女とのボンデージ・プレイに明け暮れる日々を過ごすうちに、自分でもボンデージ映像を撮ってみたいという欲求がわいてきました。
私はついにある日、彼女に拘束具を施して映像を撮らせて欲しいと恐る恐るお願いをしました。
すると「アイマスクや目隠しをした形で素顔がわからなければ構わないけど」という返答。
それからというもの、アメリカで購入してきた「カリフォルニア・スター」や「ハウス・オブ・ミラン」、さらには'80年代のボンデージクィーンことサリー・ロバーツの「アローフィルムズ」や「ハーモニーコンセプツ」のVHSビデオを観ながら、似たような映像や劇中で展開されるアートワークにインスピレーションを受けたオリジナル映像を作ったりと、プライベートでボンデージビデオを撮りまくる日々が始まったのでした。
よく考えてみると、アイマスクを常時使う自分なりのスタイルもこの時代ですでに確立されていたような気がします。
バイトから映画業界にヘッドハント!
イベント会社でのバイトは土日祝日が絶対に休めません。
それは幕張メッセや晴海国際展示場などで催し物が開催されている期間中の一般開放日だったりするからです。
彼女との付き合いはメインが平日夜からで、バイトとはいえ責任感ある仕事を任されるようになってくると、少しずつ会うタイミングが減っていきました。
そんなある日、オーディオヴィジュアル関係のイベントが開催された際、自主映画を撮っていたことで映像機材などを趣味で勉強していたのが功を奏し、バイトのくせにチーフを任される異例の抜擢。
幸いなことにブースを主催するクライアントからのウケもよく、イベント終了後の打ち上げでの自己紹介に「実は僕バイトなんで皆さん、あまり頭を下げないでください。恐縮しちゃうんで」と説明。すると「映画の仕事に興味ないかい?」とクライアントからヘッドハントの声が掛かりました。
その声を掛けてくれたクライアントの方は実はその会社の社長さんで、この方の口利きで映画関係を取り扱う会社で勤めるようになり、映画のパンフレットやチラシからポスターまで作成したり、邦画の撮影現場へ出向きメイキング映像を撮るなど、多忙ながらも多岐にわたった仕事を任される充実した日々を過ごしたのでした。
しかしながら、一方で働くことが楽しくなり始めると彼女に会えない日々が続きました。イベント会社を辞めたことで彼女とは次第に疎遠となり、結果的に別れを切り出してしまい、暫くボンデージから遠ざることに……。
映画関係の仕事は短気集中型で、忙しい波が押し寄せるのですが、暇なときは仕事がありません。
しかし、会社は暇にはさせてくれない。
こまごました仕事も与えられ、会社近辺のカプセルホテルへ連泊させられたり、あきらかに20代前半からワーカーホリックな生き方を強制的に学ばされていった若手時代でした。
それなりにキツかったけど、ひとつの仕事が終わった後の解放されたかのような達成感が、自分なりのアイデンティティでもあったのです。
(続く)
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MIKEY インディーズのレザー・ボンデージ作品レーベル「TEAM MIKEY」を主催する映像作家。 テレビの特撮番組でフェティッシュな拘束の世界に目覚め、Vシネマ撮影の仕事をきっかけに渡米。アメリカのレザー・ボンデージ世界に触れ、自分でも撮影してみたいと考え、「TIEM MIKEY」を結成。ウェブサイト「Fetish Stage」にて次々と映像作品を発表し、皮革の拘束具にこだわった独特の世界観を築き上げる。 「Fetish Stage」=http://www.team-mikey.net/ |
08.01.29更新 |
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