WEB SNIPER Cinema Review!!
パリ先行上映で熱狂的な支持を受けたR-18指定禁断の問題作
様々な性的少数者、性倒錯者、偏執狂的フェティシストなど、一般社会に生きながら世間の常識を逸脱した者たちを真正面から捉えた衝撃のドキュメンタリー。2015年1月10日~新宿武蔵野館他全国ロードショー
私は昔、変態に憧れていた。好きなものに対して文字通り体を張って向かっていけることが、そこまで何かに情熱を持てることがうらやましかった。「好き」の対象が性的なものだというのも、自分の女性性をうまく許容できずにいた人生の不完全燃焼感にはまった。
そして自分自身もSMにたずさわるようになってから十数年。慣れというのは怖ろしいもので、今はもう大抵の変態を見てもそれほど心が動かなくなってしまった。だが本作を観たら、そんな若かりし頃の憧憬の感情がよみがえってきた。
本作は『Pak-Poe 朴保』『未来世紀ニシナリ』などを撮ってきた映画監督・田中幸夫が、主に関西を拠点に生きる性的少数者、性倒錯者、偏執狂的フェティシストなど、世間の性的な常識を性的な範囲に限り逸脱した人々を捉えたドキュメンタリー映画だ。二十人近いそれらの人々の活動や日々の生活にカメラを向けつつ、自身がなぜ、世間からすると異常・変態としか見られないその地点に着地したのかをインタビューしている。
性的な、という部分を強調したのは、彼らは皆、性的な逸脱を除けば至って温厚で、じつに常識人に見えるから。みずからの性癖やフェティシズム、また、そこに至った遍歴を語る姿には、変態と聞いて思い浮かぶような狂気や熱気はなく、じつに淡々と、堂々としている。開き直った者特有の強さと静けさが、そこにはある。そうだ、私は変態のこの強さと静けさが好きなのだった。
撮影は淀川河川敷でのパーティから始まる。主催は映画全編を通して登場し、ナビゲーター的な存在となっている大黒堂ミロだ。大黒堂ミロは自身もゲイで、パーティに集まるのは彼がかつて開いていた変態バーの常連だ。
難民キャンプの掘っ建て小屋が並ぶ中で、ホームレスらしき男性が飼いアヒルにコガネムシの幼虫を食べさせている。そんなところに、服の下にギチギチに縄を仕込んだ女性や、そのご主人様の男性や、フィストファックされるのが好きだという男性や、ピアスが好きで乳首や性器に開けているという男性が集まって、缶ビールや酎ハイを片手にとりとめもなく、普段は絶対に話すことのできない性癖の話に花を咲かせる。捨て犬だというビーグルは、アヒルと追いかけっこを始める。
ピアスマニアの男性は、舌のピアスを見え隠れさせながら言う。
「男性器に開けるような人は相当変な人で、それは全然違う世界の人だと思っていた。だけど自分は会社員なんで、ピアスは見えないところに開けるしかない。でも、乳首とか限られてますんでね、見えないところは。そのうちだんだん開けるところがなくなっていって、それで、性器もいってみるかと」
みずからの性や衝動にときには威嚇され、ときには持て余しながら生きてきて、結果手に入れた絶妙なバランス感覚と、他者や異種に対する力みのない包容力。冒頭のシーンは、この映画全体の象徴となっている。
続いて、大阪のゲイスポットを紹介しつつ半生を振り返る大黒堂ミロ、女性崇拝やフェティシズムを仏教画のようなモチーフで描いたときのことを語る絵師の東學、生まれつきの血管腫で一度見たら忘れがたい容姿を持ちながら、みずからの男性性を拒否して女性として生きるあずみ、女性の排泄行為や、脳のうねりと女性器の形状の類似性にどうしても惹かれてしまうという鉛筆画家の林良文など、一癖あるというにはあまりにも業の深そうな人々が次々と登場する。
私は非常に健康的なんですよ、と林良文は言った。
「男性が女性の排泄行為に興味を感じること自体は自然だと思う。ただそれを体に塗りつける、食べるところまでいくと病気になるから、もしそういうことをしたら衛生的な意味では変質者になるのだろうけど」
そんなに堂々と語られると、変質者とか変態とかいうのはどこに線引きがあるのかよくわからなくなる。
二十人近い人々のインタビューを見ていると、中には「この人のいうことはやけによく理解できるなぁ」という出演者が何人か出てくる。これは私がSMにたずさわっていたからという理由だけではないだろう。
程度や種類の差はあれ、人間はおそらく何かしらのフェティシズムや、マイノリティな部分を内包して生きている。自分のそんな部分に響く出演者が、これだけの数がいればきっといる。この映画は自分の中にある偏執や異端に向き合うにはどうしたらいいのかを先達に教えてもらうような、あるいは共感できる相手と語り合うような、そんな切り口で見るのも面白いのではないかと思う。
ちなみに私が「うん、わかる」と膝を打ちたくなったのは、ドラァグクィーンのDiedrich。
人ではないものへの憧れ、性別が曖昧なものへの憧れが昔からあったというDiedrichは、「通常の人間の枠から外れたい」と願い、行動し続けた結果、ドラァグクィーンという生き方に辿り着いた。
Diedrichは言う。
「もともと性別自体、錯覚みたいな考え方ではないかと思っている」
カメラは大阪、京都、神戸、フランスを巡り、最後はSM夫婦結婚十周年記念パーティの中へ入っていく。
「いつの間にか変態なのに結婚しちゃって」
いくつもある彼らの生き方の答えのうち、最後にこのパーティを持ってきたことが、何だか普通にロマンティックだなぁと思った。
文=早川舞
普通に生きようとするなら それだけで十分狂っている。
『ITECHO 凍蝶圖鑑』
2015年1月10日~新宿武蔵野館他全国ロードショー
関連リンク
映画『ITECHO 凍蝶圖鑑』公式サイト
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