WEB SNIPER Cinema Review!!
ある中学校で実際に起きた事件を下敷きにして放たれる「最凶の教育映画」!!
郊外の中学校で教師を務めるサワコ(宮田亜紀)が妊娠した。そのことに異常な反応を示したのは、複雑な家庭環境に育ったミヅキ(小林香織)たちのグループ。彼女らは「先生を流産させる会」を結成し、サワコの給食に異物を混入させるなどの悪質な嫌がらせを繰り返していく――。かつて愛知県の某中学校で実際に起きた事件をフィクションとして再構成、内藤瑛亮監督が新たな問題を突きつけてくる異色のドラマ!!渋谷ユーロスペースにて公開中 他全国公開!!
映画の中で、「先生を流産させる会」を結成するのは5人です。メンバーは映画が進むにつれそれぞれ、サムい教師との仲良しサークルや、それぞれの家庭へと回収されていくのですが、彼女だけは最後まで自分でつくった「先生を流産させる会」以外の場所がない。彼女は中学生なのに、両親の影も全く出てこないし、家でどんな生活をしてるのか、学校がない時何をしているのか、バックグラウンドが全く分からない。
もうだんだん『遊星からの物体X』とか、『ゼイリブ』みたいに、彼女は我々と同じような形をしているけれども本当は別の生き物、それこそ教室に紛れ込んできたエイリアンなんじゃないかという気すらしてくるんですが、それって差別的な見方でもあります。
一方、この映画の中では、彼女がハーフであることについての言及はまったくない。彼女はただそこにいるだけで、大人からも、「恐るべき子供たち」の仲間からも、まったく外見の違いについては意識されていない。だから余計、観ている自分だけが彼女の外見の差に気づいているような気分になってくる。今回、監督のトークショー付き上映会に行って来たので「なぜ、彼女がハーフであるということが映画の中で一度も言及されないんでしょうか?」と監督に質問してみました。
答えとしては、実はそもそも「台本の段階では、そういう設定はなかった」ということだったんですが、そこには重ねて、「舞台を地方都市にしていて、地方都市は海外から来た方が多い。だから、普通に学校にハーフの子とかもいるよなという実感(の反映)です。そしてリアリティとしてわざわざ説明する必要もないだろう」という監督の考えがありました。
この映画の中では、明らかに(言動と外見の二点において)異質な彼女は、まず外見の差異についてまったく無視されている。というかそれは、髪型の違いとか、背が低いとか高いみたいなもので、この映画の町(例えば豊田市のような在日外国人や、2世、ハーフの多い町)ではわざわざ意識にのぼることでもない。だから、むしろこの首謀者の子が「外見で浮き出して見えてしまう」この映画を観ている人間(私のことです)こそが、まずこの映画の設定、出てくる町や、「先生を流産させる会」のメンバーによって教育されることになります。
その上で彼女は、その行為においても、ほかの生徒と違う。でも彼女の担任である宮田亜希演じる女性教師は、そこでも一歩も引かないんですね。やっぱり、全くほかの生徒と同じようにこの首謀者の女の子に接していって、それも最後まで積極的に接し続けていく。だから観ているとウザい女の先生なんですが、でもそれこそ「教育」なんだという。この映画はそんな、二重の意味での教育映画になっていました。
本作はそもそも、実際におきた事件を元にしてつくられています。何年か前に日本の中学校で、席替えの結果に不満をもった男子生徒が、妊娠している担任の女性教師の給食に異物を混ぜたり、イスに細工したりするという事件があった。その際に彼らが結成したのが、その名も「先生を流産させる会」でした。実際にその教師が入院したとかいうわけでもなく、混ぜたものもチョークの粉とか、他愛もないといえば他愛もない事件ではあったんですが、なによりその名前のインパクト。そして稚拙ながらそれを実際に行動に移したという、事実の不気味さで全国ニュースになった。
監督自身、題名にしたこの言葉こそが本作の出発点と語っていたのですが、たしかに「先生を流産させる会」という日本語は凄い。そしてセンスがいい。そこにはユーモアがあります。
この名前は「先生を流産させる」という発想と、「~会」の2つからできていますが、「~会」というこのアナクロで、時代遅れな名前の付け方は、高校生たちによる大人のカリカチュアでしょう。「田中太郎君を首相にする会」とか、「行動する市民の会」とかなんでもいいですが、その名前の付け方には、何か音頭をとって他人をどうにかしようとする中高年がつけそうなニュアンスがある。または「~の会」とつけるだけで、まるでそれが多様な意見の一つとして、民主主義によってあらかじめ認められたものであるような気がしてくる。その型を、いわば逆手に取ったこの「先生を流産させる会」というのは、だから非常に土着的な、怖いとか、不謹慎というよりも、よりこちらにまとわりついてくるような恐ろしさを持っています。そしてそこにはやはり「不敵さ」もひそんでるわけです。それは「恐るべき子供たち」に必須の条件です。
「先生を流産させる」という発想の方ではこの映画、公開前に「実際の事件を元にしていながら、男子が起こした事件の犯人を女子にすり替えた」ということで炎上しました。いわばこの悪意を「男性vs女性」という視点から捉えた批判なんですが、「教育」をテーマにした本作は、この事件を「大人vs子供」という視点で捉えてつくられている。「『先生を流産させる』という言葉のまがまがしさに迫るために、『先生』ではなく『妊娠』自体を憎んでいるキャラクターに設定したかった」と監督は述べていますが、妊娠している大人に対する、小さい人間としての子供。それで本作の生徒は、体に連続性のある女子になりました。
そして副作用というかその結果、この映画には徹底して男性が不在なんですね。これがまたおもしろい。男はほぼ3人、担任の上司と、担任の同僚教師、そしてちらっと映る警備員の3人くらいしかいませんが、全員まったく居ても居なくていい存在として描かれている。特に、同僚の「生徒とトモダチ目線」教師はよかったですね。担任の女教師との比較として、「教育をしない教育者」として出て来ているんですが、彼の「あらかじめ対話が断念された対話」が永遠くり出される水泳指導のシーンはすごかった。
本作で驚いたのはしかし、「先生を流産させる会」を演じているメンバーの演技でした。全員、演じるのは初めてということでしたが、セリフではない、表情の演技。それも怒りとか悲しみとかじゃなくて、「場の空気に流される」表情とかを演じていて、これが凄くうまかった。この演技がこの映画の完成度をぐっとあげていました。
不敵なのも女、それを教育するのも女、モンスター・ペアレントとして怒鳴り込んで来るのも女で、監督だけ男。女だけで回っていく日本を、これから男は眺めていくだけなんでしょうか。
文=ターHELL穴トミヤ
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ヤンク゛・オブ・コンペティション
ノミネート作品、待望の劇場公開へ!!
『先生を流産させる会』
渋谷ユーロスペースにて公開中 他全国公開!
関連リンク
映画『先生を流産させる会』公式サイト
関連記事
ウディ・アレンが20世紀の偉大な芸術家たちのセリフを書きまくる! ダリが最高! 映画『ミッドナイト・イン・パリ』公開中!!