WEB SNIPER Cinema Review!!
「第7回ナント三大陸映画祭」でグランプリを獲得した、イラク映画の記念碑的作品
1970年代初頭、イランの漁港に置き捨てられた廃船で暮らす11歳の少年(マジッド・ニルマンド)は、空き瓶拾いや靴磨きの仕事で生計を立てる貧しい暮らしをしていた。過酷な境遇ではありながらも、同じような境遇にある仲間たちと毎日を楽しく生きているアルミ。ある日、彼は読み書きの勉強をしようと思い立ち、明るい未来を目指してひたむきに走り始める――。12月22日(土)より、オーディトリウム渋谷にて全国順次ロードショー!
キアロスタミと並び称されるイラン伝説の監督、アミール・ナデリ。しかし昨年、日本で公開された彼の『CUT』はつまらなかった。当時上映館では、「観終わると、毎回ロビーで監督本人が待っている」というすごい状況が続いていたので、あまりのつまらなさに観終わってパニックになった。満面の笑みで立っているおじさんに「つまらなかったです!」なんて言えない! もう、裏口から帰るしかない!
そのあと何かの間違いだと思い93年の作品、『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』も観てみたが、やはりつまらなかった。なんなんだよ......、と思っていたところ、本作でついにきた! やっぱりナデリ監督は偉大な監督だとここで断言!
『駆ける少年』は85 年にナント三大陸映画祭でグランプリを受賞、イラン革命後のイラン映画を世界に知らしめた、伝説の作品と言われている。日本では映画祭や特集上映でのみ公開され、ロードショーとして公開されるのは今回が初めてだ。
主人公はゴミ拾いや、ビン集めなどをしながら、打ち上げられた廃船に1人で住んでいる少年、アミル。湾口沿いには同じく働きながら暮らしているストリートチルドレンがいて、彼らと喧嘩したり、遊んだり、たまには自転車をレンタルして遠出したり、その生活はけっこう楽しそうだ。
『駆ける少年』というだけあり、出てくる子供たちはみんな犬みたいに走り回っている。ファンタをかけて競争し、電車を追いかけて競争し、さらに理由がなくても隙さえあれば走り出す。バケツでTシャツを洗い、紐に干す健康児アミルの姿を眺めていると、未来少年コナンを思い出す。
思うに『CUT』はこの映画の魅力が全て裏目に出た作品だった。イランのストリートで子供が、走り回り、憧れ、絶叫するのを観れば「生きる情熱を感じる!」と思わず拳を握りしめてしまうが、東京を舞台に、おっさんが、憧れを絶叫していても「お前もっと他のやり方あるだろ......」という気分にしかならないではないか!
ただ、本作でいつも走っている子供たちを観て、「良きかな良きかな」と単純にほほえましく思う映画ファンが一体、何人いるだろうか。むしろ、「ほんと子供って、どいつもこいつもすぐ走りたがって、嫌だったな~!」と思う、そんな走らなかった子供たちこそが、やがてイラン映画を観たくなるような大人に育つのではないか! しかしこのアミル少年、いつも仲間と一緒に遊びながらも、じつは微妙に距離を保っている。彼には1人の時間があり、そこが「元・元気ハツラツじゃなかった子供たち」にも胸キュンを迫ってくるのだ。
たとえばアミルは、ゴミ市で切れた電球を買って、オブジェとして部屋に飾ってみたりする(胸キュン☆)。またはセスナ機が好きで、写真が載っている雑誌を中古で買い集めていたりする(胸キュン☆)。飛行場にでかけ、雑誌と実物を見比べるときの顔なんかは、いっちょまえの大人ぶっていて、本当にかわいい。ナント三大陸映画祭の審査委員も、この野生児と一人遊びの混ざり具合に、思わず胸キュン☆ホロリてグランプリを授与してしまったに違いない。
アミルたちの前には、外から電車や、船、飛行機がやって来ては、また消えていく。そこはシムシティのような広さに終わりのある世界で、「外」というのは乗り物が暗示する、予感としてしか存在しない。そんな中でも、アミルにはそのうちステージマップを飛び出していきそうな気配がある、これこそが本作の解放感だ。
ラジオからは、ホワット・ア・ワンダフル・ワールドや、アラウンド・ザ・ワールド(ナット・キング・コールが歌うオリジナルは『80日間世界一周』のテーマ曲でもあった)などの名曲が聴こえてきて、アミルを応援する。
後半、映画は突然のスポ根展開になり笑ってしまった。アミル少年は、空に向かって絶叫! 波の砕ける岩場で絶叫! 空手特訓のような場面で、しかし彼が始めていることはなんなのか。
本作は内容が猪突猛進なら、撮影自体も猪突猛進。なんと撮影中、イランはバリバリ、イラクと戦争中(イラン・イラク戦争)だった。ところが本作がほぼ自伝というタフな少年時代を過ごしてきたナデリ監督にとっては、これもチャンス。最大の見せ場を撮るにあたって、なんと迫力を増すために天然ガス田に放火。世界中でナデリ監督にしか許されないであろう「戦争のどさくさにまぎれる」という演出方法をぶちかまし、すばらしいシーンを手に入れた。
燃え盛る炎とみるみる溶けていく氷柱、本作の最後は映画という形態をもった一篇の詩、それも「イラン」の詩になっている。まさに芸術! 全てのムチャ(放火以外にもムチャしているのでパンフを読んでみて下さい)も、その説得力の前では正当化される!
『駆ける少年』は原始人の絶叫で始まり、進化した原始人の絶叫で終わる。そしてそのさらに先に、今回の上映では(もしかしたら)終映後のロビーで、居合わせることができるかもしれない。それはすばらしい映画体験になるだろう。その際は、ぜひナデリ監督をモノリスと見定めて、突進してぺたぺた触ろうではないか! それは急がなくては消えてしまうはかない氷柱なのだから!
文=ターHELL穴トミヤ
イラン映画を世界へと知らしめた傑作が、日本初公開!!
『駆ける少年』
12月22日(土)より、オーディトリウム渋谷にて全国順次ロードショー!
関連リンク
映画『駆ける少年』公式サイト
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