WEB SNIPER Cinema Review!!
中沢けいの同名人気小説が鈴木卓爾監督のメガホンで映画化
「授業が終わったら、早く家に帰りたい」と考えている引っ込み思案の中学1年生・奥田克久(川崎航星)は、ある日、不思議なうさぎに導かれて学校で最も練習時間が長い吹奏楽部に入部した。様々な出来事に迷い悩みつつ、彼は少しずつ音楽の魅力に目覚め、夢中になっていく――。12月14日(土)より 渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館、浜松シネマイーラ、静岡シネ・ギャラリー 他全国順次ロードショー
大量の中学生を久しぶりに観た。『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』の鈴木卓爾監督による、中沢けい原作の映画化。中学校を舞台とした、少年の成長物語だ。この映画、なにがいいって主人公が吹奏楽部に入り、やがてその中で役割を与えられ......というながれでありながら、そのクライマックスが「コンクール優勝」とかそういうカタルシス的なところに向かわない。じゃあ主人公の男の子はどこに到達するんだろうっていうと、何気なーいところで終わる。これがいいんだなー。いいですよね~。いいにゃんよ~。
メインの出演者はオーディションで選ばれた中学生たち。なんといっても主人公を演じる少年の「皮を剥いたら青白くてつるつるの、旬のタケノコが出てきました」みたいな危なげな存在感がすばらしい。中学生たちの中学生にしかだせない雰囲気、それを本作はジットリ絞ってギッシリ詰めている。
中学に入学した奥田克久は、引っ込み思案でボソボソ喋る、青白くつるつるの旬のタケノコ系新入生だった。彼の問題は、青白くつるつるの旬のタケノコっぽいうえに、何事に対しても自己主張せず地に足がついていないところ。さっそく目をつけられパシリにされそうな不穏な空気が漂うなか、廊下で不思議なうさぎに出会う。誘われるがままについていった彼は、気づけば吹奏楽部へと入部していたのだった。
このうさぎが、まさかのおばちゃんコスプレですね。原作で出てくる「うさぎ」は本物のうさぎ。『私は猫ストーカー』でねこちゃんのかわいい表情を撮りまくっていた鈴木監督だけに、今回もフワフワか~!? カメラ目線で鼻がヒクヒクか~!?と期待していたのだが、動物を撮るのは『私は猫ストーカー』でもうコリゴリということなのか...。うさぎが「思春期の胸に宿る神秘なる魂の導き」というより、「事故死した同人作家の霊が現世に舞い戻り若い男の子をリアル育成ゲーム」みたいに見えてしまったのだが、これは私の問題なのだろうか。
ともあれ吹奏楽部に入った主人公は、自分の足で世間という地面の形を感じ始める。そんな彼を取り巻くクラスメイトや部員たちがまたすばらしく、観ながら中学生時代の空気感が如実によみがえってきた。そして脳内コラーゲン効果で、後退した生え際がすっかり元通りになったのだ(※ターHELL穴トミヤの感想です)。それはたとえば「激しすぎる身長差」で、学生服を着ていなかったら小学生にしか見えないミニ生徒から、ひょろ長い生徒までが同じ教室に存在する景色。これこそまさに中学校でしょう(ちなみに私はミニ生徒だった)!
そしてやたら正義に目覚めたり、その逆に冷めてみたり、中学生って、自我に迷いはじめるときでもある。思ったことをそのままに言おうとしても、なに真面目なこと言ってるんだろうという自分内突っ込みが邪魔をする......。その葛藤、これこそまさに中学の空気でしょう! でも彼らにはそれを乗り越える味方がいて、それこそが吹奏楽なのだ。恥ずかしいと思っても、言うべきことを言う。なぜなら、芸術がそれを要求するから。それはやがて、「人生がそれを要求するから」へと成長していき、そのゴールはコンクール優勝なんかじゃない。他人や自分のチャチャ入れなんか気にせず「人生が要求する」ことを言える、そんな人間になることだったんだよー!と、観ていて『桐島、部活やめるってよ』で映画部部長が「なんで映画部やってるか」を説明したとき以来の、目からレンズキャップがポロリ体験をしてしまった。その瞬間、私は中学生へともどり、その生え際がみるみると前進しはじめたのだ(※ターHELL穴トミヤの感想です)。
そんな主人公と対をなすのが、当初克久をパシリにすべく暗躍する小学校からの同級生。このいじめっ子のキャスティングがまた絶妙で、彼のぐいぐいの演技に思わず身体の奥深く眠るパシリDNAが反応する。中学時代を思い起こせば、最初に童貞を捨てたのはたしかこういう顔、髪型の奴だった。しかし彼は部活をやめてしまったところから、中学生活フォースの暗黒面へと突入。本作、この「中学で部活に入らないと、人生の闇へと転落。不登校、非行、やがては犯罪者へ......」みたいなメッセージが原作に比べ、よりブーストされているように感じられた。しかし私は、そこに断固NOを突きつけたいですね。彼にも学校の行き帰りに別の世界があるかもしれない。きっと彼はパソコン通信にはまって、ネカマの中年男と知り合い、ネカマの極意を習って伝説の出会い系サクラとして一世を風靡するとか、なにか別の輝く未来へと到達するに違いない! 部活だけが正解じゃない! 放課後を用意された選択肢の中から選ぶ必要はない! 部活を通して成長するのはいい、しかし「部活やめますか、人間やめますか」みたいな、用意されたレールからの逸脱をゆるさない風潮には断固NO!とついヒートアップしすぎてしまうのも、なにか私の過去に問題があったからでは?という気がしないでもない。
そんな申し分なく「リアル」な中学生たちの周りをかためるのは、宮﨑将、寺十吾、徳井優など鈴木監督の常連役者たち。なかでも宮﨑将は、吹奏楽の顧問として第二の主役を演じている。しかし、彼のギョロ目と物静かな演技をみていると、なにかこの顧問こそいちばん何を考えてるのか分からない......、もしかしてサイコパスなのでは?という不安にかられてしまう。なんというか、寄生獣? 生徒と2人きりになった途端に、本性を現わすんじゃないか?と最後までこの顧問への信頼を持つことができなかったのだ。この不気味さ。監督の演出意図がいまいち理解できなかったが、これもどちらかというと私の中学校時代に問題があるのかもしれない。
役者陣では主人公の父親を演じている、井浦新がハマり役だったように思う。原作にはこの主人公の父親が「浮気をしているかもしれない」というエピソードがあり、映画にはその説明が一切ない。ところが井浦新がスーツで登場するだけで、スクリーンからは「後輩や部下と浮気してそう~」オーラが吹き出してくるではないか! 原作ではある程度のボリュームが割かれていたこのエピソードを、そのサラリーマンらしからぬ髪型(とカジュアルな笑顔)だけで感じさせてしまう。井浦新演じる主人公の父親こそ、本作の裏MVPだといえる。
もちろん『楽隊のうさぎ』はなにより吹奏楽映画だ。どれも同録で収められたという演奏シーンは、生徒たちが実際に一年をかけて作り上げたという正真正銘の楽隊によるもの。別々の楽器が合わさった時の、アンサンブルという心地よさ。「ブルーを思って音を出して」という抽象的な台詞がその直後、音楽という実体となってあらわれる感動。そんな音楽がもつ「力の瞬間」を、本作はとらえている。観終わって「いやーまったくもって自分は、中学時代何をやってたんだろうか」と思わざるを得ない一本だった(やはりなんらかの問題があったのではないか)。
文=ターHELL穴トミヤ
オーディションで選ばれた46人の子どもたちが
それぞれの輝きでスクリーンを彩る
『楽隊のうさぎ』
12月14日(土)より 渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館、浜松シネマイーラ、静岡シネ・ギャラリー 他全国順次ロードショー
関連リンク
『楽隊のうさぎ』公式サイト
関連記事
小国の若き大統領は、バズらせて国を救う。それにしてもモルディブ行きたい 映画『南の島の大統領―沈みゆくモルディブ―』公開中!!