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2013年 第66回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞
1970年代、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)による粛清は多くの市民を虐殺し、華やかなりしカンボジア文化を踏みにじった。幼少期に最愛の父母や友人たちを失い、奇跡的に収容所を脱出して映画監督となったリティ・パニュは、死者たちの眠る大地の土から作った人形によるクレイアニメーションでその悲劇を紐解いていく。渋谷・ユーロスペースにて公開中、以下全国順次公開
幼いころに使っていたカンボジア語は、あまりに悲しい記憶と結びついているのでもう使えない。だからこの映画はフランス語で語られる。プロパガンダ以外のフィルムは残っておらず、殺された人々はただ消えてしまった。だからこの映画は人形をカメラの前におく。1975年から79年にかけてカンボジアを支配していた共産主義勢力クメール・ルージュ、通称ポル・ポト派はそのわずかな支配期間のあいだに、総人口700万のうち100万とも170万とも言われる膨大な数の国民を殺害した。本作はその虐殺を、十代の子どもとして生き延びた監督によるドキュメンタリーだ。
人形が作り出される手順が、映画の最初に映し出される。少年時代の監督自身を始め、両親、兄弟、親戚、近所のおばさん、収容所で目にした人々の姿、それに兵士たち。そのすべての人形は、殺された人々が埋められていた田んぼの土と水を使って作られる。人形は形を整えられ、彩色され、配置され、背景が整えられる。しかし誰にもセリフはなく、かぶさってくるのはフランス語のナレーションと、その時々の環境音、効果音だけ。監督は「沈黙も叫びになる」という。クレイアニメとちがって動きもしない人形が、ただカメラの前に置いてあるのを見ると、最初ぎょっとする。そこにあるのは無機物が一人の人間を代表しているという違和感だ。全て彩色され人形に整えられてはいるが、これはノルマンディー米軍戦没者墓地に並んでいる十字架や、ホロコースト記念碑の石の広場に並んでいる石と同じではないか。しかし監督は人々がモノとなった世界に、物語を呼び込もうとする。
もうすぐ13歳の誕生日をむかえる監督は、プノペンに住んでいる。そこにある日、ポル・ポト派の兵士たちがやってくる。すると家族は「悪しき知識階級に属する」として再教育を施されることになり、バラバラに分けられる。年齢男女別に名前を奪われ番号で呼ばれ、メガネにいたるまで持ち物は全て奪われ、服を黒一色に塗られる。過去に関するものを全て剥奪され、地方の農村へと家畜用の列車で運ばれ、そして強制労働に従事させられる。
クメール・ルージュの理念は「究極に平等な人間社会の実現」だった。生まれながらに金持ちと貧乏人に分かれているのはずるいから、財産の私有を禁止する。それどころか、貨幣自体を廃止する。頭脳労働をやっている人間は、すでに古い知識で汚れているから、強制労働でリセットする。それどころか、最終的にはみんな殺害する。そうして彼らは究極の平等社会、「原始時代」を再現しようとした。
主人公は送り込まれた農村でスプーンの所有だけを許される。西洋医学を否定したクメール・ルージュの病院では、子どもが医者になり、病人にココナッツジュースを注射していたという。餓死や病死、密告による処刑が蔓延するその村で、主人公がアポロ17号月面着陸の話をする。ところが、周りの人間の誰にも信じてもらえない、このシーンは印象的だった。同じ時代に、月を目指す社会と、文明の全てが否定された社会があった。なにより、それが一人の人間の中で重なっていることに驚く。アポロ17号が月に到達するのをTVで見たあとに、文明を否定された世界の強制収容所に入れられるなんて運命が、この世に起こりえるのか。このシーンでは黒一色の主人公が、カラフルな服になっている。過去の思い出だけは、いつも色にあふれている。
主人公がたびたび思い出す記憶は、どれも非常に幸福そうで、そして間違いなくハイソだ。文部官僚だった父親は、ジャック・プレヴェールの詩が好きだったという。近所には映画の撮影所があり、そこにしのびこんで絢爛なセットや、美しい女優を眺めていた。監督の思い出は聞いてるうちに、だんだん鼻についてくるところもある。そして自分の中にルサンチマンがわき上がりはじめていることに気づく。生まれながらに恵まれている、ずるい! じゃあどうする? その恐るべき失敗がクメール・ルージュだった。少年は収容所におくられた。監督も俳優も歌手もみな処刑された。後には何も残らなかった。
兄の思い出はロックンロールによるダンス・パーティーとともに語られる。この映画には出て来ないが、クメール・ルージュ以前のカンボジアはかなりのロック大国だった。今でも再発レーベルから、カンボジアのサイケロックやガレージのコンピが再発されているし、LAには当時のカンボジアン・ロック・サウンドを再現しているバンドもいる(その名もデング・フィーヴァー)。バンドでギターを弾いていた兄は、人民の敵としてすぐに処刑された。エンディングの曲を歌っているロ・セレイソティア(Ros Sereysothea)は当時カンボジアのスターだったが、やはり彼女もクメール・ルージュの時代に死んでいる(処刑されたという説と栄養失調で死亡したという説がある)。ファズの効きまくったGSっぽいギターがめちゃくちゃかっこいいのだが、これも兄のダンパで流れていた思い出の曲なのだろうか(Cham 10 kae Teart)。
ロ・セレイソティアや、現在再発されているカンボジアン・ロックの発掘音源は、元のマスター音源がレコードやカセットテープということが多い。それらは個人が処刑のリスクをおかしてまで、隠し持っていたものだ。リティ・パニュ監督は自分の思い出と、生き延びた音源をもとに本作を作り上げる。クメール・ルージュは、その映画から言葉と姿をうばった。それでも物語と音楽は奪えなかったのだ。
文=ターHELL穴トミヤ
数百万人の死者が眠る大地から作られた人形たちと、
狂気により葬られたフィルムが、いま、光と闇の記憶を語り始める--
『消えた画 クメール・ルージュの真実』
渋谷・ユーロスペースにて公開中、以下全国順次公開
関連リンク
『消えた画 クメール・ルージュの真実』公式サイト
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