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『めぐり逢わせのお弁当』リテーシュ・パトラ監督がブッカー賞小説を映画化
引退生活を送るトニーの元にある日、見知らぬ弁護士からの手紙が届く。あなたに日記を遺した女性がいると......。その女性とは40年も前の初恋の人ベロニカの母。遺された日記はトニーの学生時代の親友のものだった。奇妙な遺品によって忘れていた青春時代の記憶が蘇る時、トニーが知ることになる真実とは。2018年1月20日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
私はまだ老年ではないが(チンコ勃っちゃうし~)、もう若くもないから(オナニー回数は激減)、あの1年があっという間に過ぎていき、10年があっという間に過ぎていく時間の早さについては、知っているつもりでいる。もう午後3時!?もう週末!?もう1年!?このペースで計算するに......多分あと7回くらい驚いたらもう棺桶を前にして、懺悔の手記を書いているはずだ。人はその時、どんな気持ちでいるのだろうか? 本作の主人公曰く、老年を迎えたときに欲するのは安心、安息、人生への肯定、つまりは穏やかさなのだという。
離婚した妻との関係もひとまず良好で、娘にはもうすぐ孫も産まれる。商売の中古カメラ販売店は趣味程度のものだが、年金もあり、一軒家に住む主人公(ジム・ブロードベント)の暮らしは悪くないように見える。そこにある日、手紙が届く。彼は昔の恋人の母親が遺品として残した、彼の親友の日記を贈られることになったのだ。と、入り組んだ書き方をしてしまったが、入り組んでるんだよこの話! 主人公の友達の日記を、主人公の恋人の母親が?なんで?この因果関係がまず頭の中にないと、話がこんがらがってきてしまう。そこにベロニカが、セーラが、マーガレットが、とその場にいない人間の名前が会話に出てくると、それが元恋人なんだか、その母親なんだか、別の女性なんだか、もわけわかんなくなっちゃう! 昔、別の本だけど「こいつ無口だな」と思いながら読んでいた登場人物が、犬だったりしたこともあったし、本作もついていけるかどうか~!?と不安になっていたらそこは『めぐり逢わせのお弁当』のリテーシュ・バトラ監督。脳の血のめぐりあわせが悪い人間にも配慮して、「はい、ここっ!こういうことが起きてます!」と試験範囲を教えてくれる先生ばりに、カットを強調し、繰り返してくれる親切編集となっていた。
遺書に日記が同封されていないことをいぶかしんだ主人公は、法律事務所を訪ね、やがてそれが娘である彼の昔の恋人(シャーロット・ランプリング)の元にあることを知る。映画は過去の記憶を再現するパートと現在を行き来しながら進み、ついに日記を取り返すべく、主人公が年老いたランプリングに会いに行くシーン。ここにはラスボス登場のような高まりがあるのだが、やっと出てきた彼女が橋の上で振り返る仕草はあっけない。本作のランプリングが、主人公に対し終始オフビートでいなし続けるかのような態度なのはなぜなのか。それはこの男が愚鈍だからなんですね。
主人公に対する「諦め半分」な接し方は、別れた妻や、出産をひかえた娘にも共通している。彼はインテリ年金生活者として表面上丁寧なふりをしているけれど、ところどころで自分勝手さを溢れさす。年老いた人間にありがちな自己を疑う力への欠如、これが家庭内においては元妻や娘を辟易させ、ランプリングを前にするとアイデンティティ崩壊のサスペンスにまで高まる。そんな隠しきれないエゴをジム・ブロードベントがどう表現するのか。郵便局員への態度というわかりやすいものもありつつ、何より目の演技が素晴らしかった。例えば、法律事務所で遺品が引き渡されないことに不満をおぼえる、そこで黙って相手を直視して抗議を伝える、大きく見開かれた目。殴りたくなるな~。または、かたくなに遺品を渡すことを拒む本人、シャーロット・ランプリングにカフェで会っている時、イライライしてませんよと言いたげな不機嫌な目。殴りたくなります~。そこには自分のことを感じのいい善良な人間だと思っている人間が、エゴを言葉にせずとりつくろったままでエゴを滲み出させる、その鬱陶しさが満ちている。
原作は英ブッカー賞を受賞した『終わりの感覚』(著ジュリアン・バーンズ)。原作と本作のいちばんの違いは凡庸さに対する態度で、小説は歳を重ねるごとに避けようもなく強まって行く自己愛の凡庸さに、窒息するような話だった。ところが映画では、人生の凡庸さがむしろ好ましく描かれている。それは例えば、橋を歩いてるときの弱い、冷たそうなイギリスの光から感じられる。または、同級生たちがやってきて、みんなで主人公のfacebookアカウントを作ってくれるその帰りに、雨が降ってるとか、そんなシーンから漂ってくる。『終わりの感覚』を読み終わって感じたのは宙ぶらりんにされたような居心地の悪さで、結局何なんだよ!と怒りにかられて「終わりの感覚 ネタバレ」で検索したりもしたが、映画ではこの結末にも手が加えられている。それは「みんなが気持ちよく映画館を後にできる無難なところに着地させた結末」ということもできるし、単に厭世的なイギリス人(原作者)とポジティブなアメリカ移住インド人(監督)の、人生に対する態度の差なのかもしれない。そこに出てくる主人公の手紙か゛よくて、幸いまだ晩年を迎えていない私としても、かなり身につまされるものがありました。
それにしてもこの歳老いた主人公の自己愛の凡庸さから、自分も逃れられる気がしない。歳を重ねたのちに、目から不愉快エゴ光線を撒き散らすような罠に落ちないためにはどうしたらいいんだ! それには、オアシスのリアム・ギャラガーみたいな感じでいくのがいいと思う。やっぱり普段からエゴをどんどん口から発して、内には溜めずに歳を重ねていくのがいいと思う!終りの感覚に対抗するには、リアム・ギャラガーの暴言しかない。というわけで本作を観て危機感を覚えたあとは、「NMEが選ぶ、リアム・ギャラガーがこれまでに語った名言集 1~50位」をチェック、すべて暗記しよう!
文=ターHELL穴トミヤ
青春時代の思い出、初恋の真実、自殺した親友
不完全な記憶が繋がったとき、思いもよらない過去が解き明かされる――
『ベロニカとの記憶』
2018年1月20日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
関連リンク
映画『ベロニカとの記憶』公式サイト
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