WEB SNIPER Cinema Review!!
出会うはずのないふたりが出会った時、人生の風向きが変わった――
単独無寄港で世界一周を目指す、最も過酷で権威あるヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に人生を賭ける男・ヤン(フランソワ・クリュゼ)。レース中、彼は誰もいるはずのないヨットに潜んでいた少年・マノ(サミ・セギール)の姿に愕然とする。単独航海でなければレースは失格。しかし海の真ん中で少年を放り出すわけにもいかない。ヤンはやむを得ず、少年を乗せたまま大海原を駆ける。新宿シネマカリテにて公開中、6/14から新宿武蔵野館にて公開
ほか全国順次ロードショー
わざわざ心細い状況のところに行って、機械に包まれながら「ここなら安心」とやるのは気持ちがいい! と言っても意味が分からないかもしれないが、たとえば俺は旅先でレンタカーを借りて人気のない場所で車中泊するのが好きなんだ。荒野とか、崖とか。窓の外に広がる寂しい景色を眺めながら(こんな場所にひとり放り出されたどんなに心細いか......)と思いつつも、車にはラジオもエアコンもある。深夜に冷たい雨が降り注いでも、気にすることなくシートの上でぬくぬくと眠れる。さらに心細くなったら、すぐにエンジンをかけてそこから立ち去ることもできる。
台風の日に家から外を眺めるのが好き、という人はけっこう多いのではないか。台風というのは、心細い状況が向こうからやってきてくれるイベントだ。電線がたわみ、地面に雨が打ち付ける。(うわー恐ろしい)と思いながら、自分は安全な場所に守られている。不安と安心、脅威と対処力、そこには相反する2つがないまぜになった心地よさがある。
本作の主人公は最新鋭のヨットに乗って、地球一周レース「ヴァンデ・グローブ」に出場する男。移動は風力のみ。乗員は1名。どこかに接岸したり、船に接舷したりしたらその時点で失格。IT機器を駆使して風を読み、波を読み、嵐を見極め、外海を走って行く。彼が人界からはるか離れた海のど真ん中で、船内に潜り込んで寝るシーン。そこで思い出したのは、まさにこの心地よさだったというわけなんだよ!
監督は本作が初長編デビュー作となる、クリストフ・オーファンスタン。撮影は『アーティスト』『タイピスト!』のギョーム・シフマン。ひげ面の主人公を演じるのは、『最強のふたり』のフランソワ・クリュゼ。
当初は順調に順位をあげていたひげ面の主人公だったが、やがて漂流物に衝突してかじを損傷してしまう。この修理が、部品を新しいのに取り替えるだけなのかと思ったら、切り取って、形を整えて、パテみたいのを塗ってと、かなり本格的なのにおどろいた。ゴールまで平均100日間、その間に起こることは全て自分頼み! これはなんともサバイバルなレースなのだ。
数日かけてなんとか修理を終えた彼だったが、順位は最下位になってしまう。しかし災難はそれで終わらない。なんと修理のすきをついて、ヨットにモーリタニア人の少年がしのびこんでいた。追いつめられた主人公は少年の存在を隠し通し、ゴール前にどこかへ下ろしてしまうことを決意する。
ところがこのヨット、ITガジェットがやたら充実していた。家族とはしょっちゅうビデオスカイプをするし、衛星電話もがんがん入ってくる。さらにはチームとのビデオ通話が定期的にあり、マスコミのビデオ取材も断われない。世界の果てにいながら、狭い船内でカメラに少年が映り込んでしまえば、いっかんのおわり! なんとも奇妙な状況が出現してしまう。
本作、厳しいレースの絶対孤独感に燃えまくるのかと思っていたら、このガジェット装置に萌えたのが意外だった。彼は毎日、水平線に沈む太陽をiPadで撮影して娘に送る。病気になったら「デジタル聴診器」をパソコンにつなぎ、問診音をネット経由で医者に送る。1万キロ離れていても、ログインすれば心理的な距離感はゼロ! これがIT時代の冒険の姿なのである。
しかし甲板に戻れば、目の前は大海原。そこには流氷があり、クジラがいて、水平線の向こうには嵐がひそんでいる。フランスからアフリカ大陸を南下し、南極近くをまわって地球を一周、またフランスまで戻ってくるこのレースの道行きは、やはり半端じゃない。棄権者はときに全出場者の3分の2にも達し、一歩まちがえば待っているのは沈没だ。
風の力とはいえ、ヨットのスピードもかなり速く、観ていて操舵しながら海に転落しないかとヒヤヒヤする。盛り上がるのはやっぱり悪天候で、いきなり船内の電気が消えてサイレンが鳴りだせば待ってました! 転覆した選手をレスキューに行くシーンには、起きてしまったことは変えられないという、淡々とした恐怖があった。
少年の下ろし時を逸したまま、主人公は再び順位をおしあげていく。日を重ね、それぞれが相手の事情への理解を深めていくなか、ある日その関係性が決定的に変化する。そのきっかけが「シモネタ」というのがすばらしかった。いくつもの海を飛び越えるIT技術もけっこうだが、男同士の距離を飛び越えるにはやはり「シモネタ」しかない! クリストフ・オーファンスタン監督が、本作でもっとも伝えたかったことはこれだろう。その熱いメッセージをしかと受け取った。
主人公は、救助に向かう時は一瞬の迷いもなくそこに向かう。密航者の少年を見つけたあとは、激しく葛藤する。この映画には決断がいくつも出てくる。彼が一番いい表情をしているのは、iPadにうつる気象情報を、指先で拡大したり、スライドさせたりしながら、これからどうするか? それを、ひとり考え込んでいるときだ。主人公がこのレースを通して欲しがっているものは、いったいなんなのか? スリルか、名誉か、それとも賞金か。主人公自身ですら、当初それがなんなのか分かっていないように見える。しかし映画の最後、それは決断そのものだったということが分かるのだ。レースは日常生活ではあり得ないほど純粋に、すべての決断を全身であじわうためにある。これこそがクリストフ・オーファンスタン監督が、本作で2番目に伝えたかったことに違いないのである!
文=ターHELL穴トミヤ
世界最高峰のヨットレースに挑む男と許されざる乗客。
運命の風を帆に受けて、ふたりの夢が未来へ動き出す!
『ターニング・タイド 希望の海』
新宿シネマカリテにて公開中、6/14から新宿武蔵野館にて公開
ほか全国順次ロードショー
『ターニング・タイド 希望の海』公式サイト
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