web sniper's book review
インターネットを利用するすべての人に
1999年。身に覚えのない事件の殺人犯だと、ネット上で書き込まれ、デマが広まった。それからずっと誹謗中傷を受け続けた。顔の見えない中傷犯たち、そして警察、検察...すべてと戦った10年間の記録。ネット中傷被害に遭った場合の対策マニュアルも収録。
ネットでの悪質な書き込みが摘発の対象となったのは、ここ2年ぐらいのことで、それまではネットに書き込む程度のことで捕まるなど誰も予想していないことだった。ゆえにスマイリーキクチの誹謗中傷における被害も、事件そのものより、ネットの書き込みで立件できたというほうが注目を浴びる出来事だった。
しかし本書を読むと、この一連の誹謗中傷における被害がただ事でないことに気づく。被害は10年という長期にわたるもので、立件までの道のりは実に険しいものであるからだ。
「あなたが犯人だなんて誰も信じてませんよ」
ハイテク犯罪対策総合センター、生活安全課、警視庁......。ほとんどの場所で真剣に取り合ってもらえず、藁をも掴む思いで向かった、ネット被害者を救うボランティア団体にすら門前払いを受けている。書き込みされたサイトへの削除依頼はことごとく拒否され、加害者を特定する手段はなく、民事訴訟も難しい。自身のブログのコメントを承認制にすれば叩かれ、ブログを休止すれば怪しまれる。全てが裏目に出る形で誹謗中傷だけが過激化していく。
一方でネットの住人は、叩いて憂さ晴らしする瞬間を待ち受けている。ターゲットは誰でもいいが犯罪者であれば好都合だ。罪悪感が正義感にすり替わり、心置きなくターゲットを虐めつくすことができる。彼らにとって、事実無根は不都合であり、ストレス解消の格好の道具として、スマイリーキクチは犯罪者でなければならなかったのだ。
「犯人じゃない証拠? 証拠なんてどうやって出すのか?」
ターゲットにされた人間は逃げることが出来ない。それがネットの怖さである。
本書では「A」と書かれた元警視庁刑事の肩書きを持つ著名人が、自身の著書の中で「犯人の一人は出所後、お笑いコンビを組み、芸能界デビューしたという」と書いたことで、スマイリーキクチが犯人であることの信憑性は一気に増した。
名前が書かれていなくても、ネット上の騒ぎを知っていれば、誰でもスマイリーキクチと結びつけることが可能だ。ネット上での一人歩きは、思わぬ形でリアルな世界へと転化され、白いものも黒とされる。
放っておけばエスカレートし、対処しようとすれば火に油を注ぐ。顔も名前も分からない、悪意だけを剥き出しにした人間たちに集団で襲われたらどうすればよいのか。
おそらく今この瞬間にも、インターネットによる被害を受けている人は、何百人、何万人といるだろう。かくいう私も、ホームページの掲示板を炎上させられた経験がある。彼らは道徳やモラルを振りかざし、会った事もない私を執拗になじるが、その本意は正義感から来るものではなく、叩くこと自体が目的であることは明らかだった。
ネットはもはや「自由な発言の場」という名の無法地帯になりつつある。このまま放っておけば、ネットの治安はどんどん悪くなるだろう。判例が出来た現在でも、悪質な書き込みを立件するのは容易ではない。しかし、スマイリーキクチの栄光により、一歩前進したことは間違いない。
本書はスマイリーキクチが被害を受け始めてから、立件に至るまでの過程を細かく記しているほか、特別付録として「ネット中傷被害に遭った場合の対処マニュアル」を具体的に掲載している。警察の対応から、誹謗中傷の書き込みに依存する加害者の姿、インターネットをやる人間とやらない人間との間にある大きな隔たりなど、様々な方向から、ネットにおける中傷被害と、その対処法を見ることができるだろう。
また、これだけの被害を受けていても、スマイリーキクチはインターネットそのものを否定するようなことはしていない。ネットでたくさんの人に励まされ、ネットの情報に感謝し、さらに最終的に行動を起こしてくれた担当警部補が、自らパソコンオタクであったからこそ救われたと強調している。
本書は、お笑い芸人が書いたタレント本などでは一切ない。あるネット被害者が体験した、10年にわたる戦いの記録であり、ネットを正しく使い、ネット被害から身を守るためのバイブルである。
文=東京ゆい
『突然、僕は殺人犯にされた〜ネット中傷被害を受けた10年間』
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