web sniper's book review
神秘的なささやきに満ちたスタジオ撮りのイメージ57点!!
パリを拠点にして1980年代からポートレートやファッション、インテリア、静物、ヌードなどのフォトワークを制作してきたイタリア人フォトグラファー・パオロ・ロヴェルシが、自分の「人生そのもの」と呼ぶ「スタジオ」への思いを込めて発表した写真集。2005年に限定1000部で刊行されたスペシャル・エディションの普及版!!
8×10インチのポラロイドにスタジオ中心というシンプルな撮影態勢というのは、華やかなファッション写真界においてはなんとも禁欲的な印象を受けるが、このたび紹介するポートレート写真集《Studio》(約20年もの間、撮りためたというもの。2005年に限定1000部で刊行された豪華版写真集の普及版)の写真家自身による序文にも修行僧か瞑想家のごとき告白が記されている。その言葉を少し抜粋して訳しておこう。
「毎朝、休むことなく私はスタジオへ向かう。そこは私の仕事場で、私はそこで人生の時間の多くを費やす(中略)
私がそこ(スタジオ)に到着し、カーテンが開けられていない状態のとき、スタジオはまだ眠ったまま、深遠なる闇に包まれている。私は深い黙想の時を得ようと、この暗闇に耽る。あたかも自分がカメラの中にいるような、目が光と新たなイメージを呼び覚ますフィルムの中にあるような、そんな錯覚に陥る(中略)
それからあるイデアが徐々に形をなし始め、夢想が息づき、記憶が呼び覚まされてくる。その時にこそ、私はカーテンを開け、リフレクター(反射板)を用意する。それは微量の光をとり込み、写真を創造する勇気が少しだけ芽生えてくる(中略)
あらゆる真の職人のように、私は自分に忠実な道具類を信頼している。エイト・バイ・テンのディアドーフ・カメラは日々の友であり、私の心の大部分はその中に宿る。12インチのゴールデン・ダガー・レンズは、外皮の内に秘められた何かを見るために魔法の力を授けてくれる魔術師が造った道具だ、と私は信じている(後略)」
私がそこ(スタジオ)に到着し、カーテンが開けられていない状態のとき、スタジオはまだ眠ったまま、深遠なる闇に包まれている。私は深い黙想の時を得ようと、この暗闇に耽る。あたかも自分がカメラの中にいるような、目が光と新たなイメージを呼び覚ますフィルムの中にあるような、そんな錯覚に陥る(中略)
それからあるイデアが徐々に形をなし始め、夢想が息づき、記憶が呼び覚まされてくる。その時にこそ、私はカーテンを開け、リフレクター(反射板)を用意する。それは微量の光をとり込み、写真を創造する勇気が少しだけ芽生えてくる(中略)
あらゆる真の職人のように、私は自分に忠実な道具類を信頼している。エイト・バイ・テンのディアドーフ・カメラは日々の友であり、私の心の大部分はその中に宿る。12インチのゴールデン・ダガー・レンズは、外皮の内に秘められた何かを見るために魔法の力を授けてくれる魔術師が造った道具だ、と私は信じている(後略)」
日々、勤勉なまでにスタジオへ通い詰め、まずは、洞窟のごとき神秘的な闇の中で沈思に浸りながら、イメージを喚起する。やがて、満を持してカーテンを開き、到来する光に己が精神を打ち震わせる。カメラやレンズを魔法の道具と信じるこの写真家の撮影行為は、まさに、小アジアの中央、カッパドキアと呼ばれる荒地の洞窟内聖堂にて祈りを捧げ、瞑想に身を投じた中世(すでに4、5世紀頃から存在したともいわれる)の黒衣の隠修士を髣髴とさせるではないか。まあ、それはいいすぎとしても、派手なファッション界のイメージとは対照的な、好感のもてる姿勢といえよう。
どこにでもある均質な場としてのスタジオ空間は、対象と真摯に向き合う写真家と彼に身をゆだねるモデルの相互作用の循環により、濃密な気配に満たされた不均質な場へと変貌する。スタジオは、その周囲の空間から特異な磁場として切り離される。
肌、毛髪、唇、乳房などの表層にも豊かさと濃密さがもたらされ、とくに両方の眼球は、しばしば、孤立のうちに謎めいた力を凝縮する。表情と裸体における沈黙は深遠であり、どちらからも感情を読み取ることは容易ではない。エロティックな誘惑とも、拒絶とも決めかねる。あるいは、その両方ともを含んでいるのかもしれない。「私は物事を不明瞭なままにしておくのを好むし、ときには不確定という事態に迷い込むことをすら求める」と写真家自身も語っている。無言のうちに語りかける表情と身体の強度、見る者へ放たれる視線の力が剥き出しにされるかのようだ。
憶測不能なささやきの豊饒は、闇を纏うモデルの表情と裸体に浮かび上がり、沈黙と闇の間には絶妙のバランスが保たれる。われわれ見る者たちをひきつけてやまない、このささやきの豊饒こそ、「写真というものに神秘的で精神的なアプローチを試みる」(ロヴェルシ)写真家が長い露光時間に耐えながらとらえようと切望する「魂」なのかもしれない。彼は次のように語っている。「私は、魂が表層にまで浮かび上がってくるのを待つために、自ら好んで露光に長い時間を与える」と。ロヴェルシは、視覚と聴覚の枠を飛び越えて、直接、われわれの精神に「魂」のささやきを届けようとしているのかもしれない。
文=相馬俊樹
『Studio(Steidl)』
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