special issue for happy new year 2010.
2010新春特別企画
さやわか × ばるぼら〜対談:2000年代におけるインターネットの話 【前編】2010年お正月企画の最後を飾るのは、昨年に引き続きさやわかさんとばるぼらさんのお二人です。2010年代を迎えたいま、ここ10年間のインターネットを改めて振り返ります。昨年は動画でお送りしましたが、今年はテキストでお届けです。まずは2000年、皆さんは「インターネット博覧会」を覚えていますか?
編集部:ここ10年のインターネットについて、お願いします。
ばるぼら:何それ(笑)? 段取りは? 丸投げ?……ええと、では2000年からのインターネットについて。
さやわか:まず2000年といえば……。
ばるぼら:2000年といえば……、インパクっていつでしたっけ。
さやわか:え、セカンドインパクト?
ばるぼら:(笑)いや、インパク。
さやわか:あー! なんかありましたね。ほら、10年前のことなんか、もうわからなくなってる(笑)。じゃあインターネットで調べてみましょう。
ばるぼら:すごい。便利ですねぇ。
さやわか:そうなんですよ、最近、便利な時代になって。
ばるぼら:この10年の間に。
さやわか:常時接続とかが当たり前になって、知りたいことがすぐ調べられるようになったんですよぉ。はい、インパクことインターネット博覧会……開催初日が2000年ですね、正確には2001年のイベントですが。《2000年の12月31日から、2001年の12月31日までの1年間堺屋太一の発案のもと行なわれた。日本政府のミレニアム記念事業の一環。また経済振興策としても行なわれた》。会期中に担当大臣が堺屋太一から竹中平蔵に引き継がれて、その他関わった主な人物としては理事長がトヨタの社長とかで、あとは荒俣宏、糸井重里、八谷和彦さんとか。それから石井竜也。石井さんももちろんインターネットにお詳しい方だと思うんですけど、ちょっと僕が石井さんのことを不勉強なもんでよくわからないです(笑)。あと清水ちなみさんですね、この人はOLに詳しい人という印象がありますが、おそらくインターネットにも詳しかったのでしょう。他に田口ランディさん。インターネットといえば田口ランディさんですよね。
ばるぼら:インターネットの達人たちが集まった。
さやわか:まさに。インターネットといえばこの人!という方たちが集まったのが、インパクだったわけです! まあ、今言った「インターネットといえば田口ランディさんですよね」というのが素の意味としても皮肉としても分かりにくくなっているあたりに10年という歳月を感じさせますが(笑)。いずれにしてもインパクは21世紀のインターネットの華々しい幕開けを飾るイベントだったわけですけど、その前年である2000年、いわゆるゼロ年代の冒頭には何やってたんでしょうね、インターネット。「2000年問題」とかはありましたけど。「2ちゃんねる」ができたのは1999年でしたっけ。
ばるぼら:そうですね、1999年5月30日。「ムーノーローカル」ができたのは1999年ですよね。
さやわか:そういえばやってましたねぇ、そんなサイト。僕がムーノーローカルの前身となるサイトを始めたのは98年の末でした。
ばるぼら:そして1999年の11月くらいに100万ヒット達成してた。
さやわか:そうだったかなあ、もう覚えてない(笑)。じゃあそこから考えるに、2000年は個人ニュースサイトとかがブームだったわけですね。で、個人サイトのコミュニティから見て、インパクというのは「インパク(笑)」みたいな感じだったわけですね(笑)。ともあれインパクというのは、今や誰も覚えてないかもしれないけど、実態としては森首相とかが「IT(イット)革命」とか言って当時の政府がやたらとネット普及に尽力してたのに関連したイベントなわけですね。「みんなで学ぼうIT講座」なんていうコンテンツもあったみたいですよ。
ばるぼら:まずお前が学べと、つい、言いたくなりますね(笑)。
さやわか:しかし馬鹿にしたもんじゃないらしいですよ? 堺屋さんによると、インターネットカフェのブームが起こったのも、ブロードバンド技術の進化でADSLが爆発的に普及したのも、インパクのおかげなんだそうで、「イン博は予想以上の成果をおさめた」とのことです。
ばるぼら:えぇ(笑)?
さやわか:インターネットカフェが流行ったのはインパクのおかげ!
ばるぼら:ぜんぜん知らなかった!
さやわか:僕も知らなかったですねー。
ばるぼら:ADSLが流行ったのもそのせい?
さやわか:ここにはそう書いてあります。
ばるぼら:えー!? Yahoo!BBが価格破壊を起こしたとかそういうんじゃ……。
さやわか:僕もそうだと思ってたんですけど、堺屋さん曰く、そうではないと。
ばるぼら:知らなかった。
さやわか:ずっと勘違いしていて、申し訳ない気持ちでいっぱいですね。
ばるぼら:こんなにインフラ整備をしてくれてたとは……。
さやわか:そうらしいです。というわけでネットインフラの普及に対してインパクが重要な役割を果たしたのが2001年なわけで、我々のゼロ年代は、このインパクを抜きにしては語れないわけですよ(笑)。いやー、覚えていないもんですね。でもあれじゃないですか、ばるぼらさんはインターネットの歴史本まで書いていたじゃないですか。
さやわか:いやいや(笑)。あの本ってちなみに、何年まで書いてあるんですか?
ばるぼら:えーと2004年まで。
さやわか:うわ、そんなゼロ年代の半ばまで書いてあったんじゃないですか。ということは、ブログの登場とかも載ってるわけですよね。
ばるぼら:そうですね。
さやわか:「はてなダイアリー」の開設日を間違えて書いてたり(笑)。
ばるぼら:そうそう(笑)。
さやわか:僕はそういうどうでもいいことは覚えてるんです。
ばるぼら:そういうの直したくて仕方ないんだけど、増刷しないから(笑)。
さやわか:刷れば直せるんだけど(笑)。
ばるぼら:そうそう(笑)。
■ブログブームによってウェブ上から失われたモノ
ばるぼら:2003年3月に正式リリース。
さやわか:ということは、先行してブログブームがあってから、「はてなダイアリー」が生まれた形なんですかね。
ばるぼら:まあそうでしょうね。日本でブログというものが最初に広く認知されたのは、やっぱり2002年11月にあった「ブログ騒動」っていうのが。
さやわか:なるほどなるほど。知らない人のために一応説明すると、この頃に伊藤穰一さん界隈の人がMovableTypeを使ってブログを作り始めたんですよね。それでお仲間の輪が広がっていって、研究室の大学生とかにも広がっていって、お互いにリンクしあったと。そして突然「ブログすげー!」みたいなことを言い出したわけです。で、「ブログ草創期にはうちのサイトとかが欠かせない存在になるといいですね(言いすぎ?)」みたいなことを書いたら、昔からいる日本の「残念な」インターネットのコミュニティの人たちが大変怒ってですね。今までの日本のインターネットの歴史をなんとするか、これだけ歴史があるのに無視して草創期とか言ってんじゃねえよ、みたいなもめ事がおきたわけです。しかし、ばるぼらさんは本の中で書かれてますけど、結果的にはあの騒動こそが、日本のブログ草創期に欠かせない出来事になったわけですね。
ばるぼら:あれで“ブログ”を知った人が多かったんですね。最初は批判的なイメージだったんだけど、ブログの海外っぽいサイトがいきなりいくつか立ち上がったことで、ちょっとおしゃれっぽいというか、ちょっとかっこいいから試しにやってみるか、みたいな雰囲気に急になる。それで2003年は、MovableTypeを使ってサイトを構築するのが最先端っぽい雰囲気になっちゃったんですよね。
さやわか:結局、なんであそこで「草創期のブロガー」と「旧来のインターネットコミュニティ」との感情のすれ違いが起きたかっていうと、要は、誰にもブログが何かということをはっきり説明できなかったからなんですよね。今にして思うと、ブログっていうものを説明する言葉が日本のインターネットにはなかった。あれは単純にそういうことだと思うんですよ。旧来の日記サイトとかニュースサイトとかの人にしてみれば「この人らは急に日記サイトみたいなの始めて草創期とか言い出して、じゃ俺たちは何?」みたいに感じたし、かといってMovableTypeをインストールした側の人たちもなんか日記みたいなもの書いてるだけで、ブログの何がすごいのかは言い得なかった。
ばるぼら:確かにブログは、結果的に見ると新しかったんですけど、あの時紛糾してた人たちも、我々もわかっていなかったんじゃないですかね。本質的な部分が見えていなかった。表面的には同じことをやっているようにしか見えなかった。
さやわか:じゃあ当時「草創期」のブロガーがブログの何をすごいと言いたかったというと、今になって思うと、たぶん「ブログというのはものすごく簡単に投稿ができるホームページのツールなんだ」っていうことだったんだと思いますね。その時点ではまだRSSがどうのみたいな、投稿データの管理のされ方がそれまでのホームページとは根本的に違うんだっていうところまでは考えていなかったように思う。とにかく、ホームページビルダーとかでHTMLを書いてFTPクライアントでファイルをアップロードしてみたいな手続きを踏まずに、ウェブブラウザでフォームの中に入力したら、きれいにホームページみたいなのができちゃったぞ、しかもテンプレートみたいなものがあって簡単にデザインが作れる、こりゃすげー! みたいなことだったのでは。誰かがそう書ければよかったんだけど、そういう説明は伊藤穰一さんですらしてませんでしたからね。だから誰にもよくわからなかったんですね。でもまあ、その騒動のおかげで次第に「そんなに言うならMovableType使ってみるか」と思って導入する人が増えた。
ばるぼら:そうするとやっぱりインターネットの風景が変わりましたね。
ばるぼら:そうですね。あの頃、有名になった人っていうと……。
さやわか:加野瀬(未友)さんとか?
ばるぼら:そうですね。ちょうど加野瀬さんが「ARTIFACT」のメーリングリストからまた日記サイトに戻った時期で、それでMovableTypeを使い始めた。やっぱり初期にあれだけ更新を重ねていたのは重要だったんじゃないですかね。
さやわか:あとは松永さんの「絵文録ことのは」(2003年9月)ね。あとは、山本一郎さんの「切込隊長BLOG」(2003年5月)とか。それと「Weekly Teinou 蜂 Woman」。
さやわか:ちょっとクスッと笑えるような写真とかを海外から持ってきてるというスタイルですよね。しかし、この頃はまだ動画を紹介する時代ではなかった。動画が紹介されることもあったけど、映像がすごく小さかった印象がありますね。
ばるぼら:まだ動画をどこかにアップロードする手法がそんなに一般的じゃなかったし、ブラウザで観るものじゃなかった。当時は動画をブラウザ向けに貼るとすごく怒られた。そういうブログをやってたのが、伊藤穰一さんの周りで言うとマジカルパワーマコさん。「トップページ開くとブラクラ」とか言ってたけど、あとから見るとなんて早かったんだろうって。
さやわか:なんて新しかったんだろうって思いますよね。ブログのトップページにがんがん動画を貼りまくってて、やたらとページ開くのが重いからみんな「最悪だ!」みたいなこと言ってたし実際ムチャクチャなんだけど、その一方で奇妙な「最先端っぽさ」みたいな感触があったのを覚えています。
ばるぼら:当時は「よそのサイトから画像引っ張ってきてるから著作権違反だ」みたいなことも言われてましたけど、今はぜんぜん言いませんからね、そんなこと。
さやわか:そういえば「NAVER」とかもそういうサービスやってたじゃないですか(スクラップ機能)。あんなの今ならみんながやってることなんだけど、当時は著作権違反を助長する機能だとかってメチャクチャ叩かれてましたよね。
ばるぼら:やっぱりこの10年で一番変わったのは著作権意識かな、すごく軽くなったというか。
さやわか:軽くなったのかな。んー。
ばるぼら:転載する行為に重みがなくなっている。
さやわか:それはそうですね。軽くなった部分は確かにあると思います。ただ、僕の考えだと規範意識が明確になってきたという言い方にしたい。つまり従来は曖昧だった「これはOKだけどこれはダメ」みたいな分別がすごく意識されるようになったんじゃないかなと。たとえば動画をブログに貼ったり音楽をストリーミングで聴いたりするのはOK。「Last.fm」が曲を流しててもあんまりユーザーの側から「いかがなものか」とは言われない。JASRACはもちろん不愉快に思うかもしれないけど、ユーザーはどんどん悪いことだとは思わなくなっていっている。しかしその一方で、たとえば違法ソフトとかを忌避するユーザーは前より増えている気がするんですよね。昔はワレズだのマジコンだの使っている人を見かけたときに、それを不快に思ったとしても眉をひそめて陰口をたたくくらいのものだったと思うんです。でも今はブログにマジコンのことを書いているだけでめちゃくちゃ怒られて炎上の火種になったりしてるんですよ。さらに、たとえばiPhoneのジェイルブレイクとかは微妙にOKだとか、テザリングは微妙にダメっぽいとか、そういうムードがある。そうやってユーザーの不文律として曖昧であったものを検証していく、理非を弁別する姿勢っていうのがすごくはっきりしてきたなあと。
ばるぼら:それはYouTubeで音楽を聴くのはアリなんだけど、MP3をダウンロードするのは違法っぽいっていう、あの謎の意識と同種ですね。あれですごい変えられてしまった気がします。
さやわか:MP3を落とすのはまずいんじゃないかー!?みたいに考えているのに、アーティストのPVをYouTubeで観るのは、かなり積極的に行って、コメントにアーティストへの応援メッセージを書いたりしてしまう。
ばるぼら:プロモーションだからいいんだみたいな。
さやわか:「むしろ、俺たちは役に立ってる」くらいのこと言うじゃないですか。いずれにせよ、ユーザーの中で、明文化はされないけれども「これはいい、これはダメ、これはみんなやってることだけどブログには書いちゃダメ」みたいな基準が次第に作られていってるんだなというのは感じますよね。
■ファイル交換ソフトとP2Pによるファイル共有の幕開け
さやわか:話がワレズの話になったけど、Winnyっていつできたんですかね。
ばるぼら:Winnyは2002、2003年くらいかな。
さやわか:Gnutellaとか、Napsterが2000年とかじゃないですか?
ばるぼら:Napsterが1999年、Gnutellaが2000年。
さやわか:そうか、僕がニュースサイトやってるとき、既にNapsterはありましたね。日本語化パッチとか紹介してた。しかしGnutellaの方がP2Pで優れたシステムなんだみたいな触れ込みでしたが、実際Napsterは長きにわたって使われていましたね
ばるぼら:先にGnutellaが使われたんだけど、あまりに重すぎて当時の我々の回線だとぜんぜん使えなかった。だからどっちかっていうとNapster。中央サーバに繋いでダウンロードするほうが、使いやすかったんですね。
さやわか:2000年の時点ではP2Pが流行るほど高速回線は普及してなかったんですかね。しかしその前後からワレズの中心はウェブから専用ソフトに移っていったんですね。ウェブのワレズが決定的に終わるのはいつだったんでしょうか?
ばるぼら:2001年くらいに、海外のサーバがどんどん閉鎖していって、ウェブ上のワレズサイトが消えていくんですよ。
さやわか:なるほど。そこでまさに2001年にWinMXが登場してますね。Napster互換のプロトコルを使った中央サーバ型のファイル交換機と、独自プロトコルを利用したサーバに頼らないピュアP2Pを使っていたと。そういえばそうでしたね。Napster互換機能を持ちつつ、WPNという独自プロトコルの交換機能を持っていた。
ばるぼら:互換ソフトはいつくかあったんだけど、中央サーバから互換ソフトが締め出されて使い物にならなくなった後に、独自プロトコルを持ってたからWinMXが残った。そんな気がしてきた(笑)。
さやわか:なるほど。あとチャット機能があったのがよかったとか?
ばるぼら:交換が流行ったんですよね。「だからWinMXはやめられない」みたいな。
さやわか:なるほど。ちなみにWinMXは、最終的に2005年にアメリカの最高裁でダメって言われて、全ネットワークが閉鎖したらしいですよ。そのときは既に日本のユーザーはWinnyに移行していたと思うんですが、Winnyが盛況になったのはどのへんなんでしょうね。
ばるぼら:WinMXのユーザーが逮捕されてからですよね。初期はまだWinnyとWinMxは競合してたと思うんですけど、WinMxがバージョン3だか4になった時に自分がダウンロードするにはほかのユーザーにアップロードをさせなきゃいけないという「交換」しかできない方式になって、それでもっと気軽にダウンロードをバンバンしたいっていう人たちが一気にWinnyに流れていってしまった。
さやわか:インターネットで調べてみると(笑)、Winnyの最新版は2003年で作ったのは2002年の5月6日だそうです。なるほど、じゃあゼロ年代初頭についてまとめてみると、インパクのおかげで日本にIT革命が起こってインフラががんがん整備された結果、「これを使ってこういうことをしましょう」とユーザーが選択したのがWinnyだったということですね。森首相もきっと喜んでいたでしょうね。
ばるぼら:THIS IS ITですよ(笑)。
さやわか:大喜びですね(笑)。いや、なるほど。常時接続環境が来て、まず最初に「これがIT革命だ、これはヤバいわ」みたいな可能性が、P2Pで巨大なデータをやり取りできる点に見出されたんでしょうね。ブログのブームとかはそのあとになるんだ。
ばるぼら:この頃はまだギリギリWeb1.0の雰囲気が残ってる。
さやわか:まだ90年代のインターネットの、個人のものとして、違法性、アングラっぽいノリを残してますよね。やっぱりブログのブームっていうのは一気にそこをはずしていく感じだったんでしょうね。
■Twitterへと至る短文投稿の先駆けは?
さやわか:さっき、「ブログはとにかくそれまでのホームページより簡単に更新ができた」という特徴が注目されたという話をしましたが、最初のブーム以降もその流れでどんどん人が増えていったんでしょうかね。
ばるぼら:2003年にはもうモブログっていう、携帯電話でブログを更新するスタイルが始まってて、そのときにワタシは「どんどん簡単に投稿できるようになって、どんどん考えなくなる投稿が増えるだろう」っていうことを言ってたんですけど。
ばるぼら:そういうことになってしまった。
さやわか:予言した通りになったんですね。
ばるぼら:ほんとにそうなった!と、非常にうれしい(笑)。
さやわか:「しょこたんブログ」っていつできたんですかね。ちょっとインターネットで調べてみよう(笑)。えーと、2004年11月に開設されてからずっと更新し続けて、2006年の4月には総アクセス数が一億ヒット。さらに2007年の2月には5億件を突破する超人気サイトとなり、そのため以前は眞鍋かをりが「ブログの女王」と呼ばれていたのに「新ブログの女王」と呼ばれるようになった。
ばるぼら:ありましたね。眞鍋かをりさんは凄かったんですけどね。
さやわか:過去形じゃないですよ! いまも全く問題なく凄くて凄い方でいらっしゃいます。ブログの女王だった当時はまあ、メガネがどうとかで非常に注目されましたよね。
ばるぼら:メガネをかけたエントリのコメント欄がすごいことに!というやつね。芸能人がウェブでそういうことを始めるっていうのが割と新鮮だった。普通の、一般人のものだと思っていたところに、テレビとかで観る人が入ってくると非常に新鮮というか、見え方が変わってくるんですよね。Twitterもそういう感じがありますよ。
さやわか:確かに。別に全然興味がなかったミュージシャンとかがTwitterを始めると、なんかその人がやけに好きに感じてくる! みたいな感じになるわけですね(笑)。
ばるぼら:それにしても懐かしいですね、「しょこたんブログ」。
さやわか:「しょこたんブログ」はしかし、どんどん簡単に投稿する、とにかく一日何回も更新するっていう点でTwitterにもつながっているんですかね。
ばるぼら:つながってる感じがします。Twitterで誰もがしょこたんになれる!
さやわか:「しょこたんブログ」のブレイクが2005年だから、いわゆる第一次ブログブームが、「言いすぎ?」から個人サイトの「アルファブロガー」が登場するあたりだとしたら、第二次ブログブームは「しょこたんブログ」のような芸能人が登場して、ライブドアブログの盛況に象徴された個人ブロガーの増加でしょうね。
ばるぼら:ライブドアブログが2003年末で、ココログが2004年末。後半にだんだん盛り返してくるアメーバブログとか。チャンネル北国TVとかもありましたけど。
さやわか:あと2ちゃんねるの2ログとか、ドブログとかなんかいろいろありましたね。でもそういうのは淘汰されていった。このへんは昔の無料ホームページサービスとかがばーっとできてから統廃合されていったのに近いですかね。で、今はアメーバブログが覇権を握ったということになるんですかね。しかしライブドアブログが盛況だった頃と、今のアメーバのやり方ではもう一世代くらいまたいでいる感じはしますね。ライブドアブログは今のアメーバのやり方ほど、とにかく芸能人ブログを売りだすみたいな感じではなかった。あくまで個人ユーザーの注意を引くために芸能人を使っているという印象が強かったです。あくまで芸能人の○○さんもやっているのと同じブログが一般庶民のあなたにも簡単に開設できますよ、という匂いがしましたね。あ、思い出した。「しょこたんブログ」はヤプログとかでやってたんですね。ヤプログがいまだに生き残ることができているのも、「しょこたんブログ」がユーザーを集めてくれたおかげかもしれません。
ばるぼら:そうだそうだ。ヤプログから移るときに凄く哀しいエントリーをあげてた(笑)。凄い思い出があるのにみたいな。
さやわか:それが今やもう、いろんなブログサービスを渡り歩いてますけどね(笑)。
■しょこたんブログとYouTubeが2000年代半ばを……?
ばるぼら:YouTubeのせいで、2000年代半ばのアニメブームが起きた気がしますね。過去放送が観られるっていうのはすごく大きかった。あそこで一時的にバブルになって、いきなり放映本数が増えた感じがします、私の中では。
さやわか:YouTubeには、なんとなく最初っからいろんな動画をどんどんアップしまくれた気がするんだよなあ。
ばるぼら:最初はめちゃくちゃ上げてたんだけども、確かその次の2006年の春、3月くらいに10分制限になって。
さやわか:なるほど。とりあえず1年間は放っておかれたんですね。インターネットで調べると、2006年の2月になってまずNBCが「サタデーナイト・ライブ」の動画を削除。以後、着々と削除されるようになっていったようです。3月には10分を超える動画のアップロードに制限がかかって、その年の6月にはアニメなんかがどんどん削除されるようになる。でも削除されるようになったとはいえ、いまはバラエティ番組とかは速攻で消されるけどアニメなんかだと意外と残ってますよね。
ばるぼら:オープニングとエンディングはもう、ほとんど消されない感じになってきましたね。
さやわか:アニメ業界の人に「ここにアップされて人気を博するのは自分たちにとってもプラスなんだ」みたいに思われるようになったタイミングっていうのは何だったんですかね。「ハルヒ」ですかね、やっぱり。
ばるぼら:そうかもしれないですね。あれが2006年ですか。
さやわか:2006年ですね。YouTubeでは世界中のユーザーがハルヒダンスとか踊ってましたからね。
ばるぼら:YouTubeを使ったウェブマーケティング大勝利!みたいな感じですね。
さやわか:その直前である2006年の4月から7月にかけて、つまり「ハルヒ」が放送されている間にはYouTubeはアニメなどの大削除が行なわれていたんですけどね。いずれにしてもアニメはYouTubeをバランスよく使っていくことになりつつあったわけですね。
ばるぼら:でもYouTubeの使い方ってテレビ番組をあとから観るっていう感じだったのに、ハルヒのダンスをみんなが真似して踊るとか、全員で同じ格好して駅前に突然集まるとか、個人制作がここでちょっと食い込んできたような気がしますね。
さやわか:でも僕のイメージでは、YouTubeが流行した2006年はまだ「外人さんが面白い」みたいな感じではあったんですよ。外人さんめちゃくちゃしてる、みたいな。「日本人はやっぱり恥ずかしがり屋だからダメねー」みたいなベタな日本人像みたいなので説明できていた。だからハルヒダンスとかはわりと特殊な例として日本発であり日本人が演じる動画コンテンツという印象だった。しかしハルヒダンスはテレビの放送が終わってからもみんなずーっとやってましたよね。年中やってたみたいな感じ。その流れの中で制作者側も「これは凄い、YouTube使えるわ」みたいなことになったんでしょうね。
ばるぼら:やっぱり、それ以降のアニメのオープニング&エンディングで踊ってるシーンか妙に増えた。真似て欲しいんだろうな。
さやわか:そうそう。それと同時に、ああいうアニメの技術レベルもどんどん上がっていったように思うんですよ。「ハルヒ」の頃は音楽とアニメキャラクターの動きが合って踊ってるっていうだけで「すげーなこのアニメ!」みたいな感じだったのに、今や音と動きがちょっとシンクロしてるくらいではもう何とも言われないですからね。
ばるぼら:ちょっとでも動いてないと、手抜きっぽく思われる。
さやわか:今ではもう、動きがシンクロしてるかどうかどころか「その踊りが振り付けとしてかわいいかどうか」くらいのところに焦点は移ってるわけですよね。
■ニコ動でニコニコできる人・できない人
ばるぼら:そうですね。プレオープンは2006年12月。感覚的にハルヒとニコニコ動画を一緒に考える人が多いんですけど、ニコニコ動画は一年後なんですよね。
さやわか:そうなんですよね。でもニコニコ動画もいきなり「踊ってみた」が大ブレイクしたわけじゃなくて、最初は「こなああああゆきいいいいい」とかみんな歌ってましたよね、確か。何に使っていいのかよくわからない感じだったんですけど、とりあえずみんなで「粉雪」って言ったら面白いよみたいな。あとは「テニミュ」みたいに、動画の内容にコメントで別の文脈を与えるとか。おそらくそこから空耳とか替え歌に派生していって、「おっくせんまん」とか「エアーマンが倒せない」みたいなヒット曲につながっていったんじゃないですかね。
ばるぼら:私は普通に、ニコニコ動画のほうがアニメが10分区切りじゃなくていいなという感じでしたけど。
さやわか:ほう、なるほど。じゃあ違法コンテンツをご覧になるっていう活用法なんですか?
ばるぼら:いやいや、ぜんぜんコンテンツは違法じゃないですよ。
さやわか:なるほど、問題ないクリーンな動画を。
ばるぼら:そう、クリーンな動画をいっぱい観てたんですよ。Perfumeの動画もいっぱい観ました。
さやわか:ああ、ばるぼらさんは、『QuickJapan』でPerfumeにインタビューして、聞いてましたよね。「YouTubeとかで大人気てすけどどうですか」とか。Perfumeが「そうなんですかー!?」みたいなことを答えたっていう。
ばるぼら:「えーっ、そうなんですかー、観てみます」という感じのことを言われました。あのインタビューは色々経緯があってですね、Perfumeのアルバム(2006年8月発売)の初回生産枚数2万枚のうち2000枚がニコニコ動画経由で売れてたんです。10%がニコニコ経由で売れたという恐ろしい現象が起きて、レコード会社も無視できないんですよね。だから『QuickJapan』でYouTubeのことメンバーに聞いていいですよって言われてるんです。
さやわか:僕も『QuickJapan』でインタビューしたときに、「YouTubeとかそういう話してもいいですかね」みたいなことを関係者の方に聞いたんですけど、どんどん皆さんやってくださいとは言わないし、黙認だとも言わないけど、まあ「いい感じに無視」みたいな感じでしたね。
ばるぼら:ああいう動画サイト経由でPerfumeを知った人があまりにも多かったから活用できたってことなんでしょうけど。だからこそPerfumeの動画が後で一回消されたときにみんながものすごく騒いだんですよね。
さやわか:まあPerfumeに限らず、さっきの「ハルヒ」みたいなアニメもそうだと思うんですけど、彼らにとって利益を生み続ける限りは黙認されるんでしょうね。同人活動とかもそうだと思うんですけど。日本のネットでは著作権意識が厳格なところがあって、悪いことやってるからダメだろとか法律に書いてあるからダメでしょみたいなノリがけっこうあるんだけど、そのへんが微妙にゆるくなっていったんですかね。
ばるぼら:日本のほとんどの法律がそうなんですけど、日本人全員がなんらかの法を犯していて、いつでも捕らえられるんだけど捕らえないよってするための法律になっているんです。著作権の管理も基本的にはそういうふうになってるんですよね。立ちションも、赤信号無視も、スピード違反も全部そうですけど、目に付かない限りは放っておいて、でも違法状態にしておくという、うまい管理方法なんですな。
■作ってみたり・歌ってみたり・踊ってみたり
ばるぼら:別のキャラクターに描き換えるやつとか、ありましたね。
さやわか:そうそう。あれも「らき☆すた」がらみのものが初期のヒット作でしたね。まず「らき☆すた」のオープニングアニメを手描きで作ってみたっていうのがあって、それに色をつけてみたっていう人が現われて、みんながすげーすげーって言っているうちにだんだん手が込んできて「じゃあキャラクターを置き換えてみよう」みたいなことが始まった。やっぱりこの時点ではまだ「歌ってみた」「踊ってみた」とか、あるいは作曲だの創作だのみたいなのはニコニコ動画の超メインストリームというわけではなかったと思います。どっちかっていうと「アニメーション作家に僕らもなれるんだ」とか「日本はアマチュアであろうとアニメ技術はすげーぞ」みたいな、そういうノリですよね。
ばるぼら:あの時言われてたのは、確かMADの新しい潮流が生まれ始めた、っていう感じだったと思う。
さやわか:そうそう。たしかにMADという文化としては明らかに新しいステージになっていた。本来MADというのは極めてアンダーグラウンドなもので、ブログ以前のサイトの時代だと人に見せること自体がタブーそのものでしたからね。これはみんなちゃんと記憶しておいて欲しいんだけども、かつてMADはアップロードしてダウンロード可能な状態にしてしまうことイコールまずいことだったので、MAD作家がみんなで区の公民館みたいなところを借りて、そこでみんなでMADの上映会みたいなことをやってファンに見せていたんですよね。
ばるぼら:すごく効率の悪いというか、それくらい作っている自分たちに違法という意識があった。これは面白いから、仲間内で楽しむかなって感じのものだったのに、急激に一般化した。初期のニコニコ動画で非常に貴重なMAD動画を集めてた気がしますね(笑)。80年代のとか。
さやわか:僕はMAD作家の人にダビングしてもらったビデオテープしか持っていなかったものがいきなりエンコードされてバンバン公開されていたんで、何かが明らかに変わったなと思いました。たぶん2007年ごろはそういうノリだったんですね。それが……。
さやわか:そうですね。初音ミクは2007年の8月31日ですね。そこまでは、音楽は「エアーマンが倒せない」みたいなブレイクはあったし、「歌ってみた」の流れも若干あったんだけど、初音ミクの登場によってもうちょっと違うステージになるわけです。まず、大きいのは作曲家へのツールとして初音ミクが登場したことで、完全に自分たちで曲を作る、創作のほぼあらゆる要素を自分たちで賄うということが当たり前になったんですよ。
ばるぼら:9月の最初の週だったと思いますけど、あの有名な「みっくみくにしてあげる」の曲がアップされて、そこから「なんだこれ?」「ボーカロイド?」ってみんなが知った感じでしたよね。ネギを持ってまわすのも別の動画の元ネタがあったはずなのに、いつの間にか初音ミクの公式設定に組み込まれてしまった。
さやわか:キャラクターがみんなで作られていっちゃうのが、だんだん一般化していったんでしょうね。二次創作を自然なこととして受け入れる環境が作られるみたいな。
ばるぼら:今までDTMには、テクノっぽいインストを目指す人たちと、J-POPを目指してる人たちの二つの流れがあって、でもJ-POPの人たちはボーカルがいないからずっと日陰にいたわけですよ。そこに初音ミクが登場して、それを使えばみんなが聴いてくれるということで、インストじゃないJ-POPの人たちが表に出るきっかけになったんですね。そういう流れが2007年末くらいにあって。
さやわか:なるほど。初音ミクもそうだけど東方Projectとかもニコニコ動画の環境があってこそ盛り上がってますよね。それまでもずーっと東方Projectというものは存在したんだけれども、ニコニコ動画が二次創作を生み出す空間として機能し始めてから躍進した。
■青春のFLASHアニメーション
ばるぼら:ああ、Flashの話を忘れてましたけど。
さやわか:創作系の動画コンテンツとしては先行していた、Flashのムーブメントですね。2002年くらいになるんでしたっけ。もっと前になるんですか?
ばるぼら:「hatten」とか「つきのはしずく」とか「ゴノレゴ」とかが2001年に話題になるんですけど、2ちゃんねるにFlash板が出来たのは2002年ですね。
さやわか:しかしFlashのムーブメントはあるんだけれども、そこで一般化されたという感じまではいってなかったんじゃないかなあと思うんですけど。
ばるぼら:ピークは2003〜2004年ですかね。2002年末に「紅白Flash合戦」ってイベントがあって、とりあえずそういうイベント見ればいいらしいぞって話になってきたような気がする。2003年には新宿ロフトで「FLASH★BOMB」。
さやわか:僕がFlashのムーブメントを見てて思ったのは、どうしてもモナーみたいなキャラクターを主体とせざるをえない歯がゆさみたいなのがあったんですよ。それと、物語性のあるものはたいてい音楽は著作権フリーのところから借りてきましたみたいなことが書いてあるのにも居心地の悪さを感じた。当時としては仕方のないことだったんだと思うんだけど、アマチュアの制限の中で苦しんでいる感がすごくあった。今のニコニコ動画とか初音ミクのコンテンツだとそういうタブー意識とかがスコーンと抜けてしまって、自由自在に「創作のためのパーツはどこからでも引っ張って来るんだ」みたいなメンタリティを感じる。そうすべきだというんじゃなくて、そういう雑食性は二次創作ありきの空間で創作する人たちから出てくる態度としてすごくあり得るなあと。音楽くらいだったらもう、何にも考えないで人のものを使いますよね。
ばるぼら:もうそれが当たり前なんですよね。
さやわか:キャラクターも、うまい具合に初音ミクみたいなものが出てきたんですよね。モナーよりはなんかキャッチーさがあるじゃないですか。モナーを使う時には昔の2ちゃねんねるのノリみたいなものを、どうしてもある程度追認しないといけなかった。使っている人たちはどう思っていたか分からないけれど、モナーにはバックボーンがありすぎる。
ばるぼら:背負ってない軽さ、汚されてない無垢さがね、非常に使いやすかったんだと思うんですけど、初音ミクは。だからFlashも、2005年はなんとか乗り切ったんだけど、しかし2006年後半にはYouTubeも出てきてしまって、普通のテレビのアニメの動画があるなら、個人が作るアニメよりも、そっち観たほうが楽しいよみたいな雰囲気が若干でできてしまった感じ。あとちょうど2ちゃんねる発のFlashイベントが商業化して、なんとなくみんな一回冷めてしまうんです。あと学生で制作者だった人たちが就職して、新作を作らなくなるとかね。ようするに、Flashの作者って若かった。
さやわか:じゃあ、ひとつの世代にとっての青春的なものなんですね。
ばるぼら:そう。受け継がれなかった、案外。もちろん今も作ってる人はいるんですけど、絶対数が減ってる印象。2009年の夏に、ポエ山さんっていうすごく有名な方が、コラボレーションで「LOL -lots of laugh-」っていう初音ミクの動画を作ってましたけど、それはすごくよくできていた。そういう才能のある人がバンバン出てくるっていうことが、Flashコミュニティじゃない場所に移動してしまったのかも知れないですね。
■パーソナル編集長の時代?
さやわか:今や、みんなアニメーション作るときは、Flashを選ばないでしょうね。
ばるぼら:編集ソフトでMADを作る方が簡単だしね、しかもアクセスは集まるし。
さやわか:簡単に人のものをひっぱりこんでくるっていうマッシュアップ的なことっていうのが、「マッシュアップって凄いんだぞ」っていうレベルですらなく、ごく当たり前のこととしてなされているということですよね。なんでもないことのように。
ばるぼら:キャズムを超えた(笑)!
さやわか:マッシュアップ、キャズム超えたわ(笑)。でもそれは、僕が今日言おうとしたことに結構関係があるんです。ゼロ年代のインターネットはもちろん、ゼロ年代自体がどういうものだったのかっていうことを僕も考えてたんだけど、最近そういう話をしているのはほとんどみんな90年代後半からゼロ年代前半のフレームでしか語ってない人ばっかりで、非常に歯がゆいなあと思ってたんですよ。「90年代後半はこうだったから、ゼロ年代前半はこうなった」という話はわりとみんな興味深い話をしてくれるのだけれど、「ゼロ年代前半はこうだったから、ゼロ年代後半はこうなった」っていう部分と、「ゼロ年代後半がこうなったから、10年代前半はこうなる」という部分はどうも曖昧なものが多い。そんなに物事はコロコロ変わったりしないよなんて言う人もいるんだけど、それは思考停止に近いわけで。だから僕は、じゃあゼロ年代の後半はそれ以前と比べてどういうモードに変わったのかなと考えたんだけど、たぶん編集能力の高さみたいなものが個人に届いたのがゼロ年代後半じゃないかと思うんです。
ばるぼら:ここでいう編集とはどういう編集ですか?
さやわか:かなり大きく捉えていて、断片を組み合わせて全体を作るという意味です。まあ雑誌の編集なんかもそうですけど、雑誌編集というのは一般読者にはイメージとして分かりにくいので、パーツを選択してアレンジする、という言い方の方が通じやすいと思うんですが。そこには、さっき言ったようなマッシュアップ的な、いろんなところからデータをもって来て、素材を選びだして、何かひとつの作品なり文脈なり、物語なりを作ったりすることも含まれます。
ばるぼら:ということは一から作るということではなく、ありものをまとめて新しい価値を生む、みたいな?
さやわか:そう。パーツとパーツを組み合わせて何かを作るということ。この話をインターネットに当てはめると以下のようになります。90年代からゼロ年代前半のIT革命、つまりおそらくはブログの発展までの過程がユーザーに与えたのは、「みんながパブリッシングできる」ということなんですよね。ブログはあの時点においてはそのほとんど究極の形だった。だからゼロ年代の前半まではパブリッシング、つまり個人が情報発信をしていくことがどんどん簡単になっていく時代だと言える。
ばるぼら:では後半は?
ばるぼら:パーマリンクのせいですよね。
さやわか:そう。僕も読んだ当時「そうだよなあ」と思ったんですよ。ブログは次々にパーマリンクを吐くので、一個一個、記事が分断されてしまって、つながったものとか、全体で意味を成すものっていうのが凄く作りにくい。そういう環境はコンテンツを個別のものにしてしまうから、たとえば「ブログ全体が何を言っているか」という文脈を読者に意識させにくいし、また「編集」という行為を成り立ちにくくしてしまうということで2007年の時点では懸念すべき事態だと僕は思ったんだけど、今ではコンテンツの受容者の側がバラバラになったいろんなものを組み合わせて、むしろナラティブなものを作ってるような状態なんですよね。それで、なぜゼロ年代の中期にナラティビティが失われるように感じたかを考えると、ナラティビティが成り立ちにくいと思った頃は、ネット上では企業とウェブサービスが主役だったんです。90年代とかゼロ年代前半ぎりぎりまでは強力な表現者が作り出すコンテンツが主役だったんだけど、半ばごろから企業が主役になって個人が作ったコンテンツをどんどん等価に並べて、一方で個人はコミュニケーションを行うことのみを志向するという過程があったわけですよ。
ばるぼら:『教科書〜』でしばさんにインタビューした時に、「今後は有名な個人じゃなくて、有名なウェブサービスが主役になっていってしまうんじゃないか」と、ワタシはそういう予想をしました。
さやわか:ゼロ年代中期は、まさにそうなったんです。なぜそうなっていったかっていうと、ゼロ年代中期においてデータのスクレイピングができるのは企業だけだった。ブログがどれだけデータをパーツごとにわけたりとか、Googleがどれだけキーワードに親和性の高いページを一覧表示できたとしても、あるいはYouTubeがどれだけ個人が生み出した動画ファイルをストックしていると言っても、それらのデータを自在に引っ張り回して面白いことをできるのは個人ではなくて結構大きなシステムをもった人たちだけだった。
ばるぼら:ゼロ年代中盤以降にちょっとしたウェブサービス開発ブームがあったじゃないですか。GoogleマップのAPIを利用したマッシュアップサービスとか。
さやわか:ああいうのをやっていたのってベンチャー企業とかせいぜいウェブ開発に関心のある個人とかで、一般ユーザーにはほとんど関係なかったんですよね。それが中期を過ぎて、もう一回揺り返しじゃないけれども、ある程度成熟したサービスの上で個人がコンテンツを作るというモードになっていくんですよ。しかも、そこでじゃあ昔と同じようにただ文章を書いたり、Flash作ったりとかするのかと思ったら……。
ばるぼら:そうではなかったと。
さやわか:そうではなくて、各個人がかつてなら手に入れられなかったような強力な編集ツールを使って、かつてならプロしか知らなかったような技法とセンスを持って、当たり前のようにマッシュアップの作品を作る。そういう状況になってるんじゃないかなあと思ったんです。これは明らかにゼロ年代後半から加速度的に進行している事態で、だからゼロ年代後半から10年代のむこう3年くらいまでは、「編集」ということがキーになるのではないかと僕は思ってる。
ばるぼら:なるほどね。2000年代の真ん中くらいに2ちゃんねるのまとめサイトってめちゃめちゃ流行りましたよね。あれがブログ以降の“個人の編集”の最初なんですかね。最初というか目立ったのかな。人力ウェブサービス。
さやわか:そうですね。あれが嚆矢で、そのあとで初音ミクみたいなものとか、だんだん強力なマルチメディアになっていくというのが、僕のイメージなんですよね。最初はまとめサイトみたいなもので個人が掲示板のログをスクレイピングするというか、文字通りまとめていく能力を発揮していったんだと思うんですよ。あれって完全にサイト運営者が文脈を作ってるわけじゃないですか。一時期「スレッドの内容をコピペしてアクセス数を稼いでる」みたいな批判もされたんだけど、やっぱり今ではみんなそんなこと言わずに、むしろ各まとめサイトの管理人の編集手腕を楽しむようになったんですよね。これも、実はさっき言ったような規範意識の移り変わりの一つなのかなと思っています。
構成・文=ばるぼら・さやわか
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)『NYLON 100%』(アスペクト)など。『アイデア』不定期連載中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/
さやわか ライター/編集。『ユリイカ』(青土社)等に寄稿。『Quick Japan』(太田出版)にて「'95」を連載中。また講談社BOXの企画「西島大介のひらめき☆マンガ 教室」にて講師を務めている。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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