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『コージ苑 第二版』 著者=相原コージ 出版社=小学館 発売=1988年11月1日

特集『四コマ漫画とその周辺』
ストーリー四コマと時間の連続

今では一般的になったと言える「ストーリー四コマ」はどのように生まれ、どのように進化してきたのか。名レビュアー・さやわか氏が、代表的なストーリー四コマ作品におけるコマ同士の時間的な繋がりに注目しながらその成り立ちを分析します。
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相原コージ『コージ苑』の第二版(1988年、小学館)には、「連続大河四コマとは?」という文章が収められている。これは辞書のパロディとなっている本作単行本の衒学趣味を演出する意図で載せられたものだが、しかし後に「ストーリー四コマ」と呼ばれるようになった一連の四コマ漫画の形式について自己言及的に定義を試みた文章として最も古いものだと考えられる。そこには次のように書かれている。
現代漫画は、その形態からコマ漫画(定型漫画)とストーリー漫画(非定型漫画)の二つに大きく分けることができる。
このうちコマ漫画は、一般にコマの数と寸法が常に一定であり、その展開も一定の作法(起承転結、序破急など)に従うのが普通である。ことに四コマ漫画は、起承転結が最も有効的に、しかも端的に機能しうる形式としてコマ漫画の主流をなしていることは承知の通りだ。
しかし近年、漫画表現の高度化に伴い、従来の〈起承転結〉セオリーではとらえ切れぬ四コマ群が輩出するに至った。一コマ目にいきなり結論が呈示されたり、時にはオチすら定かではない四コマの出現である。(詳しくは第一版「四コマ活用表」を参照されたい)
相原コージはこれら〈自由律〉四コマの開拓者の一人であるが、彼はさらに『コージ苑』第一版において、かつて何者も試み得なかった未踏の領域を開拓したのであった。「丸山君とノッコ」シリーズにおける〈連続大河四コマ〉がそれだ。
これは四コマで一つの物語がオチる(完結する)という従来のセオリーを根底から覆し、四コマの簡潔性はそのままに、本来は連続ストーリー漫画にしかありえぬ〈引き〉(=盛り上げて、次号への読者の興味をつなぐこと)をつけるという、相原にしか成し得ぬ強引技である。「丸山君とノッコ」の成功に味をしめた相原は、続く第二版(本書)において、そのほとんどの作品を大河四コマ化するという暴挙に出た。ここに至って、四コマ漫画は全く新しい、わけのわからぬ次元に突入したのである。
『コージ苑』(294ページより)
著者=相原コージ 出版社=小学館 発売=1988年11月1日
『自虐の詩(下巻)』 著者=業田良家 出版社=竹書房 発売=1996年6月22日
ぼのぼの(1)』著者=いがらしみきお 出版社=竹書房 発売=1987年4月1日
『『がんばれ!!タブチくん!!阪神死闘編』 (ひさいち文庫)著者=いしいひさいち 出版社=双葉社 発売=2003年10月20日
この文章はストーリー四コマにおける『コージ苑』の先進性を意図的に(一種のギャグとして)誇張している。先行する作品としては85年から『週刊宝石』(光文社)誌上で業田良家『自虐の詩』が連載を行なっていたし、86年には『まんがライフ』(竹書房)でいがらしみきおが『ぼのぼの』を連載開始していた。さらに言えば、いしいひさいちの一連の作品、たとえば『がんばれ!!タブチくん!!』(双葉社、1979)においても複数の四コマ作品をまたいでエピソードが描かれることは頻繁にあったのである。しかし、そうであってもこの文章の指摘は重要な意味を持つ。先行する作品群が四コマという形式でありながらストーリーのようなものを形作っていったのはしばしば連載の途上においてであり、ほとんど結果的なものであったが、相原コージが『コージ苑』第二版においてストーリー四コマという手法を戦略的に採り入れたことには疑いがなく、この文章の自己言及性がそれを担保するからである。四コマでストーリーを描く可能性はここにおいて明確に意識されたと言っていい。

しかしながら、この文章では「コマ漫画」と「ストーリー漫画」が対立する形式として扱われていることに注目したい。この対置によれば、後に成立する「ストーリー四コマ」という呼称は矛盾を含んだものになってしまう。言い方を変えれば、ストーリー四コマが一般化している現在では、この二つを明確に対置させようとする考え方自体がやや理解しにくい。つまり四コマでストーリーを描くことが初めて意識された時点と今では、四コマという形式に対する我々の意識が異なっていると考えるべきである。

この文章が「コマ漫画」すなわち四コマ漫画をどのように考えているかは「四コマで一つの物語がオチる(完結する)」という言葉に端的に現われている。ここでは『コージ苑』がそれに類しないものとして評価されているが、「従来のセオリーを根底から覆し」「強引技」などの言葉を見れば、むしろ「四コマで一つの物語がオチる(完結する)」という形式性は四コマ漫画が本来備えるべきものとして強く意識されているとすべきだろう。前半で語られている「起承転結」についても同様だと言うことができる。参照を勧められている第一版の「四コマ活用表」においては『コージ苑』が起承転結にとらわれず、「転結結結」や「起転転起」などとして読むことができる破格の四コマ漫画を描いていると解説されているが、このような解説で明らかになるのはむしろ四つのコマが一単位であるという前提に対する強い信頼なのだ。つまり『コージ苑』は四つ目のコマを越えて物語が持続するストーリー四コマを自覚的に生み出そうとした作品だが、同時に四つ目のコマで一つの物語が完結するという規範にはあくまで忠実である。

現在、我々が「ストーリー四コマ」と呼んでいるものが何なのかは、ここで『コージ苑』が見せた四コマ形式に対する実直さに対するものとして浮かび上がってくる。『コージ苑』が完結した翌年の1990年に掲載された『自虐の詩』最終回は、『週刊宝石』の誌上ではわずか三ページ、五つの四コマ漫画である。そして、この五つの四コマ漫画はいずれも単体で完結する物語を備えていない。さらに言えば、この三ページだけを読んでも物語として読むことはかなり難しい。最後のコマには「完」と記されているが、掲載誌上では何が終わったのかすらはっきりしない。

『僕のかわいい上司さま(1)』 著者=小池田マヤ 出版社=芳文社 発売=1996年3月31日
ここでは『コージ苑』が試みた複数の四コマ漫画の関連付けが、より極端に意識されていると見るべきである。しかも、この最終回はその関連付けを四コマ漫画同士の時間的な連続によって極端に維持しているという点で好例である。というのも、この最終回は前回からの回想シーンが最初の四コマだけ持続しているという複雑な構成になっているのだ。むろん、単行本で読む際に私たちはこの回想シーンを前ページからの続きとして読むことができるだろう。しかし最終回を雑誌で読んだ読者は、これが回想シーンであることも、それを背景として持ったさらに大きな物語が存在するということも分からない。ここにおいて『自虐の詩』は、四コマ単位で一つの物語を完結させることを放棄して、代わりに各コマの時間的な繋がりだけをより深く重視していると言える。『自虐の詩』では作品の後半にこの傾向が強まったが、後のストーリー四コマ作品は、たとえば小池田マヤ『僕のかわいい上司さま』のように作品の序盤から四コマごとに物語として読めるまとまりを求めることよりも、時間的な連続を優先した描き方をするようになる。四コマという単位は、四つ打ちのバスドラムのように、作品全体のリズム感として作用しながら、しかし作品を分かつ区切りとしては必ずしも働かない。

『傷だらけの天使たち』 著者=喜国雅彦 出版社=小学館 発売=1988年12月5日
『GOLDEN LUCKY 完全版(上)』 著者=榎本俊二 出版社=太田出版 発売=2002年3月29日
『伝染るんです。 (1)』 著者=吉田戦車 出版社=小学館 発売=1990年11月10日
ストーリー四コマが時間的な連続を意識して発展したことには、四コマ形式の構造的な特徴が深く関係している。すなわち、非定型的なコマ割りを持つ漫画と違って、四コマ漫画は四つのコマが必ず一定の順序で進むように作られているということが、ここでは重要な意味を持った。つまりこういうことである。前述のように『コージ苑』は単行本で四コマ漫画における「起承転結」の解体を説明したが、しかし各コマの意味合いがどのように変更されても、一コマ目から四コマ目へと順に視線が運ばれていくことで生まれる直線的な時間の流れは強固に維持されるのだ。逆に言うと、通常のストーリー漫画では、たとえば離れた場所にいる複数の人物が同時に、どのように立っているかを複数のコマを一ページ内に並べることによって表現することがごく普通にあるが、四コマ漫画はそれを形式的に許さない。読者に読み進める順序とリズムを強制するために、並んだコマがシーケンシャルな時間の経過を持たないと感じさせることが難しいのである。あるいは喜国雅彦『傷だらけの天使たち』(1988年、小学館)における、各コマの大きさを変えたり形を不均一にするなどの工夫について考えてみると、その実験的手法が破綻なく「読める」のは、四コマ形式が強固な連続性に支えられてこそだという逆説が成り立つ。それは相原コージもその嚆矢として数えられる不条理ギャグ四コマ、例えば榎本俊二『GOLDEN LUCKY』(1990年、講談社)や吉田戦車『伝染るんです。』(1990年、小学館)、さらにいえば『ねぎ姉さん』などにおいても同様である。

伊藤剛は『テヅカ・イズ・デッド』(NTT出版、2005年)の中で、『ぼのぼの』を例に挙げながら、本稿が検討したような時間の連続性について的確な分析を行なっている。ただし、全体として伊藤が分析の対象としているのはあくまでも漫画一般なので、ストーリー四コマについて伊藤がとりわけ意識しているのは四コマの形式的な制約から解放されてストーリーのようなものが生成される課程についてである。そこで伊藤はコマの連続によって時間的な経過が表わされ、ストーリーのようなものが生まれるということを述べつつ、その説明には四コマを離れた漫画一般に敷衍できるような配慮を行き届かせている。伊藤の記述を具体的に引用すると以下の部分になるだろう。
(前略)私は、そうした「物語化」への指向は、まさにオチをなくすこと、つまり四コママンガとは、その四コマ単位ごとに完結していなければならない、という約束事からの解放が引き寄せた事態だと考える。
『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(67ページより)
著者=伊藤剛 出版社=NTT出版 発売=2005年
『聖★高校生(1)』 著者=小池田マヤ 出版社=少年画報社 発売=1999年7月1日
この整理は極めて明解だが、その代わり以後『テヅカ・イズ・デッド』の中で伊藤がストーリー四コマがそれでも四コマ形式を保持し続けることについてあえて語ることはない。そこで本稿の主張をもとに伊藤の説を補足させてもらうと、私たちが現在ストーリー四コマとして読んでいる作品は、四コマ形式が持つこうした時間の連続性の強固さを特に利用するジャンルであると言えるだろう。『自虐の詩』や小池田マヤ『聖★高校生』(1999年、少年画報社)、あるいは胡桃ちのの自伝的作品のように、ストーリー四コマに評伝あるいは一代記的な傑作が多く描かれるのも、四コマ形式のこの特性が長い時間を着実に積み上げながらドラマを語るのに適切だからだと思われる。同型のコマの連続、あるいは四コマ単位という形式がミニマルな反復を生むのは確かだが、しかしストーリー四コマは反復の中に生み出される変化、移り変わりこそを作品の主題に沿わせて読者に意識させる。起源的には長期連載を続ける上で偶発的にストーリー性が高まっている例がほとんどであったというのは疑いのないことだ。しかし今やストーリー四コマは非定型的なコマ割りを持ったストーリー漫画と全く異なり、明確に四コマであることを条件にした独自のやり方で物語を紡ごうとしている。

文=さやわか



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さやわか ライター/編集。『ユリイカ』(青土社)等に寄稿。『Quick Japan』(太田出版)にて「'95」を連載中。また講談社BOXの企画「西島大介のひらめき☆マンガ 教室」にて講師を務めている。

「Hang Reviewers High」
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