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新連載直前! 特別企画『異端のAV監督・ゴールドマンが来る!!』
AV監督・ゴールドマンを貴方はどれだけ知っている? 書き下ろし小説「セックス・ムーヴィー・ブルース」(詳細は記事の最後に!!)の公開を前に、その余りにも異端な業績と魅力、そして計り知れない才能について再確認すべく満を侍して放つ特別企画。第1弾はゴールドマン監督のコアなファンとして知られ、80年代から彼の情報を発信し続けているライター・安田理央氏に、ゴールドマン監督のバイオグラフィーを熱く語ってもらいます!!
後にAVのスタンダードとして定着した行為の中でゴールドマンがオリジナルというものは多い。AVにおける開拓者であり、先駆者なのだ。
その中で、最も大きな功績は「ハメ撮り」の発明だろう。AV史的に見ると、1988年に発売された「勝手にしやがれ 本番女優の素顔レポート」(伊勢麟太郎監督 KUKI)が最初にハメ撮りを全面的に使ったAVということになるが、これはそれまでの単体作品のワンコーナーとして撮られた映像をまとめたものであり、あくまでもアクセント的な意味合いが強かった。そして、二人っきりで撮影されていたとしても、それは男優と女優のセックスでしかなかった。
その一方でゴールドマンが1989年に撮影した「NEW変態ワールド なま」(アートビデオ)は、明らかにそれまでのAVとは異質な輝きを放っていた。一人の女とラブホテルの部屋(回転ベッド!)に入るところから始まり、女を縛り上げ、身勝手なセックスをして、浣腸・排泄をさせるまでの一部始終を60分ノンストップで見せる。性器にモザイク修正は入っているものの、それ以外は無編集。しかも画面は暗く、終始揺れっぱなしで何が写っているのかもよくわからない。男が終始ひとりごとのようにブツブツつぶやいていることもあり、何か見てはいけない映像を見ているような気がしてくる。タイトル通りの、その生々しいリアル感は、既存の「スタジオで綺麗に撮影された」AVとは全く別次元だった。都市伝説に聞くスナッフ・フィルム(殺人を記録した映像)のイメージのほうがよっぽど近いかもしれない。
ちなみにこの作品は、後のハメ撮りの定番となるハンディカムではなく、サングラスにCCDカメラを取り付け、8ミリビデオウォークマンをリュックに入れるという方法で撮影されている。
「ビデオザワールド」誌1989年12月号での藤木だだし(現TDC)によるインタビューでは、この「なま」について「他でビデオ撮ってる人も、みんなここに行きたいんじゃないかなって気がしますね。みんな、マネすんじゃねえぞ!と」という発言があるが、90年代に入ると、こうした生々しさを優先したプライベート感覚のハメ撮りは一般化する。
ゴールドマンが監督としてデビューしたのは1987年。アルファビデオ(アートビデオの別レーベル)から発売された「スーパーエキセントリックROADショウ 電撃!!バイブマン」が第一作となる。
その後、ゴールデンキャンディで林由美香などの単体物を数本手がけるが、ここまでの作品は、はっきりいって面白みにかけるものだった。コミカルでシュールな、いかにも自主制作映画あがりの若手監督が撮りそうな作風。ゴールドマンの強烈な個性が発揮されるのは、初めて全編を家庭用カメラで撮影した「TOKYO BIZARRE」シリーズ(1989年〜 映研)からだ。様々なシチュエーションで、ビニールテープでぐるぐる巻きにされた女性を淡々と撮ったノンヌード・ノンセックスのストイックなボンデージ作品。D.I.D.(damsels in distress=危機的状況に陥った乙女)モノと言えなくもないが、極めてアート色が強く、現代美術の作品だと言われても納得してしまうようなスタイリッシュなタッチであり、その後のゴールドマンのイメージからはちょっと想像できないほどだ。
ここで家庭用ビデオカメラ撮影(蛇足だが、「TOKYO BIZARRE」は8ミリビデオではなく、当時の対抗馬規格であったVHS-Cで撮影された)の可能性に確信を持ったゴールドマンは「なま」を構想するのだが、当時は業務用機材以外で撮られたクオリティの低い映像を商品として流通させることにどのAVメーカーも理解を見せず、結局「なま」はゴールドマンが自主制作したものをメーカーが買取るという形でようやく発売にこぎつけたという。
それほど当時はゴールドマンの「なま」は革新的だったということである。
やはり現在、完全にAVに定着した「痴女」「淫語」というジャンルを切り開いたのもゴールドマンだ。
その始まりは、1994年から撮り始められた「THE フーゾク」シリーズ(クリスタル映像)にある。この頃、盛り上がり出したイメージクラブや性感ヘルスを中心に、風俗店でのプレイをそのまま撮影するという作品だ。風俗AV自体は、古くから作られていたが、ハウトゥ物にしたりバラエティ風に構成したりと、ひねった内容にしたものばかりで、プレイをリアルに生撮りするということは、コロンブスの卵的な発想だったのだ。「なま」にも通底するこの手法で撮られたこのシリーズは大ヒットを記録し、20作以上が制作されることとなる。
そうした新風俗の中に言葉責めを得意とする「性感系」「美療系」と呼ばれるジャンルがあった。SMクラブから発生したと言われる風俗で、前立腺マッサージなどと共に、男性客を女性扱いしたり、いやらしい言葉で辱めたりして、マゾ的な興奮を刺激するのが特徴。女性は下着まで脱がずに客からのタッチもさせない店が多いなど既存の風俗とは一線を画していた。代々木忠監督の「いんらんパフォーマンス」シリーズ(アテナ映像)などに出演し、話題となった南智子などがその代表的存在だ。
「あなたのおまんこ、こんなにヌルヌルになっちゃってるわ」「ほ~ら、すっごい恥ずかしい格好よ。全部丸見え」などという独特の言い回しで淫語を連発し、ネチネチと責めるそのプレイは、いわゆる女王様とも違う、新しい淫乱女性像を提示していた。
これに衝撃を受けたゴールドマンは1995年から「私は痴女」(クリスタル映像)をスタートされ、これが大ヒットする。もともと官能小説やエロ漫画の愛読者で卑猥な言葉への興味が強かったゴールドマンが、性感風俗嬢のスタイルをベースに、独自の痴女像を作り上げたのだ。
それまでにも、AVでは1986年の黒木香の登場や、1988年の豊丸を頂点とする淫乱ブームなど、性欲に対して積極的な女性像が描かれることは多かったが、そのいずれもが基本的には男性に対して受身であり、自ら男性を責めることで快感を覚えるという「痴女」像は、斬新なものだった。
AVに本格的な痴女ブームが巻き起こるのは、それから数年後の2000年代に入ってからだが、その源流のひとつとしてゴールドマンの「私は痴女」があることは間違いないだろう。
もうひとつ、意外に知られていないのだがゴールドマンは「ザーメン」「ぶっかけ」のジャンルでも先駆者だった。
ザーメン物AVは90年代初頭からラッシャーみよし監督がハウスギルドでマニアックな作品を作っていたり、1995年頃からシャトルワンがコスプレのぶっかけ作品を出すといった動きがあったが、ゴールドマンも1995年に「ザーメンくらぶ」(クリスタル映像)というシリーズをヒットさせている。
特筆すべきは、この作品では女優にバケツでザーメンを頭から被せるなど、膨大な量を使用しているということである。それは明らかに本物ではなく擬似ザーメンなのだが、非日常的な量を女優にぶっかけるというのは、その後の大量ぶっかけブームを先取りしているわけだ。
ハンディカメラ撮影による生々しいリアルさを追求する一方で、あえてドキュメント志向にはいかずに、痴女や大量ぶっかけなどの漫画チックともいえる過剰な妄想世界を展開させるのがゴールドマンの特異な点である。いわば狂ったエロ漫画の世界をドキュメント的に撮影しているような独自の作風。
それゆえに、大田ケンイチや大熊金太郎などの弟子筋の監督はいるものの、正当な後継者は現われなかったし、AV史の中でも触れにくいスタンスにあるのかもしれない。恐らくそれが冒頭に書いたゴールドマン不当評価につながっているのだろう。
90年代後半になると、急にAV監督としてのゴールドマンの活動は失速する。その頃は数々のヒットシリーズを手がけ、「確実に売れる」監督のひとりとなっていたが、それが本来はアンチ的な資質を持っているゴールドマンにとってはストレスとなったようだ。
AVを撮る意欲は薄れ、それまでも地道に続けていたミュージシャンとしての活動に力を入れるようになっていった。
そして2001年には、AV監督引退を宣言し、アメリカへ渡る。異国の地でミュージシャンとして活動するつもりだったという。
しかし、一年ほどで帰国。AV業界に復帰するも、以降はほとんどハメ撮り男優として依頼された仕事をこなすばかりで、かつての開拓者としての輝きを見ることは出来なかった。それでも、ゴールドマンが画面に登場すると、その独特のしゃべりとカメラワークでたちまち独自の世界を築いてしまうのだが。
その活動の初期から、ゴールドマンに関わってきた筆者は、彼に会う度に「また本気でAVを撮ってよ」と言う。言わずにはいられないのだ。
現在のAV業界は、特異な才能を求めてはいない。ゴールドマンと同時期に注目され、鬼才と呼ばれた監督たちは、カンパニー松尾を除くと、ほとんどが業界からフェードアウトしつつある。
しかし、ゴールドマンなら、そんな状況の中であっても、全てをひっくり返すような作品を作ってくれるのではないかと期待してしまうのだ。
最近、筆者はインターネットのストリーミング放送である「DAMMUNE」というプログラムで、ゴールドマンが90年代に作ったものや、最近撮り下ろした自主制作の実験映像をいくつか流したところ、想像を超える大きな反響があった。かつての人気AV監督としてのゴールドマンを全く知らない層にも、彼の天才は伝わったのだ。
筆者が最初にゴールドマンのAVを見て、衝撃を受けてから20年以上が経つ。AVでなくともいい。どんな形の作品であれ、ゴールドマンに、また衝撃を受けたい。
筆者はゴールドマンのファンであり続けたいのだ。
文=安田理央
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10.07.17更新 |
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