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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破』に端を発する
鼎談:泉信行 x さやわか x 村上裕一 2010年代の批評に向けて 第三回

ゼロ年代も残すところあと3カ月あまり。世に溢れる多種多様なコンテンツの中でも、アニメに対する関心度が一際集まる10年間だったように思います。そんなゼロ年代の最後の年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破』。この作品を通じて行なわれた批評家たちの熱い対話の軌跡を全3回の特別企画としてご紹介いたします。

編註:この鼎談が行なわれた経緯は、泉信行氏がブログ上でさやわか氏のエントリについて言及した際に、さやわか氏がコメント上で「一度ゆっくり意見を交わしたい」と言われたことに端を発し、泉氏が日程を調整中のところ、時期の重なる夏コミ3日目の評論島にて村上裕一氏に話しかけられ、泉氏が村上氏をさやわか氏との会合にお誘いしたことで2009年8月22日に秋葉原にて実現したものです。 その際に録音されていた音声データをWEBスナイパー編集部が再構成を行ない、出席者の方が加筆修正された原稿を鼎談記事として掲載しています。
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■スピノザの自存力/ハイデガーの本来性

村:『破』の最大のクリティカルポイントは何なんですかね。

さ:僕は鶴巻がんばったね、今のリソースをすべて使い尽くすっていうのはこのやり方しかないよね、っていう。『序』は“ReBuild”という名の下に、REの部分があるんですよ。参照先としての『旧エヴァ』というのを意識しながら、簡単にいえば焼きなおす。『破』は参照法としては使うけど焼き直しではない。別の物語を捏造しているなと。

『人間の土地 』著者=サン・テグジュペリ 翻訳=堀口 大学 発売= 1955年4月 出版社=新潮社
泉:僕は『トップ2』までに至る、これまでのガイナ作品のテーマを取り込んでくれたとしかいいようがない。『トップをねらえ!』シリーズ がやってることって、――これ村上さんと話してみたかったことなんですが――スピノザだと思ってるんです。有名な汎神論のほうではなく、自己保存力、自存力で解釈する方ですね。少年漫画とか王道モノで描かれているのは、みんな自存力の話だと思っているくらい。リファレンスは『Fate/Zero』サン・テグジュペリだったりするんですけど。サン・テグジュペリの『人間の土地』って本に「本然」って言葉が出てくる。人間が作った庭で生まれたガゼルがいて、そのガゼルは外の世界を見たことがなくても、外に危険が満ち溢れていても、柵の外に出て行こうとする。それがガゼルの本然だから。テグジュペリは郵便配達の途中で一度死にかけたり、戦争で同僚が生きて帰ってこなかったりということを日常的に経験してるんですが、でもそれは死というものに触れる経験をしないまま豊かな生活をしている人達の方がよっぽど不幸で、人間として満たされていない連中なんだと。死と隣り合わせの生活をするのが人間の本然だから。でも、かといって死の危険があるような状況を人為的に作り出したり戦争を起こしたりするのがいいといってるわけではない、と両義的な言い方をするんですね。

村:僕は『エチカ』に見られるような幾何学的でシステマティックなスピノザの表情が好きな奴なんですが、その指摘は面白いですね。本然がどういうものになるのかあまりにも偶然に依存していそうなところが気になりますが。

さ:さっきの本来性といった問題とほぼ同系の問題だと思うんですけど、僕はハイデガーというのは本来あるべき方向性っていうのはやっぱり存在するんだ、でも今までのものは間違ってるという形而上学のラスボスみたいな概念として、本来性って言葉を唱えているように思うんです。ガゼルがそっちに行ってしまうのはガゼルがそういう本然だと言うことができるのかもしれないけど、でも僕はそれ自体が空虚なものなんだろうなと。ないんだけど、みんながそうに違いないと思ってると解釈しているので。そこに『破』に対する泉さんとの解釈の違いが発生するんだろうなと。

■物語に向かう態度/起源と役割の近似性

fatezerovol.1_.jpg 『Fate/Zero Vol,1 -第四次聖杯戦争秘話-』製作= TYPE MOON 発売=2007年1月13日
泉:『Fate/Zero』は読まれてると思いますが、『Fate/Zero』ってまんまスピノザだなと思っていて、一番それを体現してるのがイスカンダル。イスカンダルのいいところは、人間は「自分のやりたいことをやるべき」っていう生き方を示していかなければ人類が保たないって考え方をしてる。この考え方を受け継がせていくことが王様の役割であると。その「やりたいことをやれ」っていうのは、つぶさに『Fate/Zero』を読むと理解できてくるんですが、自存力の思想に近いなと思ってるんですね。

村:『Fate/Zero』では王の役割を巡ってセイバー、イスカンダル、ギルガメッシュが論争しているわけですが、中でもイスカンダルはキングオブキングスだなあと感じました。思想的にもそうなんですが、能力としても無数の英雄を召還することができる。その召還の背景は基本的に、英雄たちがイスカンダルに魅せられてしまったから彼の覇道に伴走しているというもので、そういう意味で彼はメタ英雄です。しかしまあ市井の奴らがどう思っているかはまた別で、イスカンダルにとっても国民は特に向上心など持たずに黙ってついてきてもらったほうが都合がいいんでしょう。

泉:それは違うんですよ。イスカンダルは市井の人間もみんな「やりたいことをやる」生き方をすべきだって考えている。それに描写を見ればわかるんですが、イスカンダルはとても「人に合わせる」タイプの、むしろ譲歩や妥協をしていく性格です。つまり、イスカンダルの中には色んな「やりたいこと」の可能性があって、その中で一番、多くの人間から求められる目標を、自己の最大の衝動として選んでいるということです。より多くの共感を集めれば集めるほど、最大限の活動ができるようになるし、そこに幸福な関係が生まれるということですね。

村:なるほど! その最多の目標を最大の衝動とするところは、まさしくメタ大王ですね。

さ:ちょっと確認したいんですが。「少年漫画とか王道モノはみんな自存力の話だと思っている」というのは、泉さんの中で正しさの基準があって、「その方向を追い求めるべきだ」と思っている、ということですか?

泉:あ、今はついつい、作品論というよりはキャラクターの行動原理の話になっちゃってましたね。

さ:じゃあ作品内のキャラクターは、みんなその方向に邁進するのが正しい、とかは思わないんですか。

泉:物語作品として考えるなら、キャラクターを対比で描く必要もあるでしょうし、どうでしょう。『Fate/Zero』もそういう対比の利いた小説ですよね。

さ:そういう様々な方向を目指すキャラクターがいることが物語の面白さだってことでしょうか。

泉:うーん。

さ:目指すのと目指さないのとは、バランスの問題なんですかね。作品全体としては。

泉:少なくとも、『Fate/Zero』の原作者である奈須きのこの世界観でもっとも重要視されているのは「起源に従え」ということのように感じています。この「起源」というのは「本然」とほぼ同一のワードだと解釈していいと思うのですが、そういった原理に値する衝動があれば、それに従うのがあの世界における最大善なんですよね。

さ:それは全員に共有されてる最大善なんですかね。

泉:そうですね。でも、そこから『空の境界』に飛ぶと、まんま「起源覚醒者」っていう概念があります。起源に従うレベルならまだいい、しかし起源そのものに触れてしまうと狂って不幸な結果になるという末路を描いている。だから起源に抗うって選択肢はあるんですよね、あの世界には。

村:起源っていうのはロール、役割に近いんですよね。ところがそれは内面とか人格ではなくて機能です。だから役割で純化されていったらおかしいことになる。昔懐かしの言い方をすると「自動的」になってしまいます。

泉:内面がなくなっていく。起源は「前世の集合」としても説明されているので、それは今生きている自分のやりたいことというより、前世の奴隷になってるようなものだ、みたいな描写をされてますね。

さ:キャラクターが自由意志によって行動しているのか役割に殉じているだけなのかということは、フィクションにおいてはこの鼎談の冒頭(第一回)で話題に上った、登場人物に内面があるのかないのか、または単に描かれていないだけなのかという話題に関連すると思います。僕は『空の境界』というか奈須きのこという作家は起源という設定を使って役割に翻弄されるキャラクターを力強く描くことで、キャラクターの内面のなさを肯定しようとしていると思うんですよね。

泉:それはとてもクリティカルな指摘で、なぜならテグジュペリの本然論が両義的だったように、奈須きのこも「内面が見えなくなるほどの衝動に従うこと」を肯定する顔を持つ一方、「内面が衝動によって乗っ取られる末路」を哀愁をこめて描く顔も持ち合わせているという、両義性を示していけるからです。ここで最初のさやわかさんの質問に答えることもできます。物語そのものは「本然=自存力の方向に邁進すべきもの」であるよりも、自存力の最大善を認めながらその両義性を「問いかけつづける」ドラマであってほしいと思うのがぼくです、と。それこそが王道の物語ではないかと。

■楽観論的プログラムのシステム管理者は誰か


karanokyoukai.jpg 『劇場版 「空の境界」 矛盾螺旋』通常版DVD 監督=平尾隆之 発売=2009年1月28日 販売元=アニプレックス
村:『空の境界』は『ゼロアカ』二回目で書いてるんですけど、『矛盾螺旋』で臙条巴ってやつがいたじゃないですか。やつの行動原理が『空の境界』を象徴してると思ってて、役割に純化されていったキャラがそれでも存在するのはなんなのっていう。それは単純に動いてるからっていうレベルにしか還元できないんじゃないかって。

さ:単純に動いているだけという状態にこそ自分の意味があると言って死んでいくわけですよね。ここに自分がいてこのような行動をとったことがすべて誰かの手のひらの上に踊らされていたのだとしても、そこには自分の感情があるし意味があるんだと。

村:少なからずつながるわけです。そいつの自助努力によって生存が保たれているって話。

さ:スピノザ的にはそれぞれの起源というものが異なる形で存在することを認めていると。人間には本分があるけれども、誰もが目指す方向があるわけではないと。

村:本分があるというメタ原理論だけは強調している。

さ:僕がお話しした本来性という概念だと全員が目指すべき方向があると。だからちょっと違いますね。

村:否定神学なんですよね。

さ:結局はそうなってしまうんですよね。

村:今の流れだと、スピノザはその辺をラディカルに置き換えていると言えます。リバタリアニズムの祖、ロバート・ノージックの構想で言うところのメタユートピアに似ています。大きな世界観がある一方で小規模共同体がある。その中で、人々は色々な趣味の中から自分に合ったものを選択して、そこへ入ればいいよね、という思想です。実際、それで世界は安定すると思います。

さ:ポストモダン的だ。

村:トップダウンじゃなくてボトムから観ている感じですよね。人々はそんな感じで生きていく、と。

泉:僕は浅野俊哉という社会思想家からなんですが、スピノザ的にはそれぞれ活動力を最大限に高められる社会のシステムを作ること、それしかやることがないと。

さ:ただ、そのシステムの管理者は誰、っていうのが論点になるはずですよ。

村:なんだかんだいってもシステムは単一じゃないですか。

さ:そうそう、システムを管理してる人にはなんらかの意思があるのかどうか。

泉:一人の意思が一方的に管理するとは考えないでしょうね。誰か邁進してる人がいれば、別の誰かが「その状態は困るな」って反応してくれるだろうってことですが、その人も自存力を全うしたいだけであって、メタレベルの管理者ではない、と。『ヱヴァ破』でもシンジが世界なんてどうでもいい、自分もどうなってもいい、でも綾波だけは助ける、ってそこでミサトが「誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために」って入るわけですが、実際はそのあとリツコの説明によると、好き勝手やった結果、世界が滅びかけるんですよね。そこでスピノザの楽観論的に言えば、世界が滅びそうになったらそれを止めるやつがいるという。カヲルが「ちょっと待ったー」って槍を投げて仲裁するんですよね。それで結果的にうまくいく。

HIGURASHI_.jpg 『ひぐらしのなく頃に解 捜査録 -結- file.01』初回限定版DVD 監督=今千秋 発売=2008年3月21日 販売元=フロンティアワークス
村:僕はあそこで思い出したのは『ひぐらしのなく頃に解』の罪滅し編なんです。つまり『ひぐらし』ってのは、事件がおきて何がおきても最終的にみんな死ぬっていうカタストロフなんです。狂ったレナを説き伏せてL5から戻ってきて、やったー俺たちは運命に勝ったーって。サードインパクト終わったーと思ったらエンディングロール後にTIPSで「翌日村が全滅した」ことがわかるんですよ。つまり謎の自然力的なものが価値判断抜きで働いたら……例えばもしスピノザ的なシステムが、“人が死ぬのって割となんかいいよね”ってことでプログラミングを走らせたとしたら、我々には納得できない世界になると思うんですよ。ひぐらしの話にはそういうところがあり、そのシステムを乗り越えることが主題になっていました。それはひぐらしでは「村の全滅」が自然な状態だということです。それを踏まえつつ『破』に戻ると、『破』では一見、世界の保安のためにカヲルによってサードインパクトが食い止められたかに見えます。しかし、現時点ではそう見えるけれども、実際にそれがスピノザ的楽観論に妥当するかは謎ですよね。

■記号的に配された萌え要素を持つマリ

村:マリのデザイン的な話をしたかったんですけど、コミケで見ていて思ったのが、まずマリのコスをした奴がいっぱいいる(笑)ということですが、さらに面白いのはレイヤーが男か女か見分けがつかないってことです。マリがいかに強力な萌え要素で構成されていることかと感じました。

泉:それは黒ストッキングですよ。黒ストッキングは男の脚を細く見せるので。あのミニスカートもすごいシルエットを作るからいいんですよね。

さ:だってあのメガネで巨乳でってキャラの作り方ってわざと萌え要素を配してるとしか思えないですよね。

村:無国籍っていうか、空虚でもないんですけど、なんか違うんですよね。内面無い感があるんですよ。

さ:それなのに、マリのコスプレを女の子がやったらそれなりにかわいくなるんですよね。アスカのコスプレはどうも「アニメのキャラクターになりきれてませんね」みたいな見方ができちゃうんですけど、マリのコスプレは記号をまとうというルーズソックス以後の現実の社会に台頭したファッション性を得ることができる。

泉:マリって記号的っていうこともできるし、ケミカルな存在なんですよね。

村:確かにケミカル。工業製品的なミクスチャー感があります。で、組み立てると単純なメガネ女子の出来上がり。

泉:あといいレッテルがあって、彼女は肉食系女子ですね(笑)。まぁ、自分の役割を全うするというのを自己目的化してるキャラクターがマリだと思っていて。その場で与えられたタスクだけで、それを全力でこなせばいいやっていう。

村:そう考えるとマリは本質的にゼロ年代的なんですよね。

さ:そう、だから、ゼロ年代的キャラクターだっていう言い方は必ずしも間違ってはいない。

■マリにみるゼロ年代と決断主義

泉:そのゼロ年代的ってどこから来るのかよくわからないんです。

さ:「ゼロ年代的だ」と言うなら、どこがそう読めるのかきちんと説明できなきゃいけないはずなんですよね。

泉:ゼロ年代的とか決断主義とかって言われてるような文脈の中にマリの行動原理を説明できるのはないと思ってるんですよ。

さ:決断主義的なものがゼロ年代的とは思ってないということですか。

泉:というかマリは決断主義だとは思ってない。決断主義は何を選べばいいのかわからないけどとりあえず選ぶっていう。とりあえずの目的があるから仕方なくコミットするんだっていう、後ろ向きな。

村:僕は拡張した言い方をするんですけど、つまりゲームにコミットするのがゼロ年代的なんですよね。そこではゲームに勝つかゲームを変えるかしかない。一方他のやつらは自分がどのゲームにいるのかの認識や、どういうルールを敷こうとしているのかの設計感がないので、余計マリの存在が際立ちますね。

泉:マリはゲームのルールすら持たないですよね。というかルールはその場その場で変えられるっていう。

村:さっきはこういうルールで動いてたのにって一貫性を保てるのかなって思うわけだけど、そこをひゅっと突破している。

泉:ああ、僕がイメージしてるゼロ年代の作品っていうのは、仕方なく与えられたルールがあって、そっから外れると途端にアイデンティティが狂ってうろたえちゃうんですよね。そういう人をさしてるのが決断主義。で、そこでうろたえちゃうから決断主義って限界だよねって言ってるのが『ゼロ年代の想像力』だと思ってる。じゃあ、ルールをひゅっと変えていけるマリってもうそれを乗り越えてるよって思ってるんです。乗り越えてるというか、そういうレベルのジレンマとは無縁というところかな。

『コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume03』DVD 監督=谷口悟朗 発売=2008年10月24日 販売元=バンダイビジュアル 定価= 6,300円
村:今いったことの典型的な作品が『コードギアス』かなって思ったんですけど。

さ:僕も今「コードギアス」を想像しました。

村:あれはルルーシュが非常にいい働きをしているんです。ルルーシュとマリはこの意味で結構似ている。ルルもマリも重大な目的を持っている(らしい)ので、その目的に対しては行動が一貫しています。ところがその大きな目的を達成する手段である細部のゲームがころころ変化している。ルルとマリはその一貫性ゆえに、はた目にはたびたび違うルールに従っているように見えるんですよね。ルルーシュの場合は、ブリタニアを滅ぼそうとしていたらいつのまにかブリタニア皇帝になっていたわけで、普通に見たらなんなんだよこれって思いますよね(笑)。

泉:でもルルーシュは自縄自縛の男ですから。自分でルールを考えてみてはそれに縛られ、それが破綻してはうろたえ、の繰り返しですよね。

村:それはまったくそうですね! ルルは状況が変わるたびに、というか状況を変えるたびに非常に狼狽している。

さ:だからマリはそこを描かれていないキャラクターなのかなと思いました。

泉:もっと自由なんですよね。

村:自由なんだけど、単にそれはさっきの泉さんの内面があるのかないのか問題。

さ:自由に見えるんだけど、他のキャラクターがあまりに90年代的に縛られているから、彼女が自由に見えるだけで、ゼロ年代的な問題に彼女は到達してないといえるんじゃないですか。

泉:でも実際、マリが『Q』で内面のもろい部分なんかを掘り下げられてしまったらがっかりしますよね。僕がマリ好きだというのもありますが(笑)、本当に強い内面を持った強いキャラクターとして出てきて欲しい。

■新劇場版『ヱヴァ』はビルドゥングスロマンか?


泉:僕の中でマリは大人というか理想だなと思ってるんですよね。ただそこらへんで完成しきってるからこそ、彼女は成長できないと思う。成長できるのはシンジとアスカだけであって、理想的な大人として成長の余地がないのがマリ。

さ:新劇場版『ヱヴァ』という物語がビルドゥングスロマンだとしたら、間違いなく彼女は脇役なんですよ。

村:「ゲンドウがシンジにわざわざ「大人になれ」と言いますが、彼の大人の定義は「目的をあらゆる手段で達成する」だから、まさにゼロ年代的。で、確かにマリはこれにまるまる該当します。なれ、と言われるまでもなく。

さ:大人になるっていう過程を踏むべきなのは、アスカとシンジなんですよね。で、アスカは「ポカポカする」の人に対して譲歩してみせるという判断を選んだことでゼロ年代的な成長を見せたように思うけど、まだなんじゃないかと僕は思ってるんですね。先があるだろうと。シンジとの問題をはっきりさせるっていうドラマを生きなきゃいけないはず。だから、アスカが初号機に噛まれちゃっていいとこなしだ、アスカ終わりだって言ってる人が僕にはわからない。まだまだこれからでしょって。

泉:『Q』は庵野監督では描くことのできなかった(フリクリ、トップ2的な)子供の話と、鶴巻には(フリクリや、トップ2では)描くことのできなかった大人の話が融合するんだと僕は思っていて。コドモを救うためにオトナが頑張る、オトナのためにコドモはコドモにしかできないことをやる。

さ:僕は違うな、僕はアスカが全部を救うと思ってる。

泉:違わないですよ、だってアスカがコドモ側でしょ。

さ:いや、大人が手をこまねいてでも結局どうすることもできなくて、代わりにアスカがレイとシンジを救い出せばすごく美しい話だと思ってるんです。

泉:アスカが総勝ち!っていうのは夢がありますね。それも僕の話とは矛盾しないんです。大人がすべて解決しなくてもいい。とにかく右往左往する大人が見れればいい。それでこそ、子供が解決することに価値が生まれるんですし。

summer.jpg 『ビジュアル本 サマーウォーズ公式ガイドブック SUMMER DAYS MEMORY』 発売=7月29日 編集=ニュータイプ編集部 出版社=角川書店
さ:僕は子供が活躍して救うほうがいい。『サマーウォーズ』みたいに形だけみんなが頑張ったから救われたみたいなことにしなくていいよって話なんですけど。

泉:さやわかさんと僕の意見は別に食い違ってないと思います。僕も大人が勝ってしまう物語は残念な結果だと思ってるんですよ。

さ:おっしゃることはわかるつもりです。ただ、大人と子供がいわば擬似家族的な構成を築いて、みんな頑張ったから勝ったね、というのは面白くない。面白くないというと好みの問題のようですが、それなりに理由があって、僕はもともと『エヴァンゲリヲン』って旧来的なロボットアニメをいかにして成り立たせるか、ということをやりたいアニメだったと思うんです。でも、90年代当時にロボットアニメを絵空事として描くことは難しくなっていた。大人が苦労するという展開は、子供が荒唐無稽な活躍をするだけで地球を救ってしまう従来的なロボットアニメに対するアンチテーゼたりえるんです。テレビ版の第拾壱話でゲンドウが自分の手を汚してエヴァを出撃させる展開がそうだったと思う。あれは「電気が止まったらロボットは発進できませんよね」という部分も含めて、リアリティを担保するという要素が強い。でも庵野が本当にやりたかったのは、『グレンラガン』みたいなことじゃないかと。TV版の『グレンラガン』は大人も子供もなくなっちゃってみんなドリルになるじゃないですか。宇宙をぶん投げるとかめちゃめちゃな展開があって、それで勝った!って言えるっていう面白さがあって、庵野が夢見たのはそれじゃないのかなと思うんですよ。

■必要とされる批評

さ:だから『グレンラガン』をふまえて『新ヱヴァ』があると僕は思うんだけど、あまりそういう語られ方はしないですね。『グレンラガン』や『トップ2』を必ず見ないといけないわけではないですが。

村:僕は言及の総量が増えて欲しいので、新劇場版だけで語るの、全然ありだと思います。

さ:しかし、かといって新劇場版がアニメ作品としてどう新しいかということが語られないといけないと思うんですよ。そうしなければ新劇場版はアニメ作品という器としては何も新しいことがなく、せいぜい映像がすごいくらいで、その中に注がれる物語が今風に変わっただけということになってしまう。僕は少なくとも『グレンラガン』や『トップ2』を踏まえた新しさがあると感じたのでそうではないと思うし、そういう近作との比較検討以外でも、僕よりもっとアニメを見ている若い人はたくさんいるのだからアニメ表現論として新劇場版を語ってもいいはずだと思うんです。

村:どうなんですかね。ここまで色々言ってきて何ですが(笑)、僕はパッと見、『破』は批評を必要としてないタイプに感じたんですよ。大艦巨砲主義で、ロマンチックで、ハリウッド的だから。

泉:ぼくも1回目は「どう評したものかな」と思ったんです。映像的には素晴らしいけど、話はちっともわからなかった。これは『Q』に期待するしかないのかと思ってたら、隣で友達が「すごかったー……」って感じでポカーンと口あけてて(笑)。でもどうすごいかってわかんない顔してて。

村:「twitter」で有名ブロガーの有村悠さんが激しい反応をしていて、ほとんど「このフィルムを肯定する奴は許さない」というような勢いだったんですよね。それは否定的な意味合いだったはずですが、僕は逆に肯定的な意味合いで「こんなフィルム見せられたら死ぬしかない、このあとどう生きていけばいいんだ……」と寝込むような感じでした。たぶん当時リアルタイムでエヴァを見ていた人が受けていた衝撃はこんな感じだったんだろうと思います。僕もリアルタイムで見ていましたが、この類のショックを感じてはいなかったので、遅れてきた衝撃という感じですね。

泉:僕は2回目に突っ込んだ系譜分析をしてから見たので、そうしたら「これは傑作だ、絶賛だ!」とようやく理解できたんですよ。それでバサラブックスで立ち読みしてたら、店員さんが「あのー泉さん、『ヱヴァ破』って見ました? 僕すごいと思ったんですけど、どうすごかったかわからないんで説明してください!」って言ってくるんですよ(笑)。お店の営業中にですよ(笑)。「ええっ!?」て思いながら、さっきしたような話を店内で30分くらいしたんですけどね(笑)。そしたら「なるほどー、ずっとモヤモヤしてたんですが『Q』までどう期待してればいいのかわかりました!」って喜んでもらえて。

村:そんなにみんな批評を欲しているのか!(笑)いやーまるで14年前に戻ったみたいで嬉しいですね。いい話を聞きました。
構成=編集部 / 文=泉信行・さやわか・村上裕一

【注釈】
スピノザ :バールーフ・デ・スピノザ(1632〜1677年)。 オランダの哲学者、神学者。代表作は晩年の大作『エチカ』(1677 年)。(編)

自己保存力、自存力 : 原文のラテン語では「コナトゥス」という。衝動、努力などとも訳されるが、「自己保存力」がベターな訳語だろう。正確な理解の難しい概念だが、泉信行は脳神経科学者であるアントニオ・ダマシオが述べる、「静的な恒常性(ホメオスタシス)ではなく、動的な力を持つ恒常性(ホメオダイナミクス)」という解釈を借りて論じている。この「動的な」自存力を、最大限に発揮することだけが人類にとって善であり、幸福である、というのが『エチカ』におけるスピノザの主張である。ホメオスタシスという言葉を使うと、そこそこエヴァ的なキーワードっぽい気がする(?)が、旧エヴァではATフィールドのことを「自分のかたちを保つための力」と説明されていたことも思い出せるだろう。旧劇場版では、それによって人々が傷つけあうのだというテーマに収束していったが、では新劇場版ではどうだろうか?(泉)

『Fate/Zero』:TYPE-MOONから発売されたライトノベル。著者=虚淵玄(ニトロプラス)、作画=武内崇(TYPE-MOON)。(泉)

サン・テグジュペリ : サン・テグジュペリ(1900〜1944)。フランスの飛行家、小説家。主な著書に『夜間飛行』(1931)、『人間の土地』(1939)、童話『星の王子様』(1943)。(編)

イスカンダル :古代に大版図帝国を達成した「アレクサンドロス大王」に取材をしたキャラクター。他に、アーサー王やギルガメッシュ王に取材した「王」のキャラクターが登場するが、この三王の考える「王道観」の違いが『Fate/Zero』のひとつのテーマになっている。アーサー王が「自分のやりたいことを我慢して国民のために尽くすのが王道」という自己犠牲型、ギルガメッシュが「国民は王のために奉仕することで救われる」という自己中心型であるとして、残るイスカンダルは「人間らしい欲望に邁進する王の姿に憧れさせることで、国民もまた自分のやりたいことに邁進できるように振る舞うのが王道である」と自己犠牲でも自己中心でもない思想を語っている。(泉)

幸福な関係 :こうした「すべてが自存力を最大限に発揮することが善である」という思想がスピノザ理解に通じる、というのが泉の主張だった。『Fate/Zero』論としては、イスカンダルが「自分が好き勝手なことをやった結果、たまたまついてきたやつだけがついてくればいい」と考えているわけではない、という読解に基づいている。つまりイスカンダルの場合、「誰にも共感されず、迷惑をかけるだけで嫌な気持ちになるだけのこと」は、いくらやりたいと感じていても「それは本当にやりたいことではないはずだ、悪いことだ」と判断する人格だと理解できる。その一方で、どれだけイヤで悪いことでも「それがお前の本当にやりたいことなら、好きなようにやれ」と教えて救済するのがギルガメッシュ王であって、イスカンダルとギルガメッシュの違いはそこの違いだけだとも言える。どちらも自存力を最大にすることを最大善とする点では共通しているように見えながら、その上で「なるべく利害の衝突を減らすべき、人間としていい思いをすべき」と考えるのがイスカンダル、衝突や不幸など全く気にしないのがギルガメッシュである、と。(泉)

奈須きのこ : 代表作に『空の境界』『月姫』『Fate/stay night 』などの小説・ゲームがあり、それらはすべて共通する世界設定で描かれている。自分の中に「完成された世界観」を持って創作するタイプの作家らしく、思想的なキーワードも複数の作品を横断する。(泉)

『空の境界』 : 奈須きのこによる長編伝奇小説。小説を原作として映画やドラマCD化もされている。イラストは武内崇。(編)

『ゼロアカ』二回目で書いてる : 『ゼロアカ』サイト内で全文の閲覧が可能です。→http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/ zeroaka/ronbun/14.html (編)

「誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために」 :これが、『トップ2』第3話のチコの台詞「あの人のためじゃない、私のために」とリンクしている部分で、テーマの共通点を感じさせる。また、この鼎談記事の前回で泉が、「ミサトのセリフまで新劇場版から引っ張ってきてるんです」と指摘していたのも、この「あなた自身の願いのために」というフレーズである。(泉)

『ひぐらしのなく頃に解』 : 07th Expansion 製作の同人ゲーム。前シリーズ「ひぐらしのなく頃に」の解答編という体裁。全4編。(村)

『コードギアス』 : 『コードギアス 反逆のルルーシュ』(第1期)『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(第2期)のこと。製作サンライズ。キャラクターデザインはCLAMP。2006年に第1期2クールが放映され、空いて2008年に第2期2クールが放映された。巨大国家ブリタニアに反旗を翻した元皇族ルルーシュの反逆の物語。(村)

『サマーウォーズ』 : 『時をかける少女』の監督、細田守が手がける初の長編オリジナル作品。2009年8月1日公開。(編)

有名ブロガーの有村悠さんが激しい反応 : http://twitter.com/y_arim/status/2384455071
http://twitter.com/y_arim/status/2395932371
http://twitter.com/y_arim/status/2395939539

バサラブックス : 吉祥寺にある、サブカル系に強い古書店。ミニコミや同人誌も扱っており、泉信行も『漫画をめくる冒険』の委託でお世話になっている。(泉)

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泉信行 1980年生まれ。漫画研究家。『ユリイカ』、『Quick Japan』誌で研究発表やコミックレビューなどをして活動中。2008年から今年にかけて発行された、私家版の同人誌『漫画をめくる冒険』シリーズ(ピアノ・ファイア・パブリッシング)に今までの研究成果が結実している。
ピアノ・ファイア(ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/izumino/
ピアノ・ファイア・パブリッシング
http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/pfp/
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さやわか ライター/編集。『ユリイカ』(青土社)等に寄稿。『Quick Japan』(太田出版)にて「'95」を連載中。また講談社BOXの企画「西島大介のひらめき☆マンガ 教室」にて講師を務めている。

「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/

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村上裕一  見習い批評家。「東浩紀のゼロアカ道場」最終通過。講談社BOXから2010年1月に単著を発表予定。製作した同人誌「最終批評神話」を収録した『東浩紀のゼロアカ道場、伝説の「文学フリマ」決戦』が講談社BOXより発売中。

村上私記
http://d.hatena.ne.jp/mythos/

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