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写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)発売記念
写真家・インベカヲリ★が10年にわたり独自の視点から撮り溜めてきた女性たちのポートレート。衝撃のデビュー作となった写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)の発売を記念して、著書『アーティスト症候群』『「女」が邪魔をする』などで知られる大野左紀子さんとの特別対談をお届けします。
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大野左紀子(以下「大」) 私は写真にまったく明るくなかったものですから、インベさんのお名前を初めてうかがってWEBで少し見せて頂いて、凄くエキセントリックな写真を撮られる方だなと、最初はそんな印象でした。写真集を拝見したら、とてもずっしり来る重みのある色合いで、それが強烈に印象に残るというか、お腹に入ってくるものがあった。日本の女の子たちの生活史をインタビューした上で撮っていらっしゃるんですよね。他の方にも言われてるかもしれませんが、これは男性には撮れない写真だと感じました。男性がカメラマンで女性が被写体という関係はよくあると思いますが、それとは違う関係性が写真家と女性の間にあるんだなと感じさせる。そういう物語を想像しながら見るスリルがありました。

インベカヲリ★(以下「イ」) 男性だと異性として理想の女性像を投影する部分が含まれるんでしょうけど、私は同性なので視点のスタートが違うというのはありますね。

大 なるほど。それと、女の子たちの目線が凄く強い。カメラは一方的に対象を見るものですが、それを視線で弾いてくるような強い印象を受けたのと、結構ユーモアがあるというか、クスッと笑わせるところがあって、単にエキセントリックというだけじゃなく、名づけられない何かが写ってる感じですね。何かと何かの隙間にあるもの、隙間性というか、うまく言葉に出来ないけど、そういうものが写ってる。美術作品をずっと見てきて思うのは、いい作品は上手く言葉に落とせないところがあるんです。ストンと気持ちのいいところに落とし込まれるものじゃなく、自分が意識してなかったところをガリガリっと引っ掻いてくるようなものがいい作品にはある。インベさんのこの写真集はまさにそうで、一回見ただけでは消化できないから何回も最初から見たり、今度は終わりから見たりして、この子はこっちにも出てきたなとか思いながら、何回も何回も見ました。そうした反復を強いる作品なんだなと思いました。ドキュメンタリーっぽい感じもするけど、かなりインベさんが再構成してるところもあるんですか。

イ そうですね。彼女たちのノンフィクションを取り入れた上でイメージを膨らましていくので、写真に落とし込む際にはフィクションが混ざります。

大 単に生々しいものを切り取ったドキュメンタリーじゃなくて、もう一度インベさんと女の子と二人でコラボレーションして再構成されてるんですね。そういうフィクション性のあるところが凄くユニークだと思いました。女の子がみんな魅力的ですよね。シチュエーションはそれぞれと話しあって決めるんですか。

イ 私のほうで考えます。撮影は別の日なので、撮影する前の初対面の時、その子たちにどういう背景があるか、どんなことを考えてどんなふうに育って今に至ったのかという話を2時間、3時間とかけて聞くんです。そこから私が想像を膨らませて、その子のどういう面を写したいか考えて、背景や場所を決めます。さっき仰ったようにリアルそのままではないから、逆に彼女たちも素を出しやすいというか、根っこの部分を見せるのに素を演出するというか。

大 なるほど、面白いですね。完全に別人になって作ってしまうのではなく、ひとつの虚構のフィルターを通して、その人の何かが漏れ出てくるということですね。その手法がやっぱりとてもユニーク。そもそも写真を撮り始めたきっかけは、やっぱり女性が撮りたかったんですか。

イ 最初は女性に限らず男性も撮っていたんです。でもやっぱり被写体希望者は女性に多い。女性とコミュニケーションをとっていく中で、女の人の撮られたい理由のほうが日常の延長、普段の生活の中にあるんですよね。男の人は自分の作り上げた姿とか、かっこいい部分を見せたがるけど、女の人は写真を通して今の自分の気持ちを表現したいという人が多いんです。自分は今どうしていいかわからないけど、これから方向転換していきたいと思っているときだったり、もっとネガティブな理由でも、その時の自分をちゃんと見られたいという意思を持ってるんです。それが凄く面白いなって思いました。

大 被写体の人たちを募集されてるんですよね。この子たちはインベさんの作品を見て、私も撮ってもらいたいって応募してくる。

イ はい。作品を観て応募してくれるので、いわゆる「モデル」なら何でもいいからやりたいというタイプではないですね。

大 一般的な話ですが、女の人が自分の写真を撮られたい時って、まず美人に撮られたいとか、少しでも美しく撮ってもらいたいとか、今が一番若くて綺麗な時だから最高の私を残しておきたいみたいな理由だったりして、よくそういう写真がありますよね。目に星を入れて、こっちから光を当てて、髪の毛も綺麗にして......。そういう方向とはまったく違う方向で自分を撮ってもらいたいという女の人たちにお話を聞いてて、何か共通するものはありますか。

イ 若くて綺麗で美しいみたいな部分"じゃないところ"を撮って欲しいという気持ちは、あると思います。たとえば読者モデルや舞台に立つ仕事をしている子もたまにいるんですが、そういう子は普段綺麗に撮られていて、虚像の自分を求められることに嫌気がさしていたりする。ホントの自分はそうじゃないのに、ふわふわして癒し系の天使みたいに思われるのが凄いストレスっていう子もいました。で、そうじゃない生々しく生きている自分を撮って欲しいと言って来たりする。表向き、社会に適応している自分はちゃんとした女然としてるんだけど、そうではなく、部屋が散らかったままの自分や、リストカットしてしまう自分も恥じていないから撮影してかまわない、と言ってくれたり。ふり幅のある子のほうが私もインスピレーションが湧きます。

大 彼女たちとは、最初はメールのやり取りから始まって、次に実際に会って話をしてると思うんですが、初めてインベさんに会って、どうやって自分をわかってもらおうか、全部を言葉で説明するのは大変だと思うんですね、また聞き出すのも。お互いにこの人とは合わないなとか、そういうこともあったりするんじゃないですか。

イ 被写体に志願してくれた子を撮っているので、その点に関しては来た時点でみんな自分を見せる覚悟があるように思いますね。なのでインタビューしやすいというか、どれだけ聞いても答えてくれる子が多いです。

大 そうした会話のやり取りは、その子たちにとってカウンセリング的なところもあるんですかね。

イ 私自身はあまり意識してないんですが、仲のいい友達や親しい人には一切しゃべってないことを、他人という私だから話せるというのはあるみたいです。人って自分だけで抱えているより誰かに聞いて欲しい気持ちがあると思うので、そういう部分では何か癒しの効果もあるのかなとは思いますけど、ただそれは目的ではないんです。そこを意識したら違うものになっていくと思うので、なるべく人をいい方向に持っていこうなんて考えないほうがいいと思っています。作品作りは、まず好奇心が最初に来ないと。

大 こんな言い方したらあれですけど、結構笑える写真があって、そこが脱臼してるというか、いい意味での外しが期せずして出てきているんでしょうね。

イ 人生における重要なテーマでいかに笑いにもっていけるかというのもやりたいことのひとつですね。本来のその人の面白さとか、エグさとか、人間のちょっと矛盾を孕んでたりするようなところを私はとても肯定的に見ているので、それを可哀想だとか、大変そうだよねっていうことじゃなくて、そこに吸引力を感じる、だから面白いよねっていう方向で、見ていてパワーを感じる部分を撮りたいんです。

大 とてもよく分かります。少女たちがメンタルヘルスを病んで、傷ついて、悲惨な状態だから寄り添ってあげるっていう態度じゃないところが凄く気持ちいいです。女性が評価されるのってまず外見があって、その後はまあ、優しさだとか一般的な長所がある中で、面白さって順位としては終わりのほうに来てるような気がするんですよね。面白い男はモテるけど、面白い女はお笑い枠で、別のところに入れられている感じがある。ここでは別に面白いことやろうと思ってないけど、ふとやってみたら変だったっていうような、いろんなものをくぐったところに面白みが出ているように見えますね。

イ 真剣に生きるほど喜劇になるような部分ってあると思うので、そうした物語を被写体との共犯関係の中でつくりたい、観る人の想像を超えてしまいたいというのはありますね。

大 この色使い、私はカメラのことはわかりませんが使うカメラ、フィルムなどによって、同じ被写体でもぜんぜん色味が違ってくると思うんです。見てると、赤も印象的なんですけど、黒が凄く美しい。黒の美しさを感じる写真が多い気がして、真っ黒でもないのかな、ちょっと紺が入ってるような。それが写真に独特の重みを与えてる。

イ フィルムで撮影しているので、色の重みはやはりデジタルとは違いますね。

大 とても絵画的な感じもします。ファッション雑誌でも、人気のあるカメラマンや作家さんのものでも、空気感だとか、フワッとした感じの、透明感とかそういう口当たりがいいものがもてはやされる傾向があると思うんですけれど。空がバーッと写ってて光の表現が綺麗だとか。そういう写真じゃないところが、凄く私は好きです。ずっしり来るところがね。


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ジブリ映画とインベカヲリ★/竹取物語への異なる視線

大 この『やっぱ月帰るわ、私。』という写真集のタイトル、たまたまジブリの映画で、『かぐや姫の物語』って公開されましたけど、それより前にタイトルをつけられたんですよね。

イ そうなんですよ。上映と写真集の発売がほぼ同時期だったんで、びっくりしちゃって。

大 まるで狙ったかのように(笑)。

イ 最初は、嫌だなと思ったんですね。特別話題にあがることのなかった「かぐや姫」がどうして同時期にかぶっちゃうのと。でも今は楽観的に、本屋さんでかぐや姫コーナーができたらいいなって、便乗できないかなと思ったりします(笑)。

大 このタイトルをつけようと思ったのは?

イ 写真集っぽくないタイトルにしたいというのがありました。写真集って写真好きの特定の人が見るという印象がある。私自身写真が好きで写真を始めたわけじゃないので、そういうところからはずれていきたいと思って。あとポジティブなものにしたいというのが絶対条件としてありました。竹取物語にこだわりや思い入れがあるわけではないけど、かぐや姫の、自分本位で周りを振り回して、結局自分のやりたいようにやる、そういうところを能動的なセリフとして、女の子たちの心象風景を表現するような言葉で表わしたかったんです。

大 これはかぐや姫のお話の新解釈になるようなセリフになってて凄いなと思ったんですよ。

イ そこまでは考えていませんでした(笑)。

大 ジブリのアニメはご覧になりました?

イ はい、観ました。

大 いかがでしたか。

イ あまりいいものだとは思いませんでしたね。たぶんあれは男尊女卑を表わしていると思うんですけど、仮にそうだとして、やっぱり現代とは違うじゃないですか。女の人は結婚して男の人の言うことを聞いてつつましく生きていくというようなことは、現代では既に当時ほどの窮屈さはない。逆にあの映画を観ることで、今の女性たちは幸せだねみたいに思われるんじゃないか、現代の男社会から生じる問題などが、あれを観せられることでフィクションだと思われるんじゃないか、そんな不快さはありましたね。

大 私が嫌だったのは、ちょっと長すぎるのが疲れたのと(笑)、あのおじいさんがもうやめてくれっていうくらい嫌だったんです。最初っから姫、姫ってうるさくて。最終的には元の古典に現代風のジェンター的な要素を上手いこと嵌めていってるけど、終わりは辻褄あわせみたいに感じました。あと、男の子が出てくるじゃないですか。

イ 幼馴染のような存在の捨丸ですね。

大 はい。結局は異性愛の、一人の人に愛し愛されることが幸せだったというところに落としどころをつくらないといけないのかっていうね。捨丸が女の子で、女の子同士のシスターフッドみたいなのがあって、男なんか興味ない、みたいな超展開を期待したけどそうじゃなかったし、モヤモヤが残りました。でもこの写真集のタイトルの、こんなセリフが出てきたら凄いですよね。それこそアバンギャルドな作品になってたかもしれない。ホントにインパクトが強いんです、このタイトル。

イ 竹取物語にはインベ氏が登場するんですよね。三室戸斎部の秋田。さりげない小ネタを挟んだという意味もありつつ。映画では捨丸って心優しい青年みたいなイメージで出てきたと思うんですが、カワイイ女の子が金持ちに言い寄られるけど、それを蹴って捨丸のような貧しくても強い男になびいていくという展開そのものが、男の理想を描いているんだろうなと思いました。

大 ジブリのアニメ枠ではあれが限界なんだろうなっていうところで観ると確かにそういうことが言えますよね。インベさんから『かぐや姫の物語』は素晴らしかったですよって言われたらどうしようかと思ってました(笑)。

イ (笑)。


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女性と恋愛/表現衝動とエネルギーの行方

イ 被写体希望の子には、男性から求められる女性イメージにガチガチに縛られてる子もたまにいます。凄いフェミニンな格好で、控えめで髪もそんなに派手にしないでメイクもちょっと薄め。出てくる言葉も本心とは思えないどこかで聞いたことあるような言葉しか出てこない。勝手に自分で男性目線を内面化して、それを自分のスタイルとして取り入れるような、自分の生き方を狭めているような人と会うことがあります。でも、他者視点を重視している子って、けっきょく人間関係もあまりうまくいっていない印象なんです。たとえばAKBからは、女は男の理想通りに顔を作った処女であるべきというメッセージを感じるんですけど、実際にその理想に収まってみても幸せにはなれないというようなことはあるじゃないですか。

大 男の人の期待通りに振る舞って、男の人もそれを期待していて、それがうまくフィットする時期が昔はあったんでしょうけど、今は女の人のほうがどんどん理想の女性像を自分の中で作りすぎちゃっている面もあるのでは、と思います。男の人に好かれるのはこういうタイプなどとよく言ったりするけど、男性にしてみたらたまたま目の前に現われた子が可愛かったから、こんな子もいいなっていうぐらいの曖昧なものだと思うんですよね。だけどそういうことは実際はよく分からないから、女性のほうがそれを先取りして作り上げすぎてしまって、自分で自分を縛ってるっていうこともあるだろうなと。大学や専門学校で若い女の子を見ていますが、たまに芸術系の大学でもそういう子がいたりするんです。なんとなく地方の地味な美大や芸大に来ちゃって、あんまり絵を描くのも上手くいってないし‥‥みたいな感じでくすぶってる。それで一応なんとなく綺麗にして、少しはモテたいんだけど、モテる方向にメチャクチャ突き進むわけでもなし、芸術のほうも中途半端っていう子たちを時々見ますね。何かにぶつからないとその殻は壊れないから、どこかで早めに失敗しておくといいねっていう感じのことを遠まわしに言ったりするんだけど、でもそういう子たちの中にも何かもうちょっと違うことを言葉にしたいとか、表現したいっていう気持ちはあると思うんです。

イ 失敗をすすめるというのは面白いですね。

大 私、映画を観て分析する授業を大学のジェンダー論でやってるんですね。当然ジェンダーとかセクシュアリティの話も入ってくるんだけど、学生たちに感想レポートを書かせると、最初のうちは先生が喜ぶだろうなっていう感じのことしか書いてこない。だけど、そのレポートを次の授業に読みながら、この着眼点は面白いとか、ここをもっと膨らませて書いたらいいとか、ホントにこれ、こう思ってる?みたいにツッコミを入れながらやってると、なんだもっと好きに書いてもいいんだって思い始めて、凄い勢いで書く子が出てくるんですね。テーマに関係なく自分の恋愛の話になって、実はこういう男と付き合っててとか紙の裏まで書いてある。最後に「これはみんなの前で読まないで下さい」っていうのとか。言葉が溢れてるんですよ。というか言葉になる前のものが自分の中に溢れていて、何かつつけばドロドロっていう具合に出てくるんですね。私の場合はたまたま言葉にさせるっていう形でやったけど、インベさんの場合は写真に撮るっていう形ですね。

イ 撮影に入る前の、被写体から話を聞きだすという段階で、それをやっていますね。日常で生活していく中での人間関係では、なかなかドロドロした部分って見せ合いませんから、ほどよく表面的にすることで円満な関係を築いている。でもどこかで、はみ出した自分を見せたいっていう気持ちがあるから、被写体に応募してくる。

大 そういうきっかけがあると、上手く殻を自分で壊せるような子は、潜在的にたくさんいるんじゃないのかなって思います。

イ 本人がその殻の存在に気づいているから、自己表現の衝動に繋がるんでしょうね。

大 やっぱり消費社会だから「こういう女の子がモテる!」という、そのモテるっていうのはまず異性にモテなきゃいけないし、同性にもモテなきゃいけない、全方位でモテることを目指さなきゃいけないかのように、ファッション雑誌だとか、若い女の子向けの雑誌が煽ったりしてますよね。そういうところに90年代くらいまでは絡めとられてきたところがあったけども、ネットをみんなが見るようになって、雑誌も売れなくなって、まあ雑誌に書いてあることって馬鹿みたいなことだしって、今はみんな若い頃から気がついていて、ちょっと変わってきてるのかなとも感じます。女の子は常に変わっているような気がするけど、これから劇的に変わるのは男じゃないですかね。

イ 男ですか。

大 なんとなく両極化してるような感じがするんですね。割と古いタイプのマッチョな感性を隠そうとしない男の子たち、ヤンキーっぽい子もそうだし。それと女の子と同化できるタイプの男の子たちと、両極の子たちが目に入ってきます。あと、女の子と付き合うのが面倒臭いっていう子も多い。

イ 女性でも20代中盤くらいで恋愛に全く興味がないという人に何人か出会いますね。男の人とは、あまりそういう話をしたことがないのでわかりませんが。

大 私が見てるのは大学生なので、30ちょっと前の男性はよく分からないけど、みんな自分の生活が凄く大変で、恋愛がその後になる。そういう順番っていうと何かヘンですけど、昔の感覚からすればとっても"貧乏臭い"感じになってきてるんじゃないですかね。

イ 恋愛にお金と時間を使うのがもったいないという感じですか。

大 今やりたいことに何でもトライして楽しもうっていう感じではなくて、もっと現実的な感じ。たとえば昔は専業主婦が理想とされて男性もそれを求めたけど、今は違ってきていますよね。共稼ぎでないと、というふうに。そういう時代の流れによって男性の表面的な好みって変わるものだと思います。結婚を前提とした場合、経済的なものが大きく関係してくるから、やはりそれには左右されるんだろうなって感じがする。

イ なるほど。二人の共同生活の中で単純にお金がどう絡んでいくかという問題なんですかね。そこまで不況じゃない時代だと、女を家庭に押し込めて弱い立場におきたいという男の願望があるのかなって思ったんですけど、あんまり関係ないですか。

大 結婚という枠組みを外してしまえば、やっぱり所有したいという願望は、男性のジェンダーの中に根強くあるんじゃないかな。でもそれは、それこそAKBを見てバーチャルに所有した気になってれば一応欲望を満たせる。一方で結婚して女の人を家に押し込めていたら、自分ひとりの稼ぎじゃ大変だっていうのが現実問題としてあるでしょう。完全に欲望の問題と、結婚という現実的な問題と切り離されてきてるのが最近の傾向だけど、その欲望がどこに行くのかには興味がありますね。バーチャルなもので解消できる人もいれば、違う形でそれが出てくる人もいるだろうから、それはどんなものなのかって。女性の場合も、これまでは恋愛するのがいいことだって言われてたから、そっちにドッと行っていたけど、恋愛はしなくてもいいやっていう女の子が多くなったとすると、その子たちが持ってる性の問題も含めて広い意味での欲望が、そのエネルギーが直接的に恋愛じゃない形でどこかに出てくるという気がするんです。

イ 今までは逆に、全部の欲望を恋愛に詰め込んでいたところがあったのかもしれないですね。

大 自分の中にあるわけの分からない欲望のエネルギー、取り扱いに困るようなものを誰でも持っていて、野放図にしておくと社会生活が営めないから一応囲いに入れておいたりするけど、それは死に絶えてしまうわけじゃない。この写真集の人たちを見てても、そういうエネルギーをこういう形で解放させてるんじゃないかってことも言えると思うんです。凄くエネルギーを使うと思うんですね。撮る側もそうだと思うんですけど、撮られる側も。

イ どっかで開放しないと、人間ってまともに生きていけないですからね。そういうエネルギーの強い子のほうが私も魅力を感じます。


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アートの世界の女性たち/逆転する男女比

イ アートの世界にも男女格差ってあるんでしょうか。作家でも写真家でも可愛いことがプラスアルファになっている人がたくさんいますよね。アイドルやスター的な立ち居地として、顔が美人でプラス何かできるというような。

大 女性の表現者が外見込みで話題を作られたりすることは、現代アートでもないことはないですね。私が覚えてるのは80年代の初めくらいだけど、大学を出たばかりくらいの若い女性のアーティストたちがワーッと出てきたことがあって、彼女たちをひとつにまとめて、少女性といった言葉で括って紹介していたことがありました。でも、その括りにあまり意味はなくて、若さには着目されていたでしょうけど、やっぱり作品がよくなければ残っていかない。ただ美術ジャーナリズムが話題を作るために若い女性で括ることは常にあって、むしろ逆に日本画や油絵をやってる人たちの話を聞くと、女の子だから軽く見られるということもあるそうです。もてはやされるのもあるけれど、その裏返しとして非常に軽く見られてしまう。本当に真剣に取り組んでいるし、ここのギャラリーでやりたいと思ってプレゼンテーションに行ったりするけれど、どの先生の紹介で来たか根掘り葉掘り聞かれて、そのルートがちゃんとしてないとダメと言われたり。「どう見ても私を小娘だと思ってる、もう30なのに」みたいな話も聞きます。旧画壇はそういう古い権力関係、ヒエラルキーがはっきりしてる世界ですよね。この先生についてお弟子さんになって、何年やらないと入れてもらえないような、家元制みたいな名残が日本の美術界に部分的に残ってる。その中では女性の若い画家なんて一番下の階級になるわけだから、当然セクハラ問題とかも起こりやすいんです。

イ セクハラまであるんですか。それを受け入れた先にメリットがあることもあるんですかね。

大 セクハラは表にはなかなか出て来ませんよね。今は前よりは比較的言いやすくなっているので露見したりしますけど、一昔前までは「女性だからそういう扱いをされてる」と思っても我慢して頑張っちゃう人が結構いたんじゃないかと思います。私はラッキーにもそういうことはなかったし、現代アートのほうはそういうことが表面化しないというか、少ないんじゃないかとは思いますけど。結局大元のところを辿っていくと、雑誌が売れて、絵が売れて、その業界が潤うために、若い女の子の表現者を祀り上げてスターを作るやり方は芸能界と同じ仕組みなので、それをなくすことはたぶんできないと思う。現実の社会の反映だから。だけど実力のある人しか残らないはず。最終的にはそういうふうに思わないとやってられないでしょ(笑)。

イ なるほど(笑)。女性自身そのことに疑問を感じない人も多いんじゃないかって、周りの話を聞いて思って。女の人も積極的に男社会を作り上げている一員になってるような、表立って指摘しないというか、あんまり疑問に思わないような印象を受けたんです。

大 利用できるものは利用させてもらう、そのほうがストレスもないと思ってる面もあるでしょうね。でも「ホントはこうだけど今の現実社会がそうなんだからしょうがないよね」っていう譲歩をしてしまった段階で、その人の表現は、結局はその枠から出られない表現になってしまうわけじゃないですか。だから、その人がどういう形で社会に出てきても、やっぱり作品には全てが表われるというふうに私は思っていますね。むしろ作品ありきであって、あとのことは関係ないというふうに決めてしまったほうがすっきりすると感じます。

イ 世の中の流れに対して淡々としているというのも精神力が必要ですが、それが重要ということですね。 

大 逆に、容貌のことを必ず言われて気の毒な人もいますよね。日本画の松井冬子さんなんか、どうしたって美貌のことばっかり言われてしまう。あれも逆差別的で、美人作家、美人何々っていうふうに、女性で専門職で出て来た人に必ず「美人」をつけて紹介する仕方が昔からある。それに対して、たとえば美人作家だったら「作家」の部分には何の興味もないのに、ただ女の作家だから「美人」ってつけて、男性の作家より一段下に置いてるんだっていう女性からの反発と、そうじゃなくて実は女性でありつつしかも作家である、その作家の部分に脅威を感じているから、だから美人とつけて作家のほうに目がいかないようにしてるんだっていう意見がある。私は後者のほうの意見を面白いと思ったんですね。どんな世界でもそこに入ってくる女性はやっぱり脅威なんですよ、男の人にとって。女性ってもの自体が訳がわからない、謎だって思ってるのに、しかもその女性が何かを表現して世の中に問うてるっていう段階で、えっどういうこと?みたいに思いたい男性はいまだにいるんじゃないかと思います。だからそこで美人と言っちゃうのは、困ってつけてる感じがしてますね。そうやって言ってもらえるんだったらそれにのっかってやっていこうっていうのも、さっきインベさんがおっしゃったように男性の考え方の補強になるのかもしれない。そこからどうやって違う世界を作るのか、それは難しいことですね。

イ 脅威を感じているものを、作家としではなく女として評価しちゃえば、とたんにラクになるというのは、とても腑に落ちます。 

大 インベさんの場合は方法論の中に女性が女性を撮る、女の子のプライベートの話を聞きながら撮って、二人でひとつの世界を構成していくっていうのがある。そこには男性が介在しないし、たとえば女性モデルを女性カメラマンが一方的に撮るっていうような、男性カメラマンと女性モデルの関係をなぞったような関係でもない。インベさんの方法論の中にはそれらとは違うものがあるから、頑張ってくださいというふうに思います(笑)。

イ ありがとうございます(笑)。30歳過ぎてからは気にならなくなったんですが、20代の頃はとにかく周りがそういうふうに見えたので、いちいちヤキモキしてました。

大 今アートの世界って女の子ばっかりなんですよね。芸大でも美大でも。女の子が6割から、多いと7割。

イ 昔は違ったんですか。

大 逆転してますよ。大昔は男ばっかりで、戦後ちょっと女性が入ってくるようになって、私が大学受験した頃は70年代の終わりだけど、全体では男性がまだ7割近くいたかな。

イ 写真の世界では、年配の男性に聞くと今は女の子のほうが頑張ってるみたいな言い方をする人が多いんですよね。女の子のほうが強くなってるみたいなことを言いたがるんだけど、単純に写真の世界だけで言うなら、デジタルカメラが出てきてからフォトグラファーは商売が成り立たなくなってきている。儲からない世界に男の人がこないのは当然の流れで、稼ぐことにプレッシャーや危機感の少ない女性のほうが自由な気持ちでワーッとはじめてるだけで、強くなってるっていうのとは違うんじゃないかなって思ったりします。

大 アートのほうもそうですよ。女性アーティストが増えました。大学の中のような極端な割合ではないけど。やっぱり絵じゃ食べていけない、食べていくにはどうしたらいいかっていうことを、美術をやり始める時にみんな考えてしまうようになってる。あるいは大学卒業した時点でどっかからデビューして、絵が売れないともう失敗だみたいな考え方になっちゃったり、とても窮屈そうですよね。でもたとえば昼間にお芝居を観にいったり、映画を観にいったり、そういう人たちは専業主婦の人が多い。美術館に行く人も、私の世代からちょっと上くらいまでの、専業主婦にはなったんだけど、凄く知識欲が溢れていて、よく勉強していて、美術だけじゃなくその周辺をまんべんなく勉強してる女性たちで、ほとんどそのおばちゃんたちによって文化が支えられてると言ってもいいくらいのところがあるんです。だから作る側も女性ばっかりになってくると、文化や芸術みたいなものは女性の領域になっていっちゃうんですよね。なっちゃっても別にいいんだけど。

イ そんなに女性に傾いているとは知りませんでした。

大 いや、統計的には知らないですけど、実感として男性はホントに少なくなった。大学入るレベルだと女の子のほうが優秀ってのもあるし、写真は分からないけど、日本ではお絵かきみたいなことはもともと女の子文化なんじゃないかっていう感じがしています。pixivとかのお絵かきサイトで発表してる層もいるし、もちろんそこには男性もいるけど、男性もやっぱり女の子的な文化のほうに親和性があって、女性的なもので文化全体が覆い尽くされていくようなことを感じます。それがよいか悪いか私は分からないですけど。

イ 確かにカワイイもの好きな男性っていますしね。


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女子高文化の特異性/異性の視線の有無

イ 『女が邪魔をする』の中で、女子校の話があったじゃないですか。女子高では「男子に頼らず、何でも女子だけで自主的にやっていかなくちゃならないから、自然と積極的になりますよ」「女子高では、『女子は......』と言う言葉はないんですよ。だってみんな女子だから。(略)自分たちが性別を普段いちいち考えなくて済むってのは大きいです」という女子高出身Yさんの発言部分、私、凄く納得したんです。女子校出身なのでまさにそれだ!と思って。初めて外から言葉として入ってきたので、自分の中でもとてもしっくりきました。

大 私はずっと共学だったので女子校文化を知らなくて、そういうものを知ってる人が羨ましいなって思いがずっとあったんです。典型的に男の文化だと思ってたアートの世界へ男性的な考え方を内面化して入っていって、アートの中で男と肩を並べるつもりでやってたけど、そういう気負いみたいなものは、女子校文化の人たちにはぜんぜんないんですね。

イ それは最初から感じてたんですか。

大 凄い後になってから感じましたね。

イ 私の場合、この本で女子校出身の方が言ってたように、在学中は全然自覚がないんだけれど、卒業して共学出身の子を見ると、自分たちとの違いが見てすぐ分かるんですよ。それくらいはっきりしてる。どういうことかというと、例えばまだ色気がなくて、メイクやファッションよりも漫画やアイドルに夢中で女の子同士だけでワイワイやっているような子たちですらも、しなをつくっている様子がはっきり分かるんです、女子校出身から見ると。笑い方ひとつとっても、ちょっと女らしさを演出してるのが、見てて分かるんですよね。それが、パッと浮き立って見えるんです。共学の女の子たちはこんなにも女を演じることが染み付いているのかと思って、女子高の良さを卒業後に初めて気づくという。そうした違いをありありと感じるのは卒業後1年くらいで、すぐに効力は弱まってしまうんですが、あれは凄く面白い体験でしたね。

大 確かにそうですよね、同性同士の中では異性の視線って意識することないから、逆に自然な感じでいられる。

イ 休み時間でも、女子校では平気で自分の机に一人でいて本を読んでいたり、ひとりでボーッとしてたり。女の子同士で固まって何かすることがないんですよね。共学の中学時代は、みんなが固まってグループを形成するじゃないですか。ひとりでいるとあの子は何だっていうように見られる。あれ自体が男の目線を意識した行動なんだなって気づきましたね。

大 どこかのグループに入らないといづらくなる感じはありますよね。

イ 女子校にもグループはあるけれど、その中でも一人一人別々に行動してるので、それは明確に違うなって。そのことでできる人格形成は変わってくると思いますね。

大 男女で完全に住み分けしたほうが幸せになれるんですかね。

イ (笑)。女子校に関しては私は3年間だけだけど3年間で充分だって思います。一回は経験したほうがいいんじゃないかな。逆に男子校出身の人に会うと、女に幻想を抱いてる人が多い。髪が長くてスカートはいてる女を女だと思っていたり。だから男はダメなんじゃないかって勝手に思ったりしますけど(笑)。

大 じゃあ共学と女子校と両方あるということで(笑)。共学の男子は女子をちゃんと観察しときなさいよ、と。

イ だいぶ勝手な言い分ですけどね(笑)。

作品と性の距離感/客体化へ向かう自意識の表出

イ 大野さんが女性の表現者と男性の表現者の違いを感じた話で、最初は同じという意識から、後になって違うと感じるようになったのは、どういうところで感じるようになったんですか。

大 子供の時から、男の子のほうが何でもできるなっていう感覚があったんですね。クラスで勉強や運動ができる男の子がトップのほうにいて、生徒会の役員も男の子だとか。女の子は、まず男の子並になることが頑張ることだっていう意識がどこかにありました。父親の影響も凄くあったけど、女「も」これからは学問しなきゃいけないって、女の子だけど男の子として育てようみたいなところがあったんです。結局世の中って男の人が偉くって、その下に女の人がいるんだなって感じてましたね。するとそこで行き着くのは二つの道で、可愛い女の子になる道と、頑張って実力を認めてもらう道。私には後の道しかなかったから、やっぱり頑張るしかないんだって。美術の勉強を始める時も、歴史を調べていくとアーティストが男性ばかりで、女性アーティストもいないことはないけど、ビッグネームは全て男。その男の世界に自分は入っていくんだっていう気負いがとってもあったんですね。アートの歴史全体が男の人の作ってきた文化で、それは必ず自分たちより前の世代の、父親世代を乗り越えていく父殺しの文化だったから、そこに自分も参加するという興奮で、やってやるぞみたいな気持ち。それは逆に男性をメチャクチャ意識してるってことだと思うんですけどね。自分が女であることは忘れて、男女関係ないところでやらなきゃいけないっていう気持ちが強ければ強いほど、逆説的に性を意識しちゃってるっていうことだから。

イ 男性優位な世界で、男女関係なくって意識を持つのは大変ですよね。

大 自分の作品を発表し始める頃に、さっき言ってた若い女性アーティストという括りでワーッと出てきた人たちもいて、絶対こういう括りに入りたくないっていう気持ちが自分の中にありました。作品についても、女性的視点がありますねってちょっとでも言われようもんならキッ、関係ないですって言っちゃうくらい(笑)。「あなたの中の女性性」みたいなものを指摘されるのも嫌だった。だから作品のうしろに自分は完全に隠れて、男か女か分からない感じでいいと。作品は、男女の性を超えたもっと普遍的なものとして受け取ってもらいたい、そういう気持ちがとても強かったですね。強かったんだけれども、不思議なことに表現って、自分でこういうものを表現したと思ってるちょっと脇の隙間のところに、その人が本当に考えてることが滲み出てくるんです。作品を作っていけばいくほどその字あまりみたいな部分に、女性であるということが隠しようもなく出ていたらしく、だんだん人から具体的な言葉で言われるようになって、そうなのかなあと少し受け入れるようにはなってきたんです。でも私は殻が凄く分厚かったから、年齢を重ねないとニュートラルになれなかったですね。最初から、女性のアーティストだし感覚の中に女性的なものもあるだろうしって、もっと柔らかく構えてやることができなかった。やっと柔らかく構えてできるようになった時にアートから足を洗ったので、本格的に性の問題に直面するのはアーティストをやめた後のことになるんです。

イ やめたことで、考え始めたんですか?

大 やめたことで、本格的に考えなきゃいけない感じになった。でもそのちょっと前から、作品に滲み出てきてしまっていたとは思います。やっぱりセクシュアリティやジェンダー、その辺りのことが自分は気になってるというのは先に出ていた。非常に個人的なことなので一般化できないとは思うんですけどね。

イ 男兄弟はいないんですか。

大 いないんです。妹がいます。

イ 姉妹二人とも、お父さんからそういう教育を受けて。

大 特に私ですね。長女で、長男みたいな要求をされて、一方では女の子らしくってことも言われる。だから凄いダブルバインドで、男か女かみたいなところでいったりきたりして、葛藤しなきゃいけなかった。インベさんはそういうことはないですか。

イ 私の場合は兄がいるんですけど、兄が自由にやっているのに比べて私は制約が多かったですね。一人暮らし禁止で、車の運転もダメ。何かを行動に移すまえに、「できるわけない」「事故にあう」とさんざん暗示をかけられるので、精神的に足を引っ張られる。自主性を求められなかったから、女性が社会で自立することの意味なんて学生時代に考えたこともなくて、逆に何もできない大人しい子でいたほうが社会に受け入れられるものだと思っていました。でも人の幸せって、自分で自分の人生をコントロールできることに尽きるんですよね。そういうことを大人になってから気づいて、どうして誰も教えてくれなかったんだろうと思いましたけど。

大 インベさんの世代と私の世代と、表現の世界に入っていく時に、女の子がいっぱいいるなっていう感じと、男ばっかりだなっていう感じの違いは多少あるかもしれませんね。

イ 大野さんはアーティストを辞めてから本を出版されるようになったので、過去にどんな作品をつくっていたのか本を読んでいてもなかなかイメージがつきません。彫刻なんですよね。

大 彫刻科出身ですけど、多くがインスタレーション的な展示で、単体の作品は少ししか作ってないですね。一番最初は、ギャラリーの床にセメントをダーッと流して、中に針金や鉄筋を仕込んでおいて、セメントが乾いたところで針金をバリッと半分くらい引き起こすと、セメントが壊れて針金や鉄筋がバリバリバリと出てくる。それからセメントを塊に固めておいた中に、鉄筋をハンマーで壊れる寸前まで打ち込んでいったり、解体した工事現場のような荒々しい雰囲気の作品を作ったんです。彫刻の王道的な流れとして、ひとつの単体の物としてグッと自立して立っていることが大事なんですが、それをとにかく壊したいと。何かを作るんじゃなくて、壊すところからスタートしたんですね。でも壊すためには何かがないといけないから、一回作っておいて半分壊す。その壊した廃墟みたいなものの中に、だんだん具体的なものが混じってきて、絵とか写真が入ってきたり、音と言葉を使ったパフォーマンスをその中でやってた時期があって、それが20代。30代になってから、だんだんと一周回って彫刻的な形、本当に具体的な人間の形を作りだして。


「セメント、針金、鉄筋」インスタレーション会場風景 / 1984年 / (C)2014.OHNO SAKIKO ALL Rights Reserved.
「セメント、針金、鉄筋」インスタレーション会場風景 / 1984年 / (C)2014.OHNO SAKIKO ALL Rights Reserved.


イ ダイナミックですね。

大 ブルマー姿の女の子が何組も空中で闘っている作品があったのですが、今思うと「女」というものについて何か言おうとしていたんだと思います。いくつか女性のかたちを使った立体作品を作っていって、最後のほうでは映像になりました。いろんな映画のキスシーンを集めてスライドにして、蓄光塗料を塗った壁に一定の間をおいて投影していくと、残像がだんだん重なってグチャグチャになっていく。ある時は男性同士、ある時は女性同士、あるいは顔が重なって醜い顔同士でキスしてるように見えたり、男女の判別もつかないとか、もう完全にジェンダーとセクシュアリティの世界ですよね(笑)。


「空中戦」 / 1998年 / (C)2014.OHNO SAKIKO ALL Rights Reserved.
「空中戦」 / 1998年 / (C)2014.OHNO SAKIKO ALL Rights Reserved.


イ ジェンダーのほうへ無意識に向かったんですか。

大 これはとても難しくて、正面からテーマにすると失敗するというのが自分の中にあって。この辺のことをやりたいんだけど、その周りをドーナツ状に作るみたいな感じですね。その真ん中は正面きって言えないから穴のままにしておくという感じでやってました。

イ ど真ん中は封印してるような感じですか。

大 封印というか、そこはビジュアル化もできないし言語化もできない、何か分からない領域があって、性の問題もその真ん中のところなんです。そこにヒュッと人を引き込むには周りを丁寧に作っておかなければいけない。ドーナツみたいなもので、本当はドーナツの穴自体を示したいんだけど、それにはドーナツを作らねばならないという感じで制作を考えてきました。真ん中にドンといける人もいるかもしれないけど、私の場合はそれをやると何か薄っぺらくなって失敗するという。インベさんは、これからもずっと写真を撮って欲しい女の子たちと会って、撮影を続けていくんですか。

イ はい。私は興味の幅が限られているので、スタイルは変わらないですね。

大 もう何人くらいの人たちと会ったんですか。

イ 撮影したのは100人くらいだと思います。

大 もう一回撮ってくださいって来る子もいる?

イ そういう子もいますね。あれから状況が変わって、今こんなふうになってるからまた撮って欲しいとか。違う男に乗り換えて新しいトラブルが起きてるの、だから今撮ってとか、私の好みを察して誘うような(笑)、そういう何かリアルな、人には言えないような面を全部見せてくれる子が私は好きだしイマジネーションが沸くので。彼女たちも周りの友達には言えないけど、私なら面白がってくれるっていう安心感があるのかなと思います。

大 女子校文化の中にいた人だって、向こうもピンと感じて、先輩に喋るような感じでいるんですかね。

イ 私はただ話を聞いて面白がるだけでアドバイスはしないので、相談という感じじゃないですね。自分の武勇伝を語るかのように、今こんなに凄い人生を送ってるって、自分が主人公の物語を話していく印象で。私も小説を読むように人の話を聞くところがありますね。

大 ネットを見てても、女の人のブログは自分のことを書いてる人が圧倒的に多いじゃないですか。そのほうが面白いというか、男の人が自分のことを書いててもあまり面白くなくて。どっちかっていうと男の人って、公の意見とか見解とかについての考察とか、そういうブログが多いですよね。私も自分のことを書いたりしますけど、最初はそんなつもりなかったのにどんどん自分のことを書くようになっていって(笑)。なんでしょうね、この自分語りが出てくるというのは。

イ 上手くいかない、上手くやれてない自分にもうっとりするような感覚が女の人にはあるのかなって思います。男の人だと、たぶんあまりそんな面は見せたくないっていうプライドがあるじゃないですか。

大 それを解決しなければいけないっていう方向にいっちゃったり。

イ 女の人は、今こんなことでトラブッちゃいましたみたいなコケてしまった自分、ある種そこにナルシシズムがあるのかなって。

大 なるほどね、面白いですよそれは。ナルシシズムもありつつ、そういう自分をちょっと醒めて見たいっていう感じ、私って結構面白いんだっていう(笑)。

イ 女性の生きづらさというのは、その女性の人生をユニークな方向に、複雑化して面白い形に作っていくための、ある種の要素でもあるのかなと思って。逆にちょっと窮屈なほうが、物語が生まれて魅力的な人生になるのかなと思うこともありますね。


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失われたロールモデル/変遷する女性の人生

イ 大野さんの世代って、リストカットやうつ病ってそんなにない世代ですよね。

大 そうですね、少ないと思います。うつ病みたいなものはあったんだろうけど、名前もちゃんとつけられてないような感じで、ジェンダー規範も今よりもっと強かった気がします、枠組みが。だからある程度生き方の型があって、どれか選べはなんとかなる。70年代から80年代は、今ほど全部が流動的になっていて先も見えない感じではなかったから。本格的に先が見えなくなってきたのは、そのずっと後でしょう。だから割とレールに乗ってれば大丈夫っていう女の人も多かったと思います。

イ その場合のレールっていうのは例えばどんなものですか。

大 とりあえず専業主婦になった人も多かった。高校の同級生を見てるとね。その一方で80年代は「女の時代」と言われて、女性が社会進出してるってもてはやされていたんです。芽が出たのはごく一部の成功した女性だけだったんだけど、女性全体の希望がそこにあるような感じで言われていたから、後でハシゴを外されて、こんなはずじゃなかったって人も多かったと思う。

イ それですんなり行けるほどの状況は整っていなかったんですね。

大 そう。状況は全然整っていなかった。

イ 煽られるだけ煽られて。

大 そうそう。するとどんどん自分に対する理想も高く高くなってったから、結婚しても仕事をバリバリ、いろんなことをこなしてスーパーウーマンを目指してポキッと折れちゃう人もいたでしょうし。私もそうなりかかった時が(笑)。まだ「ジェンダー入門」の授業を持つずっと前で、フェミニズム系の本は何冊か読んでたけど、書いてあることは当たり前のことだなって、そこに深く入っていこうとは思わずにいましたね。何でも普通にできないといけないんだみたいに思ってしまって。良い奥さんもやり、アーティストとしてもちゃんとやりたい、そんなの無理だって最初はわからなかった。だから私たちのような上の世代がジタバタしてるのを見て、ずっと下の世代は何とかして専業主婦になるか、恋愛とか結婚から遠ざかって好きなように生きるかみたいな動きが出てきた。そういう人が増えたのは、それは当然だよなあって思いましたね。

イ 周りを見てると、私より若い世代だと若い時に散々楽しもうと割り切って、30歳くらいまでに死のうと思ってる人も少なくない数でいます。長生きはしないと決めて、今だけを楽しむ。未来になにも期待していないんですよね。

大 それはやっぱり私たちの世代の責任でもあって。年をとってからのロールモデルがぜんぜん作れてないんですよね。30過ぎても、50になっても素敵な女性にとか、そういう理想像はあるかもしれないけど、大抵お金があって美貌もそれなりにキープしているパターンで。そんなことに関係なく、なんか楽しそうに生きてるっていうモデルがないんです。

イ 幸福感を得るのに美貌が必要となると、年を取れば価値が下がる図式にしかならないですからね。

大 それを作れなかったのはマズいなって本当に思います。だから、今でも20歳くらいの人にとっては、30過ぎなんて想像できないでしょうね。自分が30を過ぎても生きていくんだっていうことが。まして40、50、60になってもなんて。楽しいことは何にもないんだって思えるんでしょうね。

イ でもその子たちが、綺麗な格好して若さを謳歌して楽しそうかというと楽しくなさそうなんですよね。消費を繰り返して、その時やりたいことをやって、行きたいところに行って、その時可愛いといわれる服を着てるけど、そこに楽しそうな雰囲気がない。若さを本当の意味では謳歌してないんじゃないかなと思うから、その状態から若さまでもなくなったら、ホントに何もないところに行き着いてしまうと思ってしまうんでしょうね。

大 今日か明日くらいしか想像できないんじゃないでしょうか。先のことなんてわからないから、今すぐ手に入れられるものしか興味がなくなってしまう。何かを蓄積していって、3年か5年後にすごくいいものになってるみたいなイメージを持てないというのは凄くわかる気がする。だから教育の場ではそういう啓蒙をしなきゃいけないんだけど、それが一切通じなくなってきてる。今楽しくないのに、もうこれ以上努力できない、じゃあ先生が先のこと保証してくれるの?って、そんなことは実際は言わないけど、言いたそうな雰囲気がありますね。

イ 若いだけで素晴らしいみたいなことすぐ言われちゃうから、若い今が楽しくなければ未来はもっと悲惨というふうにしかイメージできないですよね。

大 男の人が年をとるのはそこまでマイナスのイメージがなくて、枯れた感じになろうがギラついた親父になろうがそこそこいいじゃないですか。どれだけ年を取っても若い女性と恋愛する人がいる。でもその逆のパターンって極めて少ない。女が年をとって、面白そうでかっこよくて楽しそうでっていうモデルは、どうやったら作れるんだろうって思いながら私もこの年になってしまったんですね(笑)。もうこの10年くらい、いつも手遅れだ手遅れだと思いながら生きてて。かっこいいおばさんになれなかったから、せめて自分の失敗とか、そういうものを身近にいる人には包み隠さずにするリアルなおばさんくらいしかないかなっていう感じでいます。

イ 早くから、かっこいい年の重ね方というか、下の見本になるような生き方を意識されていたんですね。私は大野さんの生きかたはとても憧れますよ。

大 こういう感じだったら私も年を取るのが楽しそうだなって、そんなふうになれたらいいなとはぼんやりと思ってましたよね。だけどそれも結構苦しいというかね、実際はもっとみっともなかったりするし、知らないうちにここまで来ちゃったんだよ、来てしまうよみたいな感じのことしか言えないんです......すみません(笑)。いや喋っているうちに、ちょっとこれはいかん、かっこいいこと言いすぎだっていう感じになってきたんで、尻すぼみの発言になってしまいました。でももっと年をとると、ずーっと大人しくなってしまうのは男性で、女性はいつまでたっても、女性同士のコミュニケーションをとろうとし続けて、ボケるのは遅いような気がしますよね。

イ なるほどなるほど。

大 だから、いろんな抑圧とか、自分の中の葛藤とか、グチャグチャしたものを抱えながら、同性にその話を聞いてもらったり、いろいろ細かいことをしながらも意外と長く元気に生きられるのが女性で、男性はあるところでガーンと出すんだけど、その出す時期が終わるとシューンってなってく人が、私の世代から上だと多いですよね。老人ホームのお爺さんとお婆さんを見てると明らかに違いがあります。女の人のほうがずっとよく喋るし、しっかりしてる。

イ 弱みをだだ漏れにできるのって、ある種の強さが必要ですからね。男と女はそういう面で全然違うということが、写真を撮っているとよくわかります。

大 写真に撮られることはもちろん、そういうコミュニケーションも、半分は受動的な行為ですよね。いつも能動性を期待される男性と違って、その半分受動という形を借りながら女性は自分の中のエネルギーを解放させる。そこから単純な能動性より複雑でなまなましいものが出てくる。インベさんの写真表現の面白さは、そういうことを制作過程に含んでいるところでしょうね。

イ 女性と外見って切っても切り離せないもので、美しければ満たされるってほど単純じゃないし、逆に自分の精神性に自信を持ったからその外見を写して欲しいっていう感性もあったりする。生きていくことと自己表現をすることがセットのようなところに、女性性が含まれるのかもしれませんね。今日は大野さんとお話して、いろいろと再確認できた気持ちです。


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【インベカヲリ★写真展『やっぱ月帰るわ、私。』(アンコール展) 開催情報】
開催日時=2014年3月13日(木)~19日(水) 
10:30~18:30(最終日は15:00まで)無休

トークショー/インベカヲリ★(写真家)×佐伯慎亮(写真家) 
3月16日(日)14:00~15:00

詳細=インベカヲリ★写真展
会場・問い合わせ先=大阪ニコンサロン
大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階
インベカヲリ★写真集 『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)
著者:インベカヲリ★
発売日:2013年11月1日
定価:2,940円(税込)
出版社:赤々舎

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『現代アートの本当の学び方 』(フィルムアート社 )
著者:会田誠、荒木慎也、大野左紀子、川崎昌平、暮沢剛巳、谷口幹也、土屋誠一、筒井宏樹、成相肇、橋本誠、日比野克彦、福住廉、三脇康生、村田真、山木朝彦
発売日:2014年3月24日
定価:1,785円(税込)
出版社:フィルムアート社

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『高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? 』(光文社)
著者:大理奈穂子、栗田隆子、大野左紀子
監修:水月昭道
発売日:2014年2月18日
定価:777円(税込)
出版社:光文社

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『アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン』(河出書房新社)
著者:大野左紀子
発売日:2012年9月26日
定価:1,575円(税込)
出版社:河出書房新社

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『アーティスト症候群---アートと職人、クリエイターと芸能人 』(河出書房新社)
著者:大野左紀子
発売日:2011年7月5日
定価:798円(税込)
出版社:河出書房新社

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『「女」が邪魔をする 』(光文社)
著者:大野左紀子
発売日:2009年6月25日
出版社:光文社

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『モテと純愛は両立するか?』(夏目書房)
著者:大野左紀子
発売日:2006年5月
出版社:夏目書房

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関連リンク

「赤々舎」公式サイト


大野左紀子 1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2003年まで美術作家活動を行った後、文筆活動に入る。
著書は『アーティスト症候群』、『「女」が邪魔をする』、『アート・ヒステリー』など

インベカヲリ★ 1980年、東京都生まれ。写真家。
2007年、新宿ニコンサロンにて個展。
2008年、ニコンサロンJuna21写真展年度賞「三木淳賞奨励賞」を受賞。
ロサンゼルス、バルセロナ、香港などでグループ展に参加、2012年~13年にかけてミラノで5ヶ月間の個展を開催。2013年6月、パリのフリーマガジン「TEiCAM BOOKS」にて特集号が組まれる。2013年11月に赤々舎 より写真集『やっぱ月帰るわ、私。』を発売。
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