スナイパーアーカイブ・ギャラリー 1981年2月号【2】
法廷ドキュメント 晒された秘部 第二回 文=法野巌 イラスト=笹沼傑嗣 男の目の前で白い裸身が顫え、秘唇が引き裂かれる |
前回掲載してご好評をいただいた法廷ドキュメント第二弾です。挿絵ともどもお楽しみ下さいませ。
妊娠願望
等々力一平は幼い頃から体力的に恵まれない子であった。神経質で、すぐ引き付けを起こし、両親をあわてさせた。又、冬になると風邪をひいて、40度の熱を出すこともしょっちゅうだった。
中学校へ通うようになってから少しは体力もつき、以前ほどには寝込むことはなくなってきたが、同級生の男子と比べると、腕力、持久力等すべての面で体力的に劣っていた。彼の肉体は貧弱で、腺病質の典型的特徴をすべて備えていた。
体力のない一平は、他所で一人前に働くのは無理だと両親は考え、自宅を改造して、タバコの売店を始めた。これであれば、一平は店番をするだけでよいし、あまり動き回る仕事ではなく、体力を消耗することもない。
こうして、一平は中学を卒業すると、上級の学校に進まず、両親の下で、ぶらぶらしながら毎日を送ることとなった。タバコを買いに来る客はそれほど瀕繁に訪れてはこないし、来ても少し待って貰って炬燵から出て行けばよい。こんな生活が一平には最適なのであろうか、あまり大病を患うことなく数年が過ぎた。
一平が早夜を妻として迎えたのは、一平が30歳、早夜が28歳の時であった。
早夜は、色白で、肌理の細かい、ふくよかな肉体を持つ女であった。美人ではないが、そうかといって、器量が悪いというほどでもなかった。十人並み、いや十人並み以上の容貌の持ち主であるといってよかった。性格はその体つきに似て、穏やかで、いつも笑顔を浮かべていた、一平が体力的に劣っている分、早夜は健康な肉体を有していた。
一平からすれば過ぎた女房といえる早夜であった。どうして早夜が28歳になるまで他に嫁がなかったのか、当初一平には不思議であった。早夜は、一平の母親の遠縁にあたる娘であった。法律的には親族ではないほど、遠い親戚であった。
母親が早夜を鳥取の田舎から呼び寄せた時、一平は、早夜が単に、家事の手伝いにだけ来たものではないことを薄々感付いていた。そしてその通りであった。早夜が一平の家に来てから半年後に2人は夫婦となった。
早夜が一平の妻となってから1年後に彼の母親は子宮癌が手遅れとなって死亡した。それから一年後に、後を追うように父親が死亡した。あっという間に一平の家は、彼と妻の早夜との2人きりになってしまった。
男というものは、その連れあいを失うと急速に生命を消耗させるものらしい。一平の父親は、母親が死んた後、急に老け込み、それまでひいたこともなかった風邪をこじらせ、肺炎になり、そして死んでしまった。
早夜は一平と2人きりの生活になってしまった後も、以前と同じようによく働き、彼の世話をしていた。当初、どうして早夜のような女が自分のような男のところに来たのだろうと考えていた一平も、早夜との生活になじんでくると、一緒の暮らしが極くあたり前のように思えてきた。そんな考えが湧いてくることもなくなってきていた。一平は体力的にも腺病質であったが、性能力の点においても通常人よりはるかに劣っていた。結婚して間もない頃であっても週に1回早夜との交渉を持てばましな方であった。欲望そのものが殆んどなく、夜になって、早夜の布団の側に体を横たえても、彼にとって最大の関心事は、ただいかにして早く眠りにつくかということらしかった。
早夜は大人しい性格であり、一平が彼女を求める回数が少なくても、別段不満を感じている風はなかった。別に彼女の方から求めることはしなかったが、しかし、求められた時拒むことはなかった。彼の要求するとおりのものを早夜は与えた。結婚当初は週1回、そして、いつ頃からか2週間に1回位の割合で……。
結婚して5年経過しても2人の間に子供は生まれなかった。
既に鬼籍に入ってしまった一平の両親も、孫の誕生を楽しみにしていたが、遂にその希望はかなえられなかった。
生まれない原因が一平にあるのか、早夜にあるのか、2人ともわからなかった。
子供をさずからないままに数年間が経過したが、2人とも、子供をつくるために必死の努力をするということはしなかった。生まれればよし、生まれなければそれもよしといった態度であった。
この頃には、一平と早夜との肉の交わりは1週間に1度の割合から2週間に1度の割合へと移行しつつあった。これでは、妊娠しないのは回数が少なすぎるといわれても仕方のないことであろう。2人ともまだ30代前半であり、普通の人間にとっては精力が充実している年齢であった。
(続く)
07.06.03更新 |
WEBスナイパー
>
スナイパーアーカイヴス