法廷ドキュメント 暗黒色と肉食の痺れ
お待たせいたしました法廷ドキュメント第三弾!
睡眠薬自殺
男は北里繁夫45歳、都内のある信用金庫に勤務するサラリーマンであった。死んだ女、つまり繁夫の妻は、早苗、年齢は夫よりも10歳若い35歳であった。
繁夫からの事情聴取は、夜も遅くなったことでもあり、改めて、次の日に行なうことにして、捜査員らは、死体解剖のため、遺体をT大の法医学教室に運んだ。
翌日、医師の手により死体解剖が開始された。解剖の結果により、死因が究明され、あるいは、そのための重要資料が得られることが多い。捜査員らは医師の鮮やか且つ慎重な執刀の様子を息を詰めて凝視していた。
胃の中の残留物、腸内の残留物、血液中に溶けている物質の検査の結果、2人とも、かなり多量の睡眠薬を飲んでいること、男からはそれにも増して、大量のアルコールが検出されたことが明らかとされた。
又、女の首には、指のようなものによって絞められた跡が残されていた。
以上の結果から、女は絞殺されたもの、男は、大量の睡眠薬あるいはアルコール摂取の結果中毒死したものと断定された。
死因は判明したものの、依然として、心中なのか、あるいは第三者の手による殺人、(その中には嘱託殺人も含まれるが)なのか、未解決のままであった。
繁夫からの事情聴取は1回だけでは終わらなかった。勿論、当初は、繁夫は、妻に死なれた、哀れな亭主と思われていたから、飽く迄も、参考人としての事情聴取であった。
繁夫は、捜査員の質問に対し、初めの頃は以下のような供述をしていた。
「私は、死んだ妻と結婚してから、約12年になります。子供はおりません。妻と2人きりの生活でした。
私は、大学を卒業以来、現在勤務している信用金庫でずっと仕事をしてきました。現在は××支店の支店長代理をしております。
この度、こんな事件にあいまして、私は全く驚いてしまいました。なぜこんなことになったのか、さっぱり分かりません。
まず、死んだ男を私は知りません。ですから、妻がその男と以前から交際していたのかどうか、私は知りませんし、そういう気配には全く気が付きませんでした。もし、妻が男と浮気をしているのでしたら相当上手に私に隠れてしていたのだと思います。
私は、その日は、取引先に新たな融資をするために担保として提供された、地方の山林を評価するために、前日から出張しておりまして、帰ってきたところでした。
玄関のベルを鳴らしても何の返答もないので、おかしいな、どこかに外出しているのかなと思い、ドアを開けて、着換えをしようと寝室に入っていった時に、2人の死体を発見したわけです」
以上の主張を繰り返すのみであった。外部から侵入した第三者によって殺害された疑いを捨てない捜査員らは、その線に副って、捜査を進めたが、それらしい証拠には遂にぶつからなかった。
又、繁夫の出張したという主張も事実であった。繁夫の供述には、その限りで一応の筋が通っており、信憑性もあったので、捜査本部としてはそれ以上追及することは出来なかった。他に新たな証拠を見つける以外に事件の進展はないという状況であった。
1週間ほどが経過した。警察内部では、2人は心中したのではないかとの声が次第に優勢となっていった。係官らの顔には焦りの色が滲み出してきていた。
その頃、女の声で捜査本部に電話があった。昼の3時頃、繁夫が家に入って行くのを見たというものであった。名前は言わなかったが、どうやら近所の主婦らしかった。
捜査員らは色めきたった。
今までの調べでは、繁夫は、家に夕方着いたとのことであった。それが、電話の声が正確であるとすれば、3時頃には、繁夫は家に帰っていたことになる。
繁夫は記憶違いをしているのだろうか。あるいは嘘を言っているのであろうか。
夕方家に帰って来たというのは、事件発生直後から彼の言っていることである。1年も前のことならとも角、この時点での記憶違いということはまず考えられない。しかも、太陽がまだ出ている時間か沈んだ頃かということについての記憶である。印象としてはかなり強いものを残す内容のものである。
繁夫は明らかに嘘をついている。であるとすれば何のために。何か捜査員らに隠しておきたい事があるのか。それは2人の死因そのものではないか。もう1度、厳しく繁夫を追及してみる必要がある。
捜査員らは、彼の勤め先に電話を入れた。だが、繁夫は、この日は、体調が悪いということで休んでいるという。
家に連絡をしたが、電話には誰も出ない。捜査員の顔には明らかに興奮の色が浮かんできていた。何か獲物の臭いをかぎつけた時の顔色である。
繁夫の家に急行した捜査員らは、やがて大急ぎで救急車を呼びつけた。繁夫は睡眠薬自殺をはかり、意識不明となって自室に倒れていたのだった。
救急車によって病院に運ばれ、胃洗浄を受け応急手当を受けた繁夫は幸い一命を取り止めた。
2、3日後には意識も回復し、捜査員らも慎重にではあるが、事情聴取を開始した。今度は単なる参考人ではなかった。新しい、繁夫の立場は、「被疑者」であった。
捜査員らは、近所からの精力的な聴き込みを改めてやり直し、遂に3時頃、繁夫が家に入るのを見たという目撃者を探し出した。又、捜索令状による捜索により繁夫の寝室から、男女の性交、痴態の写っている写真、性交時に発している声と思われる、男女のなまめかしい声、息づかいが録音されているテープが発見された。この男女は、死んだ男と、繁夫の妻早苗のものであった。
これらの証拠を背景に真相を迫った捜査員らに対し、繁夫は、自分が2人を殺害した犯人であることを自供した。
自殺が失敗に終わり、病院で意識を回復した時から、繁夫は、すべてを告白するつもりであったらしかった。捜査員らの追及に対し、彼はすべてをあきらめた、静かな口調で、彼と、彼の妻、そして死んだ男、沢田一郎との奇妙な三角関係を明らかにしていった。
法廷ドキュメント 暗黒色と肉食の痺れ 第二回 文=法野巌 イラスト=兼田明子 赤ちゃんが欲しいという妻の言葉が悲劇の発端だった。 |
お待たせいたしました法廷ドキュメント第三弾!
睡眠薬自殺
男は北里繁夫45歳、都内のある信用金庫に勤務するサラリーマンであった。死んだ女、つまり繁夫の妻は、早苗、年齢は夫よりも10歳若い35歳であった。
繁夫からの事情聴取は、夜も遅くなったことでもあり、改めて、次の日に行なうことにして、捜査員らは、死体解剖のため、遺体をT大の法医学教室に運んだ。
翌日、医師の手により死体解剖が開始された。解剖の結果により、死因が究明され、あるいは、そのための重要資料が得られることが多い。捜査員らは医師の鮮やか且つ慎重な執刀の様子を息を詰めて凝視していた。
胃の中の残留物、腸内の残留物、血液中に溶けている物質の検査の結果、2人とも、かなり多量の睡眠薬を飲んでいること、男からはそれにも増して、大量のアルコールが検出されたことが明らかとされた。
又、女の首には、指のようなものによって絞められた跡が残されていた。
以上の結果から、女は絞殺されたもの、男は、大量の睡眠薬あるいはアルコール摂取の結果中毒死したものと断定された。
死因は判明したものの、依然として、心中なのか、あるいは第三者の手による殺人、(その中には嘱託殺人も含まれるが)なのか、未解決のままであった。
繁夫からの事情聴取は1回だけでは終わらなかった。勿論、当初は、繁夫は、妻に死なれた、哀れな亭主と思われていたから、飽く迄も、参考人としての事情聴取であった。
繁夫は、捜査員の質問に対し、初めの頃は以下のような供述をしていた。
「私は、死んだ妻と結婚してから、約12年になります。子供はおりません。妻と2人きりの生活でした。
私は、大学を卒業以来、現在勤務している信用金庫でずっと仕事をしてきました。現在は××支店の支店長代理をしております。
この度、こんな事件にあいまして、私は全く驚いてしまいました。なぜこんなことになったのか、さっぱり分かりません。
まず、死んだ男を私は知りません。ですから、妻がその男と以前から交際していたのかどうか、私は知りませんし、そういう気配には全く気が付きませんでした。もし、妻が男と浮気をしているのでしたら相当上手に私に隠れてしていたのだと思います。
私は、その日は、取引先に新たな融資をするために担保として提供された、地方の山林を評価するために、前日から出張しておりまして、帰ってきたところでした。
玄関のベルを鳴らしても何の返答もないので、おかしいな、どこかに外出しているのかなと思い、ドアを開けて、着換えをしようと寝室に入っていった時に、2人の死体を発見したわけです」
以上の主張を繰り返すのみであった。外部から侵入した第三者によって殺害された疑いを捨てない捜査員らは、その線に副って、捜査を進めたが、それらしい証拠には遂にぶつからなかった。
又、繁夫の出張したという主張も事実であった。繁夫の供述には、その限りで一応の筋が通っており、信憑性もあったので、捜査本部としてはそれ以上追及することは出来なかった。他に新たな証拠を見つける以外に事件の進展はないという状況であった。
1週間ほどが経過した。警察内部では、2人は心中したのではないかとの声が次第に優勢となっていった。係官らの顔には焦りの色が滲み出してきていた。
その頃、女の声で捜査本部に電話があった。昼の3時頃、繁夫が家に入って行くのを見たというものであった。名前は言わなかったが、どうやら近所の主婦らしかった。
捜査員らは色めきたった。
今までの調べでは、繁夫は、家に夕方着いたとのことであった。それが、電話の声が正確であるとすれば、3時頃には、繁夫は家に帰っていたことになる。
繁夫は記憶違いをしているのだろうか。あるいは嘘を言っているのであろうか。
夕方家に帰って来たというのは、事件発生直後から彼の言っていることである。1年も前のことならとも角、この時点での記憶違いということはまず考えられない。しかも、太陽がまだ出ている時間か沈んだ頃かということについての記憶である。印象としてはかなり強いものを残す内容のものである。
繁夫は明らかに嘘をついている。であるとすれば何のために。何か捜査員らに隠しておきたい事があるのか。それは2人の死因そのものではないか。もう1度、厳しく繁夫を追及してみる必要がある。
捜査員らは、彼の勤め先に電話を入れた。だが、繁夫は、この日は、体調が悪いということで休んでいるという。
家に連絡をしたが、電話には誰も出ない。捜査員の顔には明らかに興奮の色が浮かんできていた。何か獲物の臭いをかぎつけた時の顔色である。
繁夫の家に急行した捜査員らは、やがて大急ぎで救急車を呼びつけた。繁夫は睡眠薬自殺をはかり、意識不明となって自室に倒れていたのだった。
救急車によって病院に運ばれ、胃洗浄を受け応急手当を受けた繁夫は幸い一命を取り止めた。
2、3日後には意識も回復し、捜査員らも慎重にではあるが、事情聴取を開始した。今度は単なる参考人ではなかった。新しい、繁夫の立場は、「被疑者」であった。
捜査員らは、近所からの精力的な聴き込みを改めてやり直し、遂に3時頃、繁夫が家に入るのを見たという目撃者を探し出した。又、捜索令状による捜索により繁夫の寝室から、男女の性交、痴態の写っている写真、性交時に発している声と思われる、男女のなまめかしい声、息づかいが録音されているテープが発見された。この男女は、死んだ男と、繁夫の妻早苗のものであった。
これらの証拠を背景に真相を迫った捜査員らに対し、繁夫は、自分が2人を殺害した犯人であることを自供した。
自殺が失敗に終わり、病院で意識を回復した時から、繁夫は、すべてを告白するつもりであったらしかった。捜査員らの追及に対し、彼はすべてをあきらめた、静かな口調で、彼と、彼の妻、そして死んだ男、沢田一郎との奇妙な三角関係を明らかにしていった。
(続く)
07.06.27更新 |
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