法廷ドキュメント 殺意の原点
倒錯の真実に迫る法廷ドキュメント、第七回をお届けいたします。
結婚の約束
知り合って二度ほど体の交渉を持った頃でしょうか、何度か達した後、彼女はぐったりと横たわっている私の顔の前に、尻を持ってきました。
私は愛撫して欲しがっているのだなと思い、彼女の可愛い菊座を人差し指や中指の腹で揉みしだいてやりますと、案の定、彼女は善がりだしました。
そして、何と、
「入れて」
と要求するのです。
私は驚いてしまいました。
というのは、私は通常の門を使った遊びは大分してきましたが、後門での遊びは未経験だったからです。
しかし私はすぐに思い直し、指を挿入してやりました。
挿入した指を出し入れして刺激している間、彼女は信じられないほどの喜悦の声を漏らしていました。
そしてとうとう、失神してしまいました。
彼女は後門を使用しての交わりを、OL時代につき合っていた上司から教え込まれていたのです。
嫌がるのを無理矢理に犯され、それで味を覚えてしまったのか、もともと彼女には、素直に受け容れる下地があったのかはわかりませんが。
セックスに貪欲であった彼女のことからすれば、何の抵抗もなく上司から教え込まれ、狂いたいほどの快感が忘れられず、病みつきになったのだと思います。
私と彼女との交わりは、そんなことがあってから更にエスカレートして行きました。
二人とも通常のセックスでは飽き足らず、SM雑誌を買ってきては、一見よう見まねで、それに載っているようなロープでの縛りをやってみたり、院腸での遊びをしたりするようになりました。
私が意地悪をすればするほど、彼女の喜び方も増すらしいことを知って、どうやらこれがSMというものなのだろうかと考えるようにもなりました。
私は、女とはあそこを使ってのセックスだけ出来れば満足している方でしたから、あまりSMなどというものには興味がありませんでした。
いや、知らなかったと言った方が正確でしょう。
しかし、育枝を知ってからは、彼女にリードされる形でSMの世界にのめり込んで行ったのです。
育枝との関係が半年ほど続いた頃、流石に私も彼女との交渉に疲れを感じるようになりました。
信じていただけないかも知れませんが、私は彼女と一日中ベッドに入って、六回も気を遣ったことがあったのです。
そんな時、私の田舎の方から見合いの話が来ました。
相手の女性はその年に大学を卒朶したはかりの人で、父親は土建会社の社長をしており、県会議員もしている人でした。
私はあまり乗り気ではありませんでしたが、暫く田舎に帰っていないことでもあり、骨休みを兼ねて約一カ月ほど東京を留守にしました。
見合いの相手にはあまり興味は持ちませんでしたか、父親はかなりの資産家であり、自分にはもうその気はないが、もし私が政治家を目指し、行く行くは国会議員にでも立候補するつもりなら応援してやっても良いというようなことを言われまして、私は大分気持ちを揺さぶられました。
結周、私はその女性と結婚することにしました。
式は約一年後ということまで決めました。
いざ結婚の決意を固めますと、相手の女性が自分の理想の女性のように見えてくるから不思議でした。
私にもまだ良心がわずかばかり残っていて、結婚するのは相手の財産が目当てではない、女に魅力を感じたからだと、無理矢理にでも思わなければやり切れないということだったのでしょう。
しかし結婚することを決めても、そのためには大問題が残っていました。
育枝とは結婚の約束などした覚えはありませんが、半年ほど同棲してきた女であり、又、その肉体に未練は十分ありました。
まああと一年間ほど上手につき合って、適当に処理しよう、そんな気持ちで再び東京に戻ってきたのでした。
法廷ドキュメント 殺意の原点 第七回 文=法野巌 イラスト=石神よしはる 棄てられていた若い女性のバラバラ死体は、性器を抉り取られていた……。 |
倒錯の真実に迫る法廷ドキュメント、第七回をお届けいたします。
結婚の約束
知り合って二度ほど体の交渉を持った頃でしょうか、何度か達した後、彼女はぐったりと横たわっている私の顔の前に、尻を持ってきました。
私は愛撫して欲しがっているのだなと思い、彼女の可愛い菊座を人差し指や中指の腹で揉みしだいてやりますと、案の定、彼女は善がりだしました。
そして、何と、
「入れて」
と要求するのです。
私は驚いてしまいました。
というのは、私は通常の門を使った遊びは大分してきましたが、後門での遊びは未経験だったからです。
しかし私はすぐに思い直し、指を挿入してやりました。
挿入した指を出し入れして刺激している間、彼女は信じられないほどの喜悦の声を漏らしていました。
そしてとうとう、失神してしまいました。
彼女は後門を使用しての交わりを、OL時代につき合っていた上司から教え込まれていたのです。
嫌がるのを無理矢理に犯され、それで味を覚えてしまったのか、もともと彼女には、素直に受け容れる下地があったのかはわかりませんが。
セックスに貪欲であった彼女のことからすれば、何の抵抗もなく上司から教え込まれ、狂いたいほどの快感が忘れられず、病みつきになったのだと思います。
私と彼女との交わりは、そんなことがあってから更にエスカレートして行きました。
二人とも通常のセックスでは飽き足らず、SM雑誌を買ってきては、一見よう見まねで、それに載っているようなロープでの縛りをやってみたり、院腸での遊びをしたりするようになりました。
私が意地悪をすればするほど、彼女の喜び方も増すらしいことを知って、どうやらこれがSMというものなのだろうかと考えるようにもなりました。
私は、女とはあそこを使ってのセックスだけ出来れば満足している方でしたから、あまりSMなどというものには興味がありませんでした。
いや、知らなかったと言った方が正確でしょう。
しかし、育枝を知ってからは、彼女にリードされる形でSMの世界にのめり込んで行ったのです。
育枝との関係が半年ほど続いた頃、流石に私も彼女との交渉に疲れを感じるようになりました。
信じていただけないかも知れませんが、私は彼女と一日中ベッドに入って、六回も気を遣ったことがあったのです。
そんな時、私の田舎の方から見合いの話が来ました。
相手の女性はその年に大学を卒朶したはかりの人で、父親は土建会社の社長をしており、県会議員もしている人でした。
私はあまり乗り気ではありませんでしたが、暫く田舎に帰っていないことでもあり、骨休みを兼ねて約一カ月ほど東京を留守にしました。
見合いの相手にはあまり興味は持ちませんでしたか、父親はかなりの資産家であり、自分にはもうその気はないが、もし私が政治家を目指し、行く行くは国会議員にでも立候補するつもりなら応援してやっても良いというようなことを言われまして、私は大分気持ちを揺さぶられました。
結周、私はその女性と結婚することにしました。
式は約一年後ということまで決めました。
いざ結婚の決意を固めますと、相手の女性が自分の理想の女性のように見えてくるから不思議でした。
私にもまだ良心がわずかばかり残っていて、結婚するのは相手の財産が目当てではない、女に魅力を感じたからだと、無理矢理にでも思わなければやり切れないということだったのでしょう。
しかし結婚することを決めても、そのためには大問題が残っていました。
育枝とは結婚の約束などした覚えはありませんが、半年ほど同棲してきた女であり、又、その肉体に未練は十分ありました。
まああと一年間ほど上手につき合って、適当に処理しよう、そんな気持ちで再び東京に戻ってきたのでした。
(続く)
07.08.04更新 |
WEBスナイパー
>
スナイパーアーカイヴス