『SMファイナル伝説』、DX歌舞伎町の楽屋にて。花真衣。 |
ジョウジ川上。ストリップ界のつかこうへいとして、様々なメディアを使いストリップに一時代を築いた男。興行師として30年、ストリップと向かい合った男の半生を辿る。
ジョウジ川上55歳の決意 【4】からの続きです。 >>【4】へ
■ジョウジ川上と川上譲治
「今やっとかないと、もうたぶん一生できないだろうなというのが写真なんですよね。ホントにね、肉体的にも精神的にもギリギリのところにいますよ。記憶力もなくなったし。でも今なら休んでもね、生活は何とかなる。贅沢してるわけじゃないし。だから一年間写真漬けになる。そして自分のものを、作品をちゃんと作りたい」
今まで川上は数え切れないほどの舞台を手掛けてきた。また映画館で上映されることはなかったが映画も作っている。そして朝日新聞社からは、自伝本も出版している。だが、まだ満足していない。
「だって写真をやりに東京に来たんですよ(笑)。ホントに写真をやろうと思って大学をやめて東京に来たんだけど、それがいつのまにか写真から離れて……今から思えば逃げちゃったのかもしれないけどね、別の世界に入って。自分が何をしに出てきたのか忘れてたんですよ、この30年間」
2006年から、川上は大阪芸大の大学院で修士課程の最終学年になる。写真学生でいられる最後の一年間。彼はストリップ興行師ジョウジ川上から、写真学生の川上譲治になることを決意した。
「ある意味では幸せだと思います。色んなことがやろうと思えばできるしね。でもね、寂しいとは思う。大きなものを犠牲にしましたから。だから今後一人で生きていく上で、何か自分のものを作りたいっていう、それが写真なのかもしれない。生き甲斐にしたいのかもしれないですね。何にもないんじゃつまんないから」
ジョウジ川上を休業する日の朝、DXでのSM興行最終日。川上は夢を見たという。パクられる夢だ。
「昔のことと今のことがごっちゃになってるんですよ。お前は個室やってるからだっていわれて。あれれ、歌舞伎に個室あったかなって。しかしなんで今ごろになって……なんて思ったら目が覚めたんです」
この30年間いつも手入れに怯えながら暮らしてきた。心のどこかにそれはある。忘れたことなどなかったという。
「今はホントに手入れがなくてね。今の踊り子だって、自分が捕まることしてるっていう実感がないと思うよ。忘れてると思う。劇場の人間もそうです」
だが川上は違う。根っからのストリップ興行師なのだ。これで一年間はストリップを休業……そんな日にパクられる夢を見てしまうほどに。そして川上も、そのことを承知している。
「今度やるときはね、ダンスショーをやろうかと思ってる。やるんだったら『ビッグダンス』だ」
ストリップの原点は額縁ショーだが、踊り子の原点はダンスである。踊りたいけど舞台がない、そんな踊り子たちがいっぱいいる。
「『ビッグダンス』をやって写真を撮りますよ、楽屋の写真。写真から自分のやってきたことを見つめ直したい。カメラを通してもう一度、ストリップとは何かを確認していく。30年間やってきた、ストリップをね」
揺るぎない決意を秘めた表情でそう語る彼は、はたして川上譲治なのか。それともジョウジ川上か。
その男は今年、56歳になる。
写真=川上譲治 文=編集部・五十嵐彰
※この記事は『S&Mスナイパー』2006年6月号に掲載された記事の再掲です。