Monthly Column "Green is located next to us".
日本は雨量に恵まれた国である。気候も概して温暖だ。ゆえに、私たちの身の回りは緑、ミドリ、みどりで溢れかえっている。
思い浮かべて欲しい。あなたが今日、自宅を出て駅に辿り着くまでのわずかの間にも、実に多様な植物を見かけているはずだ。
お隣の庭木、街路樹、路傍の雑草......名前は分からなくとも、きっと両手両足の指で足りない種類のみどりを目にしているはずだ。
この連載では、それらのごく身近な植物に少しだけスポットを当てていくものである。明日からの生活の中で、あなたがとなりのみどりに少し興味を持つようになれば、本稿のささやかなもくろみは成就するとお考えいただきたい。
今回取り上げるのは、日本で暮らす誰もにとって身近な雑草・ネコジャラシである。
この子供たちの友人を使って、今回は少しばかり実験を行なってみたいと思う。
ではしばし、となりのみどりを巡る旅に付き合い頂こう。
ネコジャラシは正式な名をエノコログサという。イネ科エノコログサ属に属する一年草で、広く温帯に分布している。
キンノエノコログサ、オオエノコログサなど変異種が幾つかあるが、どれもあの特徴的な形状の穂を出す点は同じである。
ネコジャラシの穂、草遊びに最適なあの穂が、この植物を我々にとって近しい友人にせしめていると言っていいだろう。幼き日に、ネコジャラシの穂を友としたことがない人は少なかろう。
あの穂から、ネコジャラシという名もきている。そして、この植物は猫だけでなく、犬に因む名をも持っている。エノコログサ、つまり「いぬころくさ」である。
漢字では「狗尾草」と書く。穂の形状を犬の尻尾に喩えたもので、広い植物界を見渡してみても、犬と猫両方に因む名を持つ植物は見当たらない。
人間の最良の友人である獣たちの名を持つところからしても、とるにたらぬもののように思えるこの一雑草が、いかに我々の歴史のそばにあったかが推察されるというものである。
■アワの原種としてのネコジャラシ
今ではあまり食されることもないが、アワという穀物がある。「ぬれ手に粟」の粟である。東アジアを原産とするアワは、早くから栽培化され、我が国でも縄文時代にはすでに食されていた。
『史記』列伝の冒頭を飾る「伯夷叔斉列伝」(はくいしゅくせいれつでん)にも粟が登場する。もとより説話であるが、伯夷と叔斉の兄弟は、紂王(ちゅうおう)を伐って殷王朝を打倒した周王朝の支配をよしとせず、「周の粟(ぞく)を食(は)まず」と言って首陽山に隠れ、そこで薇(ワラビ)などを採っていたが結局は餓死してしまう、という内容である。
その説話の持つ歴史的な意味はここでは述べないが、『史記』編者である司馬遷の生きた時代(前漢の後半、紀元前2~1世紀)の華北・中原において、アワが主食と認識されていたと了解されたい。
また、後漢の許慎(きょしん:劉備の生まれる20年ほど前に亡くなったようであるから、後漢も後半の人物である)という人が書いた字書『説文解字』(せつもんかいじ)には米という字について「粟實也。象禾實之形」と記す。つまり、米という文字は、もともとアワのことを示すものだったというのである。
ことほどさように古い歴史を持つアワである。当然我が国においても重要な作物であり、古くから五穀の一つに数えられている。
五穀豊穣の五穀であり、その数え方は数種あるが、『古事記』では稲・麦・粟・大豆・小豆、『日本書紀』では稲・麦・粟・稗・豆、となっている。
出入りがあるものの、稲・麦・粟の三つは変わらない。統計的にも戦後に米の一強体勢が確立するまでは、アワは主食の一つであったのである。
さて、長々とアワの話をしたが、本論にきちんと関係がある。
アワはイネ科エノコログサ属に属す、と言えばお分かりいただけるだろう。そう、ネコジャラシはアワの原種とされているのである。
我々の遠い先祖は、ネコジャラシから主食を作り出した訳である。
しかし、栽培植物化というのは一朝一夕になるものではない。当然その前段階として、ネコジャラシを食用に用いていた時代が、それなりの期間にわたってあったはずである。
■ネコジャラシの収穫
では、遥か遠いご先祖に習って、私たちもネコジャラシを食してみよう。
とはいえ、どうやって食用に供せばいいものかは悩ましいところである。そんな悩みに答えてくれる書物があった。
盛口満氏の『ネコジャラシのポップコーン』(木魂社、1997)がそれである。本書では、ゲッチョ先生こと盛口氏(当時、高校教員。現在は沖縄大学准教授)が、生徒たちと試行錯誤を繰り返しながらネコジャラシを収穫し、あの手この手で食べようとする様子が生き生きと描かれている。
それに習い、まず私はネコジャラシの収穫に乗り出した。
ビニール袋をリュックに詰め、意気揚々と表に出たが、そこではたと気づく。
住んでいる場所が都市部であるから、そうやすやすとネコジャラシの群生地が見つからないのである。ちょろちょろとそこいらに生えてはいるのだが、まとまった量ではない。
結局、週末に歩き回って群生している空き地を見つけ、通行人に怪しまれつつ、スーパーのビニール袋に収穫した。収穫の方法は穂狩りである。充分に熟しているものは実が落ちるので(脱粒性という。栽培化されると脱粒性はなくなっていき、収量は増えるが脱穀の手間がかかるようになる)、ビニール袋を広げてパラパラと落ちる実を受けながら、穂ごとちぎって袋の中に入れていく。
10分ほどで、小さなビニール袋はいっぱいになった。
さて、自宅に持ち帰ったネコジャラシだが、そのまますぐに食えるというものではない。父親の実家で米作りの手伝いをした経験から、少し干すのがよかろうと考える。
そんなわけで、持ち帰ったネコジャラシは、数日私の仕事部屋の窓際でひなたぼっこをしていた。
■ポップコーンの失敗
一週間が経ち、いよいよネコジャラシを食べることにする。
まず、ビニール袋の中で穂ごとしごき、粒を落とす。しばらくやっていると、袋の底にネコジャラシの粒が溜まってきた。
あらかたしごき落として驚いたことに、袋一杯のネコジャラシの穂から採れる量は驚くほど少ない。これはもう少し収穫すべきだったかと思ったが、気を取り直してそれを別の容器に移す。
粒をしごき落とす際に、禾(のぎ、穂のとげとげの部分)も混ざってしまったので、軽く仰いでそれを飛ばす。容器には小さなネコジャラシの粒が残った。
『ネコジャラシのポップコーン』では、生徒の発案で、この小さな粒をフライパンで炒ってポップコーンにするというくだりが出てくる。まずはそれを試してみようということで、小さな粒をざらざらとフライパンに入れ、炒っていく。
しかし、どうも様子がおかしい。一向にはじける気配がないのである。確かに、二三粒は不完全にはじけているものがある。けれども、全体としてははじけていないものが大半である。
不審に思いながらも炒り続けたが、残念ながらネコジャラシの粒は消し炭のようになってしまった。
さては、火が強かったのかもしれない。そう思い直し、もう一度やってみる。しかし、弱火でやってもはじけない。粒の状態の問題なのだろうか?
結果、茶色くこんがりした粒だけがフライパンに残った。ポップコーンは失敗である。
■ネコジャラシのお茶
こうして、見事にネコジャラシのポップコーンは失敗に終わった。
しかし、フライパンで炒ってしまったネコジャラシはこのまま捨てるに忍びない。何よりも、フライパンからは香ばしいいいにおいが漂ってくる。
そこで、これを使ってお茶を淹れてみることにした。『ネコジャラシのポップコーン』にも、お茶にしたという記述がある。ただし、具体的な淹れ方の描写はない。
そこでまず、炒ったポップコーンをガラス製の急須(普段は中国茶を飲むのに使っている)に淹れ、そこに熱い湯を注ぐ。長めに蒸らすと、ほのかに色がついたようだったので、コップに入れてみる。
湯気からは、相変わらず香ばしい匂いが漂う。
意を決して呑んでみると、これがなかなか旨い。香ばしさと、わずかな風味がある。香ばしさは麦茶などと同じく、穀物を炒ったために出たものであろう。そのあとに残るわずかな風味、これがネコジャラシのものなのだろうと思うが、確とは分からない。
恐らく、煮出したり、時間をかけて水出ししたほうがより旨いのではないかと思う。
ともあれ、ネコジャラシ茶が悪くない味であることは分かった。
■脱穀
ポップコーンの失敗によって、収穫したネコジャラシの半分が失われてしまった。
もう一度収穫に行くのはいかにも手間である。故に、残ったネコジャラシの粒は有効活用しなければならない。
私は粒を慎重にすり鉢に移した。ポップコーンでは必要なかった、脱穀を試みるためである。
『ネコジャラシのポップコーン』において、幾度もの失敗の末に編み出された脱穀法は、「すり鉢ですり、籾殻は軽く吹いて飛ばす」というものである。
ネコジャラシの籾殻はなかなか頑固で、ちょっと叩いたりしたくらいでは外れてくれない。そこですり鉢の出番となるわけである。実際に試してみると、粒ごと砕けてしまわないか不安になるものの、仔細に眺めてみると確かに脱穀できている。
しばらくごりごりとすりこぎを動かし、それなりに籾殻が外れてきたところで、軽くひと吹き......大失敗である。
籾殻と一緒に、折角脱穀できた粒も大半が容器の外に飛んでいってしまった。
私の息が強すぎたのである。
これで、また貴重なネコジャラシが失われてしまった。
がっくりと肩を落としながら、残ったネコジャラシをすべてすり鉢に入れ、今度は慎重に作業を行なう。
結果、なんとか脱穀が終了した。
■ネコジャラシ入りごはんの塩おにぎり
脱穀は終了したが、それでも完璧というわけではない。
ネコジャラシの粒は、いかにも小さいし、その上に栽培化されていないため、粒の大きさが不揃いである。そのせいで、重い籾殻は脱穀済の粒に混じってまだすり鉢の底に残っている。
しかし、これを取り除くことは案外容易にできた。水につけると、籾殻は浮くのである。二三度水を換えながら流し捨てると、小さいながらも奇麗な粒だけが残った。
随分少ない量ではあるが、ついに穀物としてのネコジャラシを手に入れたわけである。この少ない量のネコジャラシをどうすべきかと考えて、結局、米に混ぜて炊くことにした。
一合だけ米を研ぎ、ふたつまみほどしかないネコジャラシと共に炊飯器に入れる。待つことしばし、炊きあがりの合図が鳴る。
炊飯器の蓋を開けると、湯気とともに米のいい匂いがする。ネコジャラシのものらしき匂いは全くない。実のところ、少しは青臭い匂いでもするかと思ったのだが、そんなことは全くない。或いは、量が少なすぎるのやも知れぬ。
ともあれ、よそってみる。麦飯などと同様、白米の所々に、ネコジャラシの粒が顔をのぞかせている。粒は少々膨らみ、一応炊けてはいるようである。
けれども、味の強いおかずと一緒に食べてしまっては、ネコジャラシを感じることは難しかろう。
そこで、シンプルに塩だけを使っておにぎりにすることにした。
そそくさと握り飯を作り、かぶりつく。丁寧に咀嚼する。
............うむ、米の味である。
お茶の時も感じたが、ネコジャラシはあまりくせが強くない穀物らしい。このくらいの割合で混ぜたのでは、なかなか味が感じられぬものらしい。
握り飯を食い終え、コップに残っていたネコジャラシ茶を飲み干す。これで、ビニール袋一杯のネコジャラシは、無駄にした分を除き、私の胃の腑に収まったわけである。
■食後に
どうにも成功したとは言えぬが、一応はネコジャラシを食してみた。
実のところ、もっと食うに耐えぬえぐさ、まずさがあるのではと心配していた。ところが、ネコジャラシはなかなか旨いようである。今度は、もっと大量に集めて食してみたいものである。
......と書いて痛感するのが、我々の先祖の偉大さである。
まずは、数ある植物の中から味覚に合ったネコジャラシを選び、栽培化したことが一つ。もう一つは、栽培化する以前の段階において、この小さな粒しか持たぬネコジャラシを、恐らく気の遠くなるような手間をかけて大量に集め、食していたであろうということである。
ミレット(雑穀)と呼ばれる穀物は、現在主食にしている米や麦などの栽培品種に比べると、非常に未熟で貧弱なものである。原種に過ぎないネコジャラシはさらに貧弱である。
けれども、我々の先祖はそのネコジャラシから、歴史上のある時期において主食となっていたアワを作り出した。ネコジャラシをアワにすることは、文明を進める一つの原動力となったであろう。
それは、身近な植物に親しむことから導かれた繁栄である。
その繁栄の源として、その後の我々をすぐとなりで見てきたこの一雑草を、いまだに草遊びの友としていることは、なんとも喜ばしいことのようにも思うのである。
となりのみどり 第3回:ネコジャラシ 了
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14.02.02更新 |
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