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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。また、ユニクロで服を買ってしまった。
UTとムーミンがコラボしたTシャツ素材のワンピース、1500円也。
私は心の中にオリーブ少女を飼っているので、北欧とかムーミンとかマリメッコの小物とかツモリチサトのワンピースとかに大変弱い。でも零細AVライターの分際で洋服に何万円もかける根性はないから、1500円で北欧気分が味わえるとなるとつい手を出してしまう。
家に帰ったら家人にユニクロのあの目立つ赤マークの袋を見られ「えぇ、また買ったの?」と少しあきれ顔で言われた。
着てみると案の定、丈が短くて大根足が丸出し。近所に買い物に出たら同じワンピースを着た若い女の子を1日に2人も見かけて「ああ、やっちゃった......」と、溜息をつく。日々こんなことの繰り返しだ。
四十路に突入してしばらくたったとき、これまで着ていた服がだんだん「年相応」じゃなくなっていることに気づいて唖然とした。
私と同年代の女なら、一度は感じたことがあるだろう。
安っぽくて派手なTシャツ、膝上のミニスカート、リボンのついたワンピース。自分の好きなものは一切変わっていないのに、年齢は容赦なくそれを追い越していく。
こんな格好をしていたら若づくりだと笑われるんじゃないか。ちゃんとした値段の落ち着いた服を着るべきなんじゃないか。女の盛りを過ぎていく恐怖と、大人として恥ずかしくない格好をしなくちゃいけないというプレッシャーの間で、心を悩ませる人は少なくない。
私は自由業だから、まわりに服装のことをあれこれ言うような人はあまりいないけれど、美容院で普段は読まないアラフォー向けファッション誌をめくっていると、いてもたってもいられない気持ちになる。
109で買ったギャル服を着れば「若づくり」、おばさんファッションを受け入れれば「女を捨ててる」。かといって、気合を入れて完璧にしていればいいってものでもないらしく、美魔女は美魔女で「若過ぎてこわい」「あそこまでしなくても」なんて叩かれている。
ああ、げに面倒くさきはアラフォー世代! じゃあ、一体どうしろというんだろうか。
去年の冬、地元で中学時代の同窓会があった。
同窓会の服装というのは、なかなか難しい。今何を着ているかで、顔を合わせなかった間その人がどんな人生を送ってきたかが計られるからだ。
コンサバスーツもちゃんとしたワンピースも持っていなかったので、何を着ていくか迷った末「自分らしい服装ならいいか」と開き直り、ネット通販で買ったウサギ柄の安ワンピースを着ていくことにした。
若づくりだと笑われたら、開き直って二次会のカラオケでAKBの曲でも熱唱してやろう。そう思っていたのだが、意外にも二十数年ぶりに会う旧友たちから出てきたのは「きれいになったねー」「女らしくなって誰だかわからなかったよ」という身に余るお誉めの言葉だった。
おばさんロードに着々と足を踏み入れつつあった私に、その言葉は優しく染みた。ピンと、背筋が伸びるような気がした。
でも、この人たちは、どうしてそんな優しいことを言ってくれるんだろう。
実家に帰り卒業アルバムを引っ張り出してみて、合点がいった。今だってたいして威張れたものじゃないが、写真の中にいたのは今以上におばさん臭い冴えない中学生。真っ黒に日焼けし、目は腫れぼったくて開けてるんだか閉じてるんだかわからず、顔の大きさは隣にいる友達の1.2倍(推定)。まるでアダモちゃんである。そういえば強度の天然パーマだったせいで、男の子に"ジャングリアン"なんてあだ名をつけられてもいたな......。
なるほど、これなら「誰だかわからなかった」というのも無理はない。
ある時期までの私は、自分を飾ることにまったく興味がなかった。
見た目はアダモちゃんそのもの。子供のころから自分を「僕」と呼び、わんぱく相撲に出場して横綱になっちゃうような子だったから、スカートを穿くのも赤い服を着るのも気恥ずかしくて、いつも学校指定のだっさいジャージ姿で過ごしていた。自分に女らしい格好なんて似合うはずがないと思い込んでいた。
多少なりともオシャレに関心を持つようになったのはいつ頃からだったろう。それはたぶん、大学進学のために東京に出てきてからだ。
ある日、友人の買い物に付き合って入った下北沢の洋服屋で、小花柄のワンピースを試着する機会があった。「かわいいなー」と思ってぼんやり見ていたら、商魂たくましいマヌカンのお姉さんに「きっと似合うから試着だけでも」と言われたのだ。
おずおずと着てみて驚いた。自分の体にもちゃんと"ウエスト"というものがあることにだ。
太ってはいたけど、ワンピースの形がよかったせいか、ちゃんとくびれて女みたいに見えた。照れくさいけど嬉しかった。
私は勇気を出してその数千円のワンピースを買い、ここぞというお出かけ着にした。着るもののことを意識したのは、たぶんそれが最初だ。
ずっと、見た目を気にするなんて恥ずかしいことだと信じていた。モテないくせに、たいした中身もないくせに、外見ばっかり着飾るなんてみっともない、と。
でも、そうばかりでもないってことを、一枚のワンピースが教えてくれた。
自分の力じゃどうにもならないことばかりの世の中で、"外見"は自分の意思で変えることができる数少ないものの一つだ。
生まれついての美人じゃなくても、高価な服を買う財力がなくても、スカートを穿く勇気を持つだけで、5キロ痩せるだけで、眉毛を描きマスカラを塗るだけで、女は驚くほど変わる。
どんなに切望したって他人の心を変えることはできないし、内面を磨くには大変な苦労がいる。それに比べたら、外見を変えるのなんて簡単だ。なのにどうして今まで、怖がっていたんだろう。
それから少しずつスカートを穿くようになり、化粧の仕方も研究するようになった。
幼い頃からちゃんと「女の子」だった人たちに比べれば下手な女装をしてるようにしか見えなかったけれど、女であることが一気に面白くなった。
アルバムを見ながら、そんなことを思い出した。
何を着ていくかずいぶん悩んだのに、いざ会場に行ってみると同窓会に来ている友人達のファッションは千差万別で「年相応」とは程遠い。
高そうなワンピースを着たキャリアウーマン風の四十路も、お母さん然とした地味なスーツ姿の四十路もいる。母親にもキャリアウーマンにもなれなかった安ワンピース姿の私もいる。
「年相応」って、一体なんだろう。一つだけわかっているのは、二十数年ぶりに合った友人がみな『VERY』に出てくるような服装をしていたら、面白くもなんともないということだ。
同じ部活だった女の子に「今どうしてるの?」と尋ねたら「高校生の娘がいるよ。2人ともAKBファンだから、洋服は一緒に買いに行って共有してるの」と笑って教えてくれた。AKB風のチェックのミニスカートから伸びた足は、無駄な肉がなくまっすぐで、昔と変わらずきれいだった。
文=遠藤遊佐
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14.07.05更新 |
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