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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。「遠藤さんは厄年のとき厄払いした? やっぱり行っとくべきかなあ......。」
一緒に電車に乗っていた30代半ばの女友達が、川崎大師の広告を見て言う。
「行ったよ。厄年って、たとえ自分に災厄がなくても周りの人に振りかかる場合があるとか言うしねえ」
先輩ぶって答えてはみたが、実を言うと厄払いに行ったのはゲイ友達のFちゃん(ゲイってなぜだか信心深い人が多い)が誘ってくれたからで、本当はその手のことにあまり興味がない。
何かあったときに「厄払いしておけば良かった」と思うのも嫌だから、とりあえず行っておく。そんなお守りみたいなものだと思っている。
だって、考えてもみてほしい。そもそも女の30代は厄年だらけだ。
数え年の19歳と33歳と37歳。三十路の間に2回もあるうえに、前厄と後厄を入れれば全部で6年、厄のない年齢のほうが少ない。頭とお尻を抜かすと、30代はほぼずっと厄年......ああ......!
男の人の厄年が20代、40代、60代と綺麗にバラけているのに比べると、まったくもって気を抜く暇がないんである。こんなシステムを真に受けていたら、三十路女なんてとてもやっていられない。
なぜ、こんな偏った設定になっているんだろうか。
一説によると、元々女の30代というのは子育てに忙しかったり、姑舅が年をとり家の切り盛りを任されるようになったりする時期で、心身の健康を崩しやすかった。つまり、一昔前の名残に過ぎず、統計的な確証なんかはまったくないんだそうだ。
じゃあ、いまさら厄年なんて気にする必要はない?
そうとも言い切れない、と思う。
なぜなら、お姑さんと同居していなくても、やんちゃ盛りの子供がいなくても、三十路女はやっぱり大変そうに見えるからだ。彼女たちはみんな、揺れている。
もちろん、私もそうだった。
30代の真っただ中にいるときは自分の気持ちをコントロールするのに必死で気づかなかったけれど、四十路に突入して少ししたあるとき「ああ、三十代は大変だったな」と、しみじみ思った。
もう二度とあの頃に戻らなくていいんだという安心感。そして、ほんの少しの寂しさ。きっとこれが年をとるということなんだろう。
現代の三十路女子の辛さ。それは"選択肢が残っている辛さ"だ。
今の三十路は驚くほど若い。そりゃあ10代、20代の女の子から見たらおばさんかもしれないけれど、四十路五十路に比べればまだ現役バリバリの"女"だ。がっつり働いて稼いでいる独身女性なら身なりにお金もかけられるし、不特定多数の殿方にセックスの対象として見てもらえる。
三十路といえば子育てに四苦八苦する時期と決め付けられていた昔に比べたら、なんだってできるように思える。
でも、それが幸せなのかと考えると、よくわからない。目には見えなくても、女が女としての機能を果たすには確実にリミットが存在するからだ。
いくら見た目が若くても若さだけですべてを赦してもらえるほどじゃないし、女としての機能は日に日に衰えていく。
きっと、適当な相手を見つけてさっさと結婚するのが一番賢いんだろう。
とはいえ、まだ選択肢が残されていると思うと、なかなか踏みきれないのもわかる。
何かを選び取るということは、それ以外の可能性を捨てること。
もう少しだけ、自由に楽しく過ごしたい。もう少しだけ、王子様を待っていたい。もう少しだけ――。そうしているうちに、どんどん期限は近付いてくる。
30代のはじめから半ばまでに、何度かお見合いをしたことがあった。
いい年して実家でニート暮らししている娘を心配した母が、あらゆるコネを使って次々話をもってきたのである。「会うだけでいいから」という言葉に負け、私は水道屋さんや、50過ぎの税理士や、バツイチの公務員と会った。そして、相手の返事を聞く前に全部断わってしまった(なんとずうずうしいことか!)。
もちろん、どの人もちゃんとした、まともな人だった。でも、私は妙に強情なところがあって、今一緒に暮らしている老母や90歳過ぎたおばあちゃんや病気の父親と別れてまで、知らない誰かと家族になるってことが、どうしても納得できなかった。好きになった人ならともかく、相手はその日会ったばかりの赤の他人だ。
断わりの返事をするのは、ものすごく神経を消耗した。
「あんないい人のどこが不服なの?」「お見合い相手がいるうちが花なのに......」と悲しげに言う母親を見るのももちろん辛かったけれど、もっとキツかったのは、誰よりも自分が一番それをわかっていることだった。
この話を断わってしまえば、30代前半のうちに結婚するのはたぶん無理だろう。そうすると、子供を作ることも難しくなってくる。
ほかに結婚相手のアテがあるわけじゃないし、手に職もない。あるのはスカパーの有料アダルトチャンネルを観まくって作った100万ちょっとの借金だけ。このまま一生一人で、ふらふらと生きてくんだろうか――。
そう考えるのは怖かった。ふがいない自分を棚に上げてびーびー泣いたりもした。でも、残されたわずかな可能性にしがみついて、私はお見合いを断わり続けた。
二度めの厄年を過ぎ、「いよいよ本気で考えないとヤバイ!」と思いだしたころには、もうどこからもお見合いの話は来なくなっていた。
揺れまくりの30代を過ぎ、40歳になって、自分でも予想外だった結婚をした。
年齢のことを考えると、子供を作って、孫を抱いて......という"普通"の結婚生活は望めないけれど、ものすごく気持ちがラクになった。
もう、何かを選んで何かを捨てなくてもいい。未来に怯えることもない。目の前にあるものだけに向き合っていけばいい。
"選択肢の少ない人生"も案外悪くないということに、一歩を踏み出してみてようやく気づいた。
結局のところ、うじうじと結論を先に延ばしにしていただけなんだろう。
でも、私にとって、あのモラトリアムな30代は必要な時間だったと思う。
女にとって一番大事な時期を無駄に費やしてしまったのかもしれない。もっと早めに選び取っていれば、もっと多くのものを手にできたのかもしれない。
けれど、バカなりに、不器用なりに考えた。そして、納得できないことはしなかった。
そのことは、これからも選択肢が減り続けていくであろう四十路女にとって、小さな自信になっている。
文=遠藤遊佐
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14.08.02更新 |
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