月一更新 最終回!
monologue in the night
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実。女子のリアルを見つめるコラム、最終回です。ある夏の水曜日、おかあさんが「火事だ」と、慌ててお風呂にやってきた。私は驚いて、びしゃびしゃの体に服を着て、おかあさんの後を追ってベランダへと走った。そこに火や煙は見当たらなかった。そのかわり、いつの間にか雨が降っていた。真夏の、バケツをひっくり返したような大雨だった。向かいのアパートの非常ベルがけたたましく鳴っていて、蜂の巣をつついたように住民が外に飛び出して右往左往していた。
ベルを押しているのは、髪が黒くて、線の細い女の人だった。近所の人からの好奇の目を、背中いっぱいに受けながら、じっと立ち尽くして非常ベルを長押ししていた。勝手に火事だと勘違いしたおかあさんは、「雨がおうちに入って、火事と勘違いしちゃったのかな」と、不思議な推測をしていた。その横で私は、黒髪の女性から「非常事態」を感じていた。けたたましく鳴り響く非常ベル。なにもない日常の住宅街で、彼女だけが非常事態だった。
中学生になると、いままで私より小さかった男の子たちが、どんどん大きくなった。彼らを見上げながら驚いていた私も、女の子らしくなったのかもしれない。かもしれない、というのは、私がもともと大きな子どもだったので自覚がなかったためだ。しかし、自覚がないなりに、私にも非常事態が起こった。
ある授業の後に英語の先生から告白されたのだ。先生は私の黒い髪を好きだと言った(誰にも言わないで、とも言っていた)。生まれて初めて、はっきりと容姿だけを好まれた瞬間であった。先生から特別に好かれていた覚えがないので、とても衝撃的だったはずなのに、いまはもうすっかり忘れてしまった。先生の名前も、なにもかも。覚えているのは、青い瞳と、チョークの粉が黒板の周りを舞っていたことばかり。それよりも、あの女性を思い出していた。長く黒い髪。そして私の心には、非常ベルのようなざわめきだけが残った。
小学生の私にはわからなかった。しかし、周囲の好奇の目も、大雨にも、なりふり構っていられなくなるような非常事態は、たしかにあるのだと知った。そして、あの日おかあさんが勝手に火事だと思い込んだように、非常事態は他人に理解され難いものなのだ。きっと。
泣きながら歩いている人は少ないけれど、だからといって心が健康な人もそう多くはないのだと気が付いたのは、高校生になってからだった。人にはいろいろと事情がある。いろいろの中身は、高校生の私が知る由もなかったけれど。
制服のない高校に入学した私は、規則の厳しい中学から卒業した解放感を持て余し、自由ついでに地下アイドルになってしまった。高校生で地下アイドルなんてやっていると、どこへ行っても、「地下アイドル」と「アイドル」の区別がつかない大人たちから、可愛いねと言われた。その可愛いが、私の容姿でも性格でもなく、ステータスに向けられていることはわかっていた。馬鹿にされている気がしたし、恐らく本当にそうだったと思う。それは仕方ない。私だって女子高生にアイドルですなんて言われたら、可愛いと言うだろう。だってそれしか、かける言葉が見つからないんだもの。
当時の私はロリータ服を好んでいて、通学はもちろん、どこへでも着用して出向いた。女子高生、アイドル、ロリータの組み合わせは最強で最悪だった。ロリータ服の過剰な可愛さほど理解され難いものもない。可愛いと蔑まれるほど、私はロリータ服にしがみついた。蔑まれる要因を身につけながら、周囲を威嚇していた。誰も近づかせず、誰のことも許さない気持ちでいた。年上のお姉さんたちは、若いというだけで、驚くほどいじわるだった。私は誰からも理解されない非常事態の中に閉じこもっていった。
大学の四年間をかけて私はひとりぼっちになった。非常事態ではなく、私は普通に日常で、ひとりぼっちになっていった。毎日ひとりで学校へ通い、誰とも話さず、プライベートでもあまり友人たちと顔をあわせずに、仕事ばかりして、ひとりでいた。仕事ではたくさんの人と会う。けれど人は、何人でいても、ひとりぼっちだと気づいてしまった。それは、悲しいことなんかじゃないんだけれど。
女子高生の私はいつも怒り過ぎていた。あまりに不器用で、あまりに頑なであった。ほんの数年前の自分を、知らない若い娘のことのように眩しく思う。徐々に許せることが増えて、あまり怒らなくなった。誰とも深く関わらなくなり、傷つくことがなくなって、楽しいことは減っていった。悲しむことがなくなり、文章を書く衝動も、必要も、なくなってきた。退屈な平穏の中で停滞している。
私もいつか、ひとりとひとりでふたりになることがあるのだろうか。その時はまた、とても傷ついたり、怒ったりして、文章にせずにはいられなくなって、とても楽しいんだろうなあと思う。いまはただ、いつか襲ってくる非常事態に備えて、この嵐の前の静けさを過ごしている。
文=姫乃たま
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15.01.17更新 |
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