Criticism series by Sayawaka;Far away from the“Genba”
連載「現場から遠く離れて」
第二章 ネット環境を黙殺するゼロ年代史 【3】ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
インターネットの存在を軽視するがゆえに評価を誤られている今ひとつの例として、ここで補足的にアイドルグループのAKB48について触れておきたい。このグループは80年代におニャン子クラブを世に送り出した秋元康によってプロデュースされている。このことは良くも悪くもよく知られており、素人に近い多数の少女をアイドルグループとしてパッケージングして送り出すというおニャン子クラブと似通った手法のために、20年前と何ら変わらないものを再生産したと揶揄する向きもある。
しかしそうした評価はAKB48のグループとしての特性を理解していないと考えざるを得ない。このグループの最大の特徴はゼロ年代の日本で盛況を迎えたアイドルカルチャーの特徴をあまさずプロデュースの手法に組み込んだことであり、そこで補助線となったのがインターネットの存在なのである。どういうことだろうか。AKB48がまず第一に参照しているのは(おニャン子クラブではなく)90年代の末期からゼロ年代の初頭にかけて人気を博したモーニング娘。である。AKB48に至るまでゼロ年代のアイドルのほとんどが採り入れたこのグループの特徴とは、まずは「アイドル未満の少女たちがアイドルとして成長していく物語」をリアリティショーとして成り立たせたことにある。
これには詳細に語られるべき経緯があるだろう。90年代後半にテレビのバラエティ番組では『進め!電波少年』(日本テレビ)に代表されるようなリアリティショーの手法が徐々に人気を博するようになっており、モーニング娘。はこの手法を採り入れたオーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)内の企画で1997年に結成された。同番組ではメンバーになるためのバトルロイヤル的なオーディション内容やグループアイドルとしてのパフォーマンスを身につける合宿の模様が紹介され、またCD販売で一定枚数以上を売り上げなければ即座に解散となるゲーム性が導入されるなど、今日のアイドルカルチャーにおけるリアリティショー的演出のほとんどはここで確立された。なお、この時点で既に音楽業界の市場規模の縮小は開始されていたが、以後オリコンチャートや紅白歌合戦の権威性はなお温存され、ゲーム的なリアリティショーの舞台として機能するようになっていくことになる。また同時にこの趨勢は決められた楽曲、決められた歌詞を努力して演じることがアーティストの表現として認められていく過程としてあり、それは「内面の吐露」をこそ表現として扱う90年代までと相反して、先に挙げた神聖かまってちゃんや相対性理論などにすら通じるゼロ年代以降のミュージシャンシップの基礎を作り上げた。
しかしモーニング娘。がテレビ番組制作者によって提供されるリアリティショーとして有効に機能したのは2001年の4月1日に放映された「中澤裕子脱退スペシャル」までである。これ以後、初期から同番組の演出を手がけていたタカハタ秀太らが関与しなくなったためリアリティショーとしての手練手管が著しく劣化した上、翌年以降は主要なメンバーの脱退が相次いだため、以降にもテレビ番組で同様の手法が続けられたにもかかわらず、少なくとも当時と同じ規模の販売枚数となったシングルCDは2011年現在に存在しない。しかもこのような流れの中で一部リスナーは初期のモーニング娘。がリアリティショーとして提供していた「アイドル未満の少女たちがアイドルとして成長していく物語」を、「BUBKA」(ミリオン出版)などのゴシップ誌の記述やインターネットでのファンが行なう二次創作的な環境に求め、発展させていくことになる。そしてさらには、モーニング娘。のようなサクセスストーリー(の構造を持ったリアリティショー)をメジャーデビュー以前のインディーズアイドルの中に探し求めるようにまでなっていくのだ。こうして見出されたアイドルとして現在でも有名なグループにPerfumeがあるだろう。このグループは特に「成長物語」を売りにしていたわけではないが、メジャーデビューした2005年の時点で既に「下積み」として6年もの活動期間があったため、このような物語性を求めるリスナーにもよく支持されることになった。
しかしながら、ゼロ年代の初期から中期にわたってこれらの動きの大半はリスナーの自主性によって担われていたと言っていい。つまりこのことはゼロ年代後半にアイドル文化の周辺が「現場」重視のモードに移行していったことを意味すると同時に、元来リアリティショーを提供していたはずのマスメディアとレコード会社ならびに芸能事務所がその動きに対応できずにいたことを示している。ところがAKB48はそれらをすべて俯瞰した上で、ゼロ年代の「現場」自体をもプロデュース側が大規模に提供しようとした最初のグループなのである。AKB48のプロデュース陣はまずAKB48の公演を行なう専用の劇場を作り、そこが(場所としての)「現場」として機能しながらメンバーの「物語」が生成されていくシステムを作り上げた。またリスナーによる人気投票やプロデューサー秋元康に対して意見を述べられる場をオフィシャルで用意するなど、90年代の後期からゼロ年代の前半にかけてのアイドルカルチャーではインターネット上でリスナーの自主性によってのみ賄われていた要素を一括してプロデュースの枠組みに組み込んでイベント化していった。
これこそが、AKB48が80年代のおニャン子クラブとも、90年代のモーニング娘。とも異なる所以である。こうした分析はプロデュース陣がインターネットコミュニティのあり方をよく観察しつつそれを取り込もうとしていることに気づけば容易に行なえるが、インターネットが今日のアイドルカルチャーにおいて果たしている役割を理解していなければ単におニャン子クラブの焼き直しに見えても仕方がないだろう。それは神聖かまってちゃんや相対性理論が、インターネットという項を無視すると途端に90年代以前の文脈によってのみ評価の対象にされてしまうのと、全く同じ構造を持っている。
文=さやわか
関連リンク
AKB48公式サイト
http://www.akb48.co.jp/
さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.04.17更新 |
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