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Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第一章 恋愛というシステム【3】

様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
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†「恋愛」というシステム

『同級生』はアダルトゲームの基礎的フォーマットを「恋愛」として解釈し、これを古典的形式として位置づけることに成功した。このとき、システムの機能としては脱衣麻雀も恋愛も同じであるし、手続きの複雑さも共々に高い。実際エルフは脱衣麻雀ゲームをいくつも製作しているし、『同級生』も長らくアーケードゲームの脱衣麻雀としてゲームセンターに花を添え続けていた。では恋愛の何がよかったか。恋愛は物語と相性がよいのである。しかもファンタジーと異なり、それはまさに現代人の人生の写し絵、シミュレーションとしても機能するものだった。この見立てがいかに画期的だったかは、『同級生』が売り上げ 10万本の大ヒットを記録したことからも窺い知れるだろう。本作は、後のコンシューマゲームにおける『ときめきメモリアル』(1994、コナミ、以下『ときメモ』)と合わせて、恋愛シミュレーションというジャンルを打ち立てたと言われている。

では『同級生』はどのようなゲームなのか。基本的には、『午後』的な下敷きに、直前に発表された『卒業 ~Graduation~』(1992、ジャパンホームビデオ、以下『卒業』)に見られるような女子育成シミュレーションの発想を重ね合わせたものである。このことによって、シナリオはないが事件はある、と言った『午後』的な見立てに、育成対象=攻略対象としてのヒロインが導入された。『午後』では環境=画面を対象とする行動だったものが、『卒業』では主にヒロインを対象とするようになったのである。これはむしろ『ときメモ』でさらに洗練されている。あちらではヒロインをそのまま対象にしているわけではないものの、むしろそれを迷彩することでよりシミュレーション性を高めている。というのもこちらでは働きかけの対象が自分自身の学生生活であり、どのような自己プロデュースをすれば意中の女の子に気に入られるか、ということを考えるのがゲームのルールになっているからだ(※8)

恋愛シミュレーションとしての美少女ゲームにおける勝利条件とはヒロインの攻略である。この観点から見るとき、美少女ゲームはもう一つの古典を持っている。それが『To Heart』(1997、Leaf)だ。この作品は、プレイしてみれば分かることだが、実際にはノベルゲームの系譜に位置づけられる。恋愛をテーマにしたシミュレーションが物語要素を多く取り込んだゲームだとすれば、ノベルゲームは物語そのもの、言わば見る小説である。しかし、パソコン版(PC版)のヒットを受けて作成された一般向けプレイステーション版(PS版、1999、AQUAPLUS)では、単なるノベルゲームというよりも、むしろヒロインとのコミュニケーションを重視したゲームであることに――例えば移動シーンに端的に現われているように――自覚的になったように思われる。この自覚は『同級生』と通じるところがあるのだが、ここにおける類似は、システムに関わらずPC版が体現していた恋愛シミュレーション的精神によるものである。この作品の古典性は、アダルトゲーム原作にも拘わらず PS版が売上約10万本のヒットを記録したこと、また、アダルトゲームを原作(の原作)に持っているものとしては初めて地上波アニメ(UHFアニメ)が全年齢向けとして製作されたことからも窺えるだろう。なお、アダルトゲーム原作のUHFアニメの最初は『同級生2』である。これは、1996年から製作されたR指定OVAを一般向けに加工したものが 1998年に放送された。『To Heart』はこれに次ぐ形で放送され、さらにこの後番組は『下級生』であった。周知の通り、『同級生2』と『下級生』は、『同級生』の姉妹作品である。

本論が考えたいのは、実は、この『同級生』と『To Heart』の差異である。筆者は先ほど、『To Heart』のコンシューマ化における再構成が、恋愛シミュレーション的精神を共有していたがゆえに可能なものだったと述べた。実際、二つのものの間では恋愛が極めて重要な主題として扱われている。問題は、同じ恋愛ゲームであるにも拘わらず、二つのものの間に根本的な差異があるということだ。そして、それが、美少女ゲームという(メタ)ジャンルの後の展開へと繋がっていく。それはいわゆるLeafKey作品の巨大な影響やループものの台頭などを意味している。

†時間という制度

では『同級生』と『To Heart』は何が違うのか。それは、先に述べたように、これをシミュレーションゲームとノベルゲームの違いとしても把握することができる。しかし、そのような形式の変化が体現しているのはいったい何なのか(※9)

もちろんそれは表現に込められた思想の違いである。ではどのような思想の変化が起きたのか。その変化を測定するための基準として我々はある観念のもとに『同級生』を吟味することができる。それは「ナンパゲーム」という観念である。『同級生』はナンパゲームである。しかし、『To Heart』は、そしてそれ以降のパラダイムは、概ねナンパゲームではなくなってしまった。ここにはどのような違いが現われているのか。

『同級生』がナンパゲームであることは、ひどく楽屋落ち気味の証拠から判定することができる。というのも実はこのゲーム、インストールすると「nanpa」というフォルダを作成するのだ。しかもそれは『下級生』や『同級生2』といった姉妹作品でも同様である。では内容的にはどうなのか。エニックスの『TOKYOナンパストリート』(1985、エニックス)に起源を持つこのジャンルは、前述したミニゲーム的な手続きの集積によってナンパを表現していた。『同級生』はこの流れを踏襲しつつも、しかしそれを踏み越えてしまった。その踏み越えの結果、物語的な恋愛ゲームが隆盛することになったのだが――と、ここで我々は踏みとどまろう。確かに『同級生』はナンパ的なのである。理由は簡潔だ。現代の主流のアダルトゲームは一ヒロイン一シナリオ(ルート)という流れがはっきりしており、あるルートに入ったら他のルートには入れないという排他的な関係が成立している(そしてその制度そのものに由来する様々な問題が生じていた)。ところが『同級生』はこのルート概念が非常に希薄であり、なんと1回のプレイで全14人中11人を攻略することが可能なのだ(※10)。そしてわずかな分岐を調整することで残りの3人も攻略することができる。

そう、『同級生』は物語が主人公の行動を制限するのではなかったのだ。彼の行動を制限するのはあくまでも「時間」である。『同級生』は夏休みという制限時間下において、いかに様々な女の子と出会えるかを描く、青春を取り戻すというモチーフを持った、まさにもう一つの人生としてのシミュレーションである。その代償としてあまりにも細かいスケジューリングが要求されるという側面があった。何時に起きて何分に何処其処に行き、何時間バイトして何時までに女の子と会う……その細かい調整の繰り返しでゲームが成立している(※11)。このような自由さ、そして複雑さは、青春ものとは言いがたい、むしろそれともっともかけ離れた鬼畜系・陵辱系の作品(例えば『臭作』(1998、エルフ)『悪夢』(1997、スタジオメビウス)『絶望』(1999、スタジオメビウス)など)にも受け継がれており、当時の流行的形式の一つだったと考えられる。

時間のこまごまとした調整と同様に見逃せないのが、それこそ『午後』を彷彿とさせるようなアドベンチャーのシステムである。エルフに特徴的なこのシステムは、アイコンを表示画面の中で移動させると、様々な形に変化し、それによって行動を促すという仕組みになっている。例えば女の子の胸の上にアイコンを置くと手が動き出して「さわる」などという選択肢が出たり、といった具合だ(※12)。これ以外でも本棚や電話機を調べたり、ベッドを調べることで睡眠やゲームのセーブ、中断などができる。余談だが、筆者が久しぶりに『同級生』をプレイしたところ、操作方法を忘れていたせいもあるが、あまりの自由度に主人公の自室から外に出る方法がわからず延々「八時間寝る」を選択し続けてしまった。寝たらイベントが起こると思ったからだが、当然何も起こらず延々と時間が過ぎていった。バカバカしい話だが、ここにもナンパゲームと物語ゲームの違いが現われているだろう。物語ゲームならクリックしていれば何かが起こるが、ナンパゲームの場合、外に出て女の子を自ら発見しない限り何も起きないのだ。逆に言えば、それが、つまり何もしないことすらもが許されているというのがナンパゲームの特徴かもしれない。実際、もしも我々の現実にこれを置き換えてみるのであれば、ナンパなどできずに夏休みを終えてしまった男子の方が遥かに多いのではないだろうか。

現実におけるナンパはかなり巨大な問題なので筆者の手に余るのだが、『同級生』の面白いところは、実際にナンパしてセックスにまで至るからには、そこにそれなりの人間関係が成立しているはずだという信念を作品自体が持っていることだ。このような見立ては、メインライターであった蛭田昌人にとっては無意識のものだったようで、彼は購入者の反響からこれがナンパゲームではなく恋愛ゲームなのだと気付かされたという。かような、ナンパゲームではなく恋愛ゲームなのだという見立ての主張者でもっとも目立つのは、ノベライズ版の作者で後に『まほろまてぃっく』(1999、ワニブックス)の原作者として名を馳せた中山文十郎だろう。彼は『同級生―きっと、忘れない夏―』(1997、ワニブックス)(※13)のあとがきにて「(『同級生』は)『ナンパな男が女の子を食いまくる』ゲームでは決してない」と語っており、実際、そのような態度で全 3巻のノベライズを描ききっている。とはいえ、このノベライズでも快調に主人公は10人弱の女の子と肉体関係を結んでいるわけで、どうしてそれで「ナンパな男が女の子を食いまくる」ゲームでないと言えるのか。主人公の性的関係を吟味していくと、例えば筆おろしのひと夏の体験があったり、小さい頃からの憧れのお姉さんがいたり、傷ついた幼なじみの慰めがあったり、あるいは運命の人との出会いがあったりなど、とにかく様々な事情が介在している。つまり、まさに記憶喪失的なナンパゲームにしないための文脈づくりが非常に周到になされているというわけだ。しかしこのようにずらずらと並べられると――そしてゲームで極端な同時攻略が可能なことやノベライズが事実上その極端な同時攻略を描いていることを考えれば――むしろ口達者なナンパものの言い訳でしかないように思えるのも事実だろう。それでも、このような生き方もあったんだという形で、全てをひと夏の美しい思い出になんとかまとめきっているのが『同級生』の力技である。

この力技は、要は、二股や浮気といった行為と純愛であることとを両立させるために求められたものである。とはいえ、この方向性は実際にはなかなか厳しそうだというのが実情である。今回は取り上げられないが、後のアダルトゲームではこの浮気状態そのものの軋轢を描いた作品が登場してくる(例えば『WHITE ALBUM』(1998、Leaf)や『School Days』(2005、オーバーフロー)など)。また姉妹作品である『下級生』(1996)では、同時攻略――浮気――がそもそも条件であるヒロインが登場し、『下級生2』(2004)ではメインヒロインがすでに彼氏持ちの状態から始まるなど衝撃的な展開を辿っている。

この問題にアダルトゲームはどう対応したか。それはまさに記憶喪失によってである。この記憶喪失によってアダルトゲームはナンパゲームないし鬼畜ゲームであることを逃れた。もっとも、それゆえにより高度な浮気ものになってしまっているという側面が指摘できるだろう。この典型例として『To Heart』を取り上げることができる。
文=村上裕一

※8 『ときめきメモリアル』におけるプレイヤーの目的は、通学する高校に伝わっている、「卒業式の日、校庭のはずれにある古い大きな樹の下で女の子から告白して生まれたカップルは永遠に幸せになれる」という伝説に則して、ヒロインから卒業式に伝説の樹の下で告白を受けることにある。そのために主人公の生活行動を規定し、能力値を上げることがゲームの主目的となっている。

※9 同じような関係を同時代の有名作品である『Piaキャロットへようこそ!!』(1996、カクテル・ソフト)と『With You 〜みつめていたい〜』(1998、カクテル・ソフト)の間に見出すこともそこまで難しくはないだろう。『ときメモ』に似通った前者がナンパ的二股こそできないもののスケジュール管理=時間感覚に縛られているのに対し、後者は完全に物語のフラグに支配されている。

『同級生』アルバム画面より (C)elf
(C)elf
※10 『同級生』アルバム画面より。全14人の対象キャラクター中11人が同時に攻略可能だった。なお余談であるが主人公と同級生であるのは全14人中上段の5人だけである。

『同級生』マップモードより (C)elf
(C)elf
※11 『同級生』マップモードより。本文で示した緻密なゲームシステムを受けて、画面内には日付と時間が大きく表示されている。また主目的がナンパ行動であることから所持金も重要なパラメーターであることがわかる。

『同級生』イベント画面より (C)elf
(C)elf
※12 『同級生』イベント画面より。画面内のアイコンがてのひらに変化し、さわる、というアクションがプレイヤーに促されている。

『同級生―きっと、忘れない夏―』(1997、ワニブックス)
※13 『同級生―きっと、忘れない夏―』著=中山文十郎 原作=蛭田昌人(1997、ワニブックス)


関連リンク

株式会社エルフ ホームページ
http://www.elf-game.co.jp/

elf | 同級生オリジナル版 - アダルト美少女ゲーム - DMM.R18
http://www.dmm.co.jp/digital/pcgame/elf/dokyusei.html

エルフ | 下級生−オリジナル復刻版− - アダルト美少女ゲーム - DMM.R18
http://www.dmm.co.jp/digital/pcgame/elf/kakyusei/index_html/
村上裕一 批評家。 初の単著となる『ゴーストの条件』が講談社BOXからようやく9月に出版予定。 最近の書き物は同人誌『アニメルカvol.4』に岡田麿里作品論「ノスタルジーの文法――岡田麿里の世界観」 同人誌『BLACK PAST』に魔法少女まどか☆マギカ論「受胎の記憶――ループと忘却のメカニズム」など。 あとニコニコ動画で「おばけゴースト」というラジオ番組やってます。http://d.hatena.ne.jp/obakeghost/
twitter/村上裕一
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11.07.09更新 | WEBスナイパー  >  美少女ゲームの哲学
文=村上裕一 |