2014.7.20 Sun at WRIGHT SHOKAI
2014年7月20日(日)
京都「WRIGHT商會」にて開催
「心を止めても鼓動は止まず モノと化しても呼吸は続く お前は今日から生きた家具」。人間を家具にして使い、愛でながら、バイオリニストによる生演奏を聴きつつお茶を飲む。京都のギャラリーで開催された、そんな倒錯した晩餐会の模様を元SM女王様フリーライター・早川舞さんにレポートしていただきます!!京都「WRIGHT商會」にて開催
Wikipedia(英語版)によれば、人間家具とは人体をテーブルや椅子、キャビネットのように用いることを目的とした拘束だとされており、実際、家畜人ヤプーではヤプーたちがそのような役割を強いられていた。
そもそもはSMプレイの一種で、以前SMクラブで女王様として勤務した経験のある筆者もプレイ中にM男性を「家具化」して、背中に飲み物を置いたり、椅子にしたりした経験がある。SM愛好者が集まって親交を深めるフェティッシュ・イベントでも、それぞれのご主人様・女王様の椅子になっているMをよく目にするし、長時間動かないまま飲み物を持っているよう命じられるMも広義では人間家具と呼べるだろう。
このように、人間家具自体はSMの「現場」においてはそう珍しい「プレイ」ではない。むしろMの体ひとつあればアイディア次第で如何ようにもできてしまうので、わりと頻繁に行なわれるといってもいいぐらいだ。
だが、それを確固としたテーマとしてひとつのイベントにしてしまうのは、古今いろんなSM関係のイベントがあった中でも、これが初めてだったのではないだろうか。
主催者は大阪のSMバー「ARCADIA OSAKA」のオーナーにして、みずからもS男性・緊縛師として活躍する蒼月流氏と、カメラマンの石舟煌氏。S男性である石舟氏はアルカディアの常連であり、常々蒼月氏と「人間家具を集めて眺める会をしたい」と語っていた。石舟氏はもともとM女性を花器に見立てたいけばなの写真やインスタレーションを多く制作しており、女体をモノ化することにこだわりを感じていたそうだ。
それが実現したのは、たまたま「人間家具晩餐会」という雰囲気に合致し、趣旨にも賛同してくれたギャラリーが京都に見つかったから。その時期は5月上旬だったが、場所が確保できた後の二人の行動は早く、7月20日を開催日と決めた。
イベントは1日もしくは一晩通して行なうのではなく、1時間15分ごとに4回に分けて開催することにした。その理由は、家具になる人の体がもたないから。
考えてみてほしい。当たり前だが、家具は動かない。同じ姿勢を保っていること、それも例えば椅子になる場合などは、ずっと地面に膝をつきっぱなしでいなければならない。それでは「家具」があっという間に使いものにならなくなってしまう。蒼月氏と石舟氏はこれまでの経験から 、人間を家具として扱うなら1時間15分が限度だと導き出したのだった。
また、人間家具をじっくり観てもらうために1回の定員を30名と限定し、使用することよりもインスタレーションとして鑑賞してもらうことを優先した。ゆえに家具に直接座ったり、テーブルを使って食事をしたりすることはできない。このあたりは実際に人間家具を使用したことのある筆者からすれば多少物足りなかったが、どんな人が来るかわからず、ゆえに参加者が家具をどんなふうに扱うか予想できないイベントという形であることを考慮すれば、仕方がないだろう。
その代わり、単なるインスタレーション以上に非日常的な雰囲気を出すために、途中途中にチェンバロやヴァイオリンの生演奏を導入。倒錯した空気をより強く感じてもらうため、チェンバロ演奏の際の椅子や、ヴァイオリンの譜面台ももちろん人間にした。
筆者がお邪魔したのは全4回のうち最初の15時からの回だったが、大げさな表現ではなく開場とともに「人が流れ込んできた」。それほど皆、このイベントに期待していたのだろう。参加者の8割以上は若い女性で、しかも蒼月氏によればSMとは関係のない人たちだった。
開催日程が決まったときに蒼月氏がツイッターで概要を発表したところ、あっという間に10000リツイートを超えた。その情報は当然SM関係者以外にも届き、予約はものの2日ですべて埋まったそうだ。彼女たちはSMが好きというよりは、人間家具という響きとそれが帯びる非日常性に惹かれたようで、「おそらくSM愛好者でのんびり楽しむことになるのでは」と考えていた両氏にしてみれば予想外の反響だった。
来場者は入場するとまず芳名帳に名前を記入した。記入台は蒼月氏が縛り上げたM女性。人間家具の宴は入り口からさっそく始まった。
全員が会場に入り終わると、4人の女性がつくりあげるテーブルを前に、これもまた女性でつくられた椅子に蒼月氏が掛け、来場のお礼と注意点を述べる。
いわく、
「家具には絶対に話しかけたり、人間らしい扱いをしないで下さい。ここにある家具は心を捨ててモノと化している。そんなここでの『約束ごと』を決して破らないで下さい」。
蒼月氏の挨拶が終わると、参加者たちは家具を見て回ったが、その間も家具は微動だにしない。家具役たちは、完全に家具になりきっていた。今回、両氏が家具役を探す際にもっとも注意したのは、容姿もさることながら、自身の中に少なからずモノ化願望を持っている人材であること。彼ら、彼女らが家具であることに没頭できるかどうかが、この企画の成功を左右するといっても過言ではないと二人は考えたのだった。
筆者から見ても家具役の「入り込み具合」はすさまじく(単にすごいというレベルではない)、彼ら、彼女らの「自発的なモノ化」も会場を一種独特な雰囲気をするのに一役、いや、何役も買っていた。このあたりは適役を的確に見出だした両氏の慧眼に感服するより他ない。
家具役たちは、入れ替え制で別室で休んでいる間も基本的に私語は禁止されていたというからそれもすごいが、喋るとしても「テーブルになるなら、こういう姿勢なら長時間耐えられる」などの情報交換をしていたそうで、まさに家具の鑑だと感じた。家具役のそういった心意気もまた、「人から意思を抜き取り、モノとして見せること」を成功させたといっていいだろう。
しかしそれも、両氏の家具への気遣いがあったからこそである。開催中、両氏は常に会場を厳しい視線で眺め渡しており、体がもたなそうな家具役がいれば声をかけて別のモデルに代わらせたり、姿勢についてアドバイスをしたりしていた。
ここに人間家具の最大の矛盾にして愛すべき点がある。意思を放棄させ、心も体も雑念のない完全なモノにするためには、まず人として気遣わなければいけないということ。これは人間家具だけではなくSM全般についていえることだが、支配するには、まず気遣わなければいけない。相手の状況も測れず、「潰してしまう」ようでは、支配は成り立たないのである(もっとも、潰れたいと願う嗜好の持ち主もいるが)。
これらのやりとりの結果生まれた家具役が、モノであるはずなのに生きている、だがモノであろうと動かないよう苦心しているという状況も、耽美、倒錯、ホラー、被虐・嗜虐といった要素を引き立てていた。家具役は物と生物の間に存在する、意思のない不思議なモノになっていた、とでもいえばいいだろうか。
ところで、モノ化することで周囲に相手にされなくなる人間家具(厳密にいえばすっごく相手にされているんだが)は、放置プレイの延長線上にあるということもできる。放置プレイとは読んで字のごとく、S側がM側を放っておくプレイだ。何もしないのだからプレイとはいえないのでは?と考える向きもいるかもしれないが、それでもプレイとつくのは、S側が何もしないでいながら常に相手の状態を把握しておかなければいけないから。いわば、「何もしない」を「あえてしている」ともいえる。その上で放置を解除したり、放置した上で何をするか決めたり、あるいは放置をただ続行するかなどを決める。
閑話休題。チェンバロやヴァイオリンの演奏の合間には、来場者が「家具体験」する時間もあった。
希望者を募ると、すぐに「やってみたい」と手を挙げた方がいた。彼女は真ん中に置かれた4人づくりのテーブルのうち、一人の家具役と代わって、他の三人と同じ姿勢をとった。途端に彼女もモノの一端のように見えてしまう。彼女にもモノ化願望があったのか(まぁ多少なりともなかったら立候補はしなかっただろうが)、周囲の空気に呑まれたのか。
彼女がテーブルになっていたのはほんの数分だったが、後で感想を尋ねてみると、「テーブルのガラス板の下に入るとすぐに自然と集中できた。不思議な感覚だった」。また、回の最後にインタビューをしてわかったことだが、彼女のほかにも家具になってみたかったという女性はいて、「ああいうふうに(モノとして)見られることがないので、試してみたい」と言っていた。
最後は蒼月氏が緊縛の腕を披露し、M女性を足を抱えて座らせるような形で吊り上げた。周囲にガラスのカーテンを垂らし、下から光を当ててシャンデリアとして機能させる「人間シャンデリア」だ。ここばかりは人間家具鑑賞会というよりは緊縛ショーの雰囲気が濃厚だったが、締めならではの緊張感を持たせるという意味で良かったと思う。
終了後、参加者に感想を聞いてみると、「家に置いて愛でてみたい(笑)」「主催者側の家具への気遣いに感動した」などの声が聞かれた。家具役のほうは「やる前は自分にできるのか不安だったが、実際にやってみたら楽しめた」「自分を見てくれるギャラリーがいると頑張れる」とのことだった。
参加者も家具役も、見る・見られることを媒介にした、気遣う・気遣われる、あるいは委ねられる・委ねることに魅力を感じた人が多かったようだ。参加者はそれをSMの一形態とは感じなかったかもしれないし、人間家具の前に立つ自分たちを支配者とは捉えなかったかもしれない。だがその場に漂っていた、厳しくも優しく、無機質を目指しながらどうしようもなく人間的になった支配と従属の香りは感じ取っていたと思う。
後に石舟氏は「このイベントはSMの動と静でいえば、心を捨てさせ、動きを静止させるという静的な表現の追求でした」と語ってくれたが、追求という言葉が示す通り、確かに人間家具という面からSMの核を感じられた素晴らしい内容だった。家具役への身体的配慮による制限時間の短さでいろんなことが少し駆け足になった感があったのが少々残念だったが......。
次回開催することがあれば東京で行ないたいとのことなので、その時にどんな工夫をしてくれるのか期待することにしよう。
文=早川舞
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