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私の可愛い生徒である読者には「羞恥」の事実ですが、ケッツは素晴らしく便利なものです。しかし、その便利さ故に、現代の日本にもケッツを悪用する輩が急増しているのです。今後の日本、そして人類は、すべてケッツ次第。冒涜すれば、我々に未来はありません。ジンギス汗が東欧の或る国を亡ぼした時のこと、捕らえられた亡国の民達は殺されるのを待つだけでした。その時、その人々の群の中から進み出た一人の老婆が、征服者ジンギス汗に次のように言って命乞いをしたのです。
「ジンギス汗様、私は世界にも稀な大粒の宝石を持っています。但しそれは今飲み込んでしまって私の腹中にあります。ですから、2~3日待っていただければこの宝石を献上することか出来ますので、命はお助けください」と。
すると、ジンギス汗は剣を抜いて、「婆よ、わしはそのようなノロマなことは大嫌いじゃ、お前にそんな面倒はかけさせぬ、もっと早いいい手があるから、今それを見せてくれる」と言うやいなや、家来共に命じ婆の手足を押さえさせ、仰向けにしたその婆の腹を切り開いて宝石を取り出したということです。日本人では出来ないことです。
遊牧民族による征服で国家・民族の興亡の繰り返し行なわれたユーラシア大陸では、日本人には一寸考えも及ばぬ残酷なことが平気で行なわれてきたものです。日清・日露の戦争の頃、露西亜人や支那人達は捕らえた不審者を調べるのに、必ず全裸にして浣腸を施すのが常識だったようです。
彼らはケッツの穴には、大量の物が隠せることを、昔からよく知っていたのです。そのような時に使われた浣腸器は、ガラスの筒よりも、はるかに太い青銅製のものがよく使われたのです。
第二次世界大戦の頃、ソ連では浣腸器よりも水道のゴムホースをケッツに差し入れ、それから大量の水を入れて腹をポンポンに膨らませ、その腹を手や足で踏んだり押したりして、ケッツから水を吐かせて調べたことが報告されています。
捕虜にしたドイツの看護婦のケッツからゴムホースで大量の水を入れて、とうとう口から糞が噴出するのを見たと言う露西亜女性受刑者の証言を読んだことがあります(その看護婦はその責めにより死亡)。
第四課 伝書鳩
東京オリンピック前後からベトナム戦争が終わる頃にかけて、東京の若者達の麻薬の人手方法は、人間のケッツの穴利用の、次のような方法によるものでした。
「薬が手に入るというので、友人にさそわれて六本木の某店に行くと、夕方から始まる店内はまだ閉まっていて、裏口から通されてカーテンを閉じた薄暗い店内で待つと、運び屋が来たという。見るとそれは黒人で、彼は手に何も持っていないので、薬は持って来られなかったのかと思ったが、そうではなく、黒い若者は、ズボンを下ろし大きな尻を出すと床の上にいきなりしゃがみ、ウンウン唸り出したのです。気が狂れたのかと思って見ていると、何ということでしょう、彼の尻から太くて長い物が、ゆっくりと産み出され、やがてその物は床にダランと落ちました。よく見るとそれはコンドウム一杯に詰められた薬でした。札の数を確かめた彼はニヤリと笑うと『OK』と言って、そのまま店を出て行きました。それにしても、バナナよりはるかに太くて長い、トウモロコシくらいの巨大な物を、彼はお尻に収めて運んで来たのです」
薬の運び屋は、米軍当局からも日本の公安当局からもマークされているので、ほとんどがこの方法で運ばれたようです。
今、成田で逮捕される麻薬の運び屋の70パーセントが日本人だと言われています。外国旅行の帰路、彼らは軽い気持ちでアルバイト気分で運び屋を志願するのでしょうが、あんな大量の薬を直腸に収めるには、手術並みの処置が要る筈です。
皆さん、ケッツはこんな陰湿な犯罪に使ってはいけません。ケッツはもっと明朗で、美しく清くあるべきです。人類を亡びから救ってくれる最後の希望なのですから......。
(続く)
12.10.24更新 |
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