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今回の講義では我らがケッツではなく、チンボ=男性器について話を進めてゆきます。我が国は肛門教育の分野で列強に後れをとっているばかりでなく、チンの分野でも後進国なのです。これは我ら肛門党にとっても由々しき事態、他人事ではありません。皮の剥けている人は、だから毎晩風呂でよくそこを洗って清潔にしておくことが大切ですが、ここに少数ながら、思春期に皮の剥けないまま成人した人も存在するのです。
剥けるべき時に剥け損なうのは、乗るべき列車に乗り遅れたと同じで、そんな亀頭は、包皮に包まれたまま、開花せぬ莟(つぼみ)で成人を迎えるのです。
包茎者のチンボは亀頭が小さく発育不良で、性交時に女性を歓ばせないという致命傷と共に、もう一つ、更に恐ろしい致命傷をもつのです。
それは剥けない厚い包皮と、そこに包まれた亀頭との間に、恥垢が溜まって、しかも除去出来ない状態になるということで、このまま放置しておくと、陰茎癌に発展するのです。
といってもそれ程悩む問題ではありません。何故なら、処置は包皮の切除という軽い手術一つで解決するのですから(但し、発育不良の亀頭は大きくはなりません)。
包皮の切除については、今では出血しないレーザー・メスの使用が云々されていますが、皆さん、レーザー・メスが何でも一番というものではありません。あれはレーザー光線で火傷を作って切る訳ですから、切開跡がゴジラの背中のように醜いケロイドになる例も多いということです(包茎の皆さん、医師をよく調べて選んで下さい)。
チンボが醜悪な形になってしまったら、これも女性には気味悪がられて、又整形医を探さねばならないでしょう。そのような男性の宿命を考えてか、現今アメリカでは出生児に、男子はすべて病院で包皮切除するのだそうです(割礼と同じことです)。
第四課 剥き合い
世界史上、割礼の風習のない民族はどのようにしたのかといいますと、大体が、ある一定年齢に達すると、家から離れて、若者同士が集団生活をある一定期間行ない、その中で年長者が指揮して、新参者のチンボを皆で寄ってたかって剥いて、ついでにセンズリの仕方も教えたのです。
以前テレビで話題になった、アメリカの黒人の奴隷制度に主題をとった文学作品『ルーツ』の中でも、少年達が部落から離れて集団生活をする中で、戦闘技術を教えられ、そこから帰って来る時は、一個の立派な戦士(成人)と見なされ、チンボの皮も剥けて、見違えるようになっているとのこと。
日本でも昔から子供組という組織が各部落にあり、当屋(祷屋とも)という専門の宿に集い、一切大人を交じえず子供だけで寝食をする習慣があり、そこで夜中にお互いにチンボの剥き合いをしたのです。
子供連のこの風習は全国的に、"山の神祭り"として古くから行なわれてきたのですが、明治政府はこの、夜のチンボの剥き合いを、欧米諸国に知られたら日本の恥になるとして、"山の神"の風習を禁じました。
それでも各地、特に農村部ではよく残り、伊勢湾台風の頃までは、あちこちでされていました。
現今でも、修学旅行や林間学校の夜、子供たちが解剖ごっこをしたがるのは、こういった先輩らのDNAの成せる業なのでしょう。
子供組(今の中学生くらいまで)でチンボが剥けてセンズリの仕方を習って、その先は、若者組(今は青年団)に加入し、今度は集団で女郎買いの仕方を勉強するのです。
といっても唯助平なことを習うだけではありません。若者組は部落の構成員として、立派な成人となる試練の場で、村の祭りの仕切りから始まって、天災・人災時の消防団、警防団も彼らの仕事で、そこで一人前と認められて、年一回、伊勢参宮や御獄参り、富士登山、大山参り、金昆羅参りなどで神に認めてもらって、その帰途、直会といって精進落としに女郎屋に上がるのです。そこで初めて男女の性の歓びを知るという手順があったのです。
民俗的な意味からは、それらの地域集団に認められぬ者は、一人前とは認められず、又他所者でもあった訳です。昔からチンボを剥くのも、オマンコをするのも、そんなにいい加減な気持ちでは不可能で、きびしい苦難の関を潜らねばならなかったのです。
(続く)
12.12.19更新 |
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