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巨大陰嚢を持つ男が、快楽を追求する女性たちに重宝される選ばれた人間であることは、前講でお話したとおりです。しかし、女は貪欲です。大陰嚢を持たぬ者にも裏門叩きの技を求めるのです。今講ではその代替方法を始め、古今東西の快感追及法をお教えしましょう。古代ローマの時代には、貴族の婦女子は、快楽の追求のために、男奴隷を性の相手として奉仕させたのですが、そのお勤めはとても現代のホストクラブの男性のような、生やさしいものではなく、人間性を無視された、使い棄ての消耗品の道具そのままであったようです。
古代貴族の婦人のお相手をする男奴隷は、余程その性器(チンと玉)が並外れで大きく精力絶倫であるという例外者を除いては、毎晩続く女性の激しい欲求に、ついにはチンボが立ちにくく、又立っても続行不可能になるのが当たり前です。
そうなった彼は交合中、呼ばれた侍女たちの手で、自らの物より巨大な張り形に芥子を付けたのを、グイとケッツから押し込まれて、その刺激でチンボを立てさせられ、大きな、縛り付けられた袋を振って女主人に生命懸けの奉仕を強いられるのです。
そして遂にそうやっても立たなくなると、真っ赤に焼いた鉄棒を、ケッツの穴から侍女たちの手で押し込まれて、生命最後の一瞬の、最高の怒張で女主人に歓喜を与えて、自らの生命を終える宿命にあるのです。
交合中・合体中の相手の断末魔を眼近に見ながら、相手の苦悶を快楽に変換するというのは、大変残虐なことで、選ばれた極く少数の特権階級にしか出来ないことです。
このような性技は外道と言われ、古代ローマも、中世ヨーロッパ封建君主も、帝制ロシアの女帝も、清朝までの支那王朝も、すべて、爛熟期にはこのような退頽を記録に残して滅亡しています。文化が栄え、頂点に達すると、ついにはこのようにして頽廃を迎えて消滅するのが例のようです。
第四課 日本での串刺し
眼の前で人間の尻から槍や鉄の棒(ましてや真っ赤に焼いたもの)を突っ込んで、その人が苦悶にのた打ち廻りつつ息絶えるのを見たり、その苦しむ人間と交合して、絶息する断末魔の硬直や噴射を、絶好の快感のチャンスとして楽しむような欲望は、菜食の日本人のDNAにはないもので、これは欧米人や漢民族の好んで行なったことです。
日本民族の歴史の中で、例外的にこのような残虐なことを好んだのは、織田信長だけです。
戦国時代には日本でも傑とか釜茹でとかの残虐刑はありましたが、それは見せしめとして行なわれたもので、信長のやり方はそれとは異質なものです。
伊勢長島の一向宗一揆の投降者は焼き殺しておりますし、反旗をひるがえした摂津国の武将、荒木村重の一族のうち、身分のある女性は京に連れて来て、三条河原で槍で串刺しにして殺しでいます。
そのやり方は、四つん這いにさせて、勿論全裸の女性を、尻から槍で突いて串刺しする方法で皆殺しにし、家来や下女など身分の低い者は、家の中に押し込めて、外ら釘止めにして出られないようにしておいて、火を点けて焼き殺しています。これは見せしめの恐怖政治で、信長(自分を魔王と称した)の異常性を表わす例であり、日本人としては、例外てす。
信長以外では、江戸時代に徳川家康の孫の千姫の例が一つあるだけです。
(続く)
13.02.27更新 |
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