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キンタマの扱いは到底一筋縄ではいかず、深遠かつ無限の可能性を持っております。そのことを熟知していた先人たちは言葉にならない程の快感を貪ったのです。今講は、穴・玉・竿の三位一体論を序論とし、キンタマ潰しがもたらす福音をお教えします。先に中央アジアの遊牧民の例を話し、「キンタマは手綱だ」と言いましたが、そのような古人の教えに従って、ケッツの穴の開口と締め付けを訓練するのには、穴そのものを弄るよりも、(男なら)キンタマを捻り上げるほうがはるかに効果が大きいのです。
S女性諸君、M男が来たら裸にひん剥いて、ケッツの穴に指二本入れて、もう一人は前に廻って、奴のキンタマを捻り上げ握り潰して責めましょう。
その手の力の強弱、力の入れ加減で、奴のケッツの穴は、ピクピク、キュッキュッと雄弁に囀(さえず)り、ついにはソプラノで歌い出すでしょう。出来なければ出来るまで玉を弄んで責めてやって下さい。逃げられぬように縛り上げた上でノルマを課するのです。
男は最初、キンタマを責められるのを大抵は極端に嫌がりますが、一度強烈なその責め苦を味わうと、何となくその中に、ある種の快感があることに目覚めるもので、痛いけどもう一度女性に玉を責められたいと願うもので、しかも先に言ったようにキンタマとケッツの穴とは連動していますから、ケッツの穴もよく開き、よく締まるいい子になるのです。
私のような、幼時からケッツの穴の快感を自得している、天性のアナリスト(肛門主義者)は、これは天才と同じでごく少数です。このような人々は、他人に教えられなくても、自分ですべて心得ていますから例外として、大多数は普通の性感よりケッツをいじめられるとより快感が強そうだと、段々に分かつてきた秀才たちです。
秀才たちは出発点が遅く、ケッツの道に入るのが早くても思春期からであり、遅い人は青春(青年)に入ってからですから、正しく肛門の道に入ろうとするには、正しい方法によらなければ開眼が遅くなります。その正しい方法というのが、キンタマを弄られることによって連動する力で肛門を開発することです。
キンタマだけではありません。チンボだってピンピンに立てるためには、ケッツの穴に太い物を押し込まれる必要があるのです。
男性の皆さんは、心の中で、「俺はそんな、ケッツから物を突っ込まれなくても、チンボは立派に立つわい」と思っているでしょう。 実はそれが危ないのです。慢心です。皆さんのチンボは若いうちは、それは立つには立ちますが、一回女性と性交すれば、それまででしょう。それではいけません。チンボは、もっと長く立ち続けるべきなのです。
何人もの女性に襲われて犯されて、もう何としてもピクッともせぬフニャチンにされたら、諸君はその時初めて己がチンボが、いかに卑小な存在であったかを思い知るでしょう。
これからは男女共同参画の時代です。女を完全に満足させられぬ男は、人権が認められなくなる恐れがあります。
女は男がチンボを立てられなくなったら、許してはくれないでしょう。皆して寄ってたかって剥いて、押さえ付けて、君のケッツの穴へ、太くて長い張り形を押し込むでしょう。
その張り形に芥子を塗るのは東西古典の例にありますから、君らも、べっとりとワサビや芥子等を塗った、ぶっとい張り形でケッツから串刺しにされて、強制的に仰向けに押さえ付けられて、何人もの女性に順番に跨られて、完全に精を抜き取られて腑抜けにさせられる運命にあるのです。
(続く)
13.09.04更新 |
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