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かつての神田で、多くの若者らに性の訓育を施した古書店夫婦についての講義中ですが、奥さんの手綱ことキンタマが男のために存在するものでないことは先月お教えした通りです。男子の責任として、早期から教育を施し、また、その絶大な効果を女性に捧げるぺきなのです。睾丸だって早期に教育して立派にしておかなけれは、自分が損するだけです。能力的に......。
一番理想的なのは、私のように、中学生になった時から、理知的な若い、年長女性に毎晩二、三十分くらい揉んでもらうことです。少々の痛みは、明日の活力増進のためです、耐えるのです。この痛みは決して不快ではなく、すぐ慣れますし、慣れればもうこれすら快感に変じます。
中学一年の私は、毎週土曜日の午後になると、養護教諭の先生と、県の保健所勤務のその友人の先生の二人によって夕方まで半日、性の訓練を受け、その後しっかり二人でキンタマ・マッサージをしてもらって、さっぱりした気持ちになって家に帰り、夜は夜で、そっと自室を抜け出して、新聞屋のお姉さんや酒屋のお姉さんを相手に、また何回も性交を続けて、充実した性生活を楽しんだものです。
新聞屋のお姉さんというのは、母より何歳か年少ですが母の親しい人で、子供がニ人ともまだ小学校に入ったはかりの三十代に入ったはかりの美しい人です。酒屋のお姉さんというのは、その新開屋のお姉さんの親友で、この人は結婚してまだ一人目の子供がお腹の中にいる人で、時々浣腸をしてもらいに、お姉さんの所へ来ているので、そのうち、私と新聞屋のお姉さんの営みを見せつけられ、自分もこの秘儀の仲間入りをし、いつも三人で儀式をするようになった仲です。
女の人は妊娠すると、便秘がひどくなる人が多く、酒屋のお姉さんもその一人で、親友の新聞屋のお姉さんに頼んで、前からガラスの浣腸器で、ブスッと直腸に液を入れられていたので、ある時私の善光寺チンボを見せられて、びっくりして、伸びてしまったのが最初です。
中学一年の夏ですから私はまだ本当に子供子供していますが、新聞屋のお姉さんにパンツを脱がされた私のチンボの長さと太さに、酒屋のお姉さんは腰が笑ってしまって、尿をチビッてしまい畳を濡らしつつ頭を抱えて腑抜け状態になってしまったのです。
でも酒屋のお姉さんは喜びました。善光寺チンボという言葉は、店に来る人達から聞いて頭ではよく知っていましたが、それは俗にいうエロ話の中でのことで、実際の世界にそんな立派な陰茎が本当に存在する筈がないと思っていたのです。それが何とも手近に子供のくせに、本物の善光寺チンボを備えた子が(男が)本当にいたのです。酒屋のお姉さんの人生観はこの日を境にしてコぺルニクス的に変わったのです。
お姉さんは言いました、「ああ、私は騙されとったんやわ、世の中にはこんな立派なチンボがあるやなんて、ほんまにちょっとも知らなんだわ。うちの王人なんて、何時も、『俺のチンボは大きいほうやで、お前気持ちええ目が出来るで、俺と結婚してほんまに幸せやろ』なんて言うから、それ信じて疑わなかったけど、何やあれ全部嘘やが。うちの主人のあれて猛ちゃんの善光寺チンボと競べたら幼稚園の子のチンチンみたいなもんや。私は騙された、カスと結婚してもたわ、情けないわもう......」とえらいことになりました。
このままでは人生を悲観して直ぐにでも自殺してしまうかと思われます。すると新聞屋のお姉さんが言いました。
「何もあんた、そんなに悲観することあらせんが。あんたとこの主人、収入はちゃんと家に入れてくれるし、食へてゆくのは充分安定しとるし、上手に働かせといて、見つからんように上手にこの猛ちゃんとエエコトだけやって楽しんだらええやんか。誰もが円満にやってゆけるんやから、時々うちへ来て、秘密に私と二人で、この猛ちゃんと楽しんだら世の中上手くいくやないの」と、流石は新聞屋のお姉さんは現実認識が進んでいます。
(続く)
14.08.27更新 |
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