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日々ケッツ道に邁進している諸君よ、ケッツを貫く際には何をも恐れてはなりませんぞ。神田の古書店主はとうにその真理を知り、快美の極致を味わい尽くしていた豪傑です。常人には唯汚いと映るものでも、粋な達人にとっては、誉れ高き勲章なのですから......。チンボをピンと立てて、ケッツの穴を貫くことを"釜を抜く"と言います。釜とはお釜即ちケッツの穴のことで、お釜を掘るというのも同じ意味です。
いるはガルタに「月夜に釜を抜く」という札がありますが、その意味は、月夜、即ち妻が生理の日は、オメコが使えないので、その時は代替に釜(ケッツの穴)を抜けとゆうているのです。
江戸時代の助平な父ちゃんたちも、催してくると、ピンピンのチンボを、どこかに突っ込みたくて我慢出来ず、女房の尻を抱いて、そこへブスッと突っ込んで欲望を満たしていたのです。
さてそうやってケッツを犯すのは実に気色のいいことですが、時としては女房の直腸に糞(屎)が一杯詰まっていることがあり、そんなババケッツを貫いたりすると、事終わってチンボを抜去すると、そのチンボに、味噌が付くと称して、屎が付着してくることがあり、チンボの先っぽに付いてくる屎の色と臭いを嫌う者には、それを防ぐ秘密の技術があったのです。
女の、或いは男のケッツに突っ込んだチンボを抜く時、片手で相手のどちらかの尻たぶをグイとつねり上げてキュウと力一杯捻り上げて、相手がその痛みにケッツの穴をキュウと思い切り締めた時に素早くチンボを抜くのです。
そうすると締め付けるケッツの穴の紐にしごかれて、付着していた屎が直腸の中に取り残され、チンボは綺麗になって抜けて出るのです(コンドームのなかった江戸時代は、この技術は重要でした)。
第二課 鬱金(うこん)の鉢巻き
だが諸君よ、屎の臭いや色を唯汚いと避けてばかり居ては達人にはなれないのです(ケッツの道の)。
ケッツ道の達人にとっては、屎の付着したチンボは誉れ高き、男の勲章なのです。
屎の詰まった直腸を突きまくって、亀頭冠の溝の鰓にマフラーを巻いたように屎を付着させたチンボこそは、名誉のチンボで、付着した屎は、"鬱金の鉢巻き"と称されたのです。
鬱金は古くから薬用・食用に用いられた植物で、その汁は染料としても用いられ、渋い上品な黄色を発色させ、茶人などのわび・さひ好みの人達に愛された色です。
つまり、ケッツから抜いた、鬱金だらけのチンボを、江戸時代から明治・大正の枠人たちは"鬱金の鉢巻き"をしめた粋なチンボと称したのです。
このような状態のチンボを、臭い、ばばっちいチンボだと忌み嫌うばかりというのは凡人だと言うのです。
昔から沢庵潰けやカレーライスにも使われた渋目の黄色を、屎を連想させる色だと思うのは偏見です。
直腸の中に屎が一杯詰まっている時に、そこヘチンボを突っ込まれて犯されると、男も女も誰も例外なく相手に引け目を感じるものです。
ましてピンピンのチンボを強引に突っ込まれ、抽送(ピストン)で捏ね廻されて、屎を引き抜かれて、それを相手(征服者)に見られ暴露されることは最高の屈辱を味わわされる瞬間です。
これこそがケッツ道を行く者の極致です。貫いたほうは最高の征服感を味わえ、貫かれたほうは、最高の敗北感を味わえ、しかも両者共に膣による性交ではとても得られない程の最高の快感が得られるのですから。
尿のマフラーを亀頭冠に巻いたチンボを眼の前に突き付けられ、「ほれ見よ、俺のチンボに付いているのは、お前のケッツの穴の奥から引き抜いたお前の屎やぞ。こんな臭い屎の詰まったケッツして恥ずかしくないのか。俺のチンボ舐めて清めよ」と命令し、泣きながら舐めている相手を眺めるのは、最高の気分です。
あの神田の古書店主は、四個入れてあったチンボにさらに三個、計七個もの真珠を埋め込み、猛々しい凄いチンボになり、それで相手のケッツを貫くのが大好きで、この人にとっては相手が男であろうと女であろうと区別しません。
よく締まるケッツの穴ならどちらでも、例のヌカロク(抜か六)の絶倫さで相手をのたうち廻らせ悶絶させてしまいます。
(続く)
14.10.22更新 |
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