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快楽のパイオニア、神田の古書店主夫婦の功績、栄枯盛衰をお話している真っ最中ですが、今回ばかりはその話を横に置くことをお許しください。未だにケッツの可能性を知ろうとしない、可哀想な輩がいるようです。私も責任ある立場としましては、彼らとて放ってはおけないのです。チンボもオメコも、ケッツの穴の子にすぎないのに「男のケッツなど興味ないわ」とか、「男が女に責められるのなど全然面白くない」などとほざく心得違いの馬鹿がいるということを知ったからには、私は黙ってはおれません。
唯、今は性の先覚者たる東京は神田の古書店店主夫妻の業績を述べている途中ではありますが、丁度話が「ケッツこそ性の源泉」というところにさしかかりましたので、誤れる者共を正すため、ケッツの極致に講義を進めましょう。
私が常々言うように、男のチンボなとは所詮、前に付いた尻尾にすぎません。不服に思う君たちよ、それなら、君らのそのチンボを硬くさせて、十人以上の女に、不休で死ぬほどの快感を与えきれるのか、と聞きたい。どうだ、多くて二~三人で君らのチンボは縮んで、もう立つ力を失うのだろう。中には一人の女も満足させられない者もいるのだろう。
野育ちの、ちゃんとした躾のされていないチンボなど、線香花火のように儚いものなのだ。
男のチンボは歳をとればそれだけで一人前に成長すると思うのは完全な間違いなのです。劣情を催し、唯何となくピンピンに立ち、女性の股間に突っ込んで幾通(かよ)いかのピストンを行ない、自分だけの満足感によって勝手に射精して果てるのは、客観的に見ると、それは「単なる男のエゴ」で、二十一世紀にはもう通用しない劣等児の思想なのです。
そんなのが、定年を迎えて濡れ落ち葉として世の中から掃き出される宿命の男のカスなのです。
さて、私は前から「男のケッツは偉大なるオメコ」だと言ってきましたが、そうです、「ケッツこそは男・女を限定しない人間のオメコ」なのです。
だから男も女も、性の躾として、成年以前にすべてがケッツの躾を受け、その快美さを体得すべきなのです。私も今までに充分にケッツの復権を説いてきた筈です。
だが、世の中には日の当たらぬ陰があるように、教育のない盲目者がまだ相当数いるようです。それらを放置して先に進むには余りに哀れなので、一人でも真にケッツの喜びに目覚め、人生の幸を得る人の多かれと、横田はここに、どんなにケッツの不感症の人間でも間違いなくケッツのエクスタシーを覚えることが出来るという方法を提案します。
たとえそれが少々過激で荒っぽい方法であっても、諸君よ、ケッツで窮極のエクスタシーを得られるのだから、真剣に読んで、そして挑戦してみてください。
(続く)
14.11.12更新 |
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