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性の奥義を究めんと、数多くの未熟者たちを躾していた古書店主の好色夫婦。彼らの性の特訓は、時に、拷問のように凄まじい痛みを伴うものでもありました。しかし、激痛を超えてこそ、最上の快楽が得られるというのも、真実なのです。ここで私はハッと目が覚めました。今まで、男のチンボは他者の穴(女のみならず男のケッツの穴も含めて)に突っ込むための、男としての特権的な武器だと思ってきましたが、それは完全な間違いだということを身体で悟ったのです。
今、自分はお姉さんに、善光寺チンボと人が羨むこのチンボを、ブージーで貫かれ、続いてその手の指で貫かれ犯されて歓喜している。そうか、チンボも貫かれ犯される存在だったのか。自分は完全にお姉さんに屈服している。お姉さんは女性だけど犯され貫かれる存在ではなく、その反対の貫き犯す人なんだと。
そうか、そう分かれば迷いが晴れます。チンボなどというものが、生まれた時に股間にぶら下がっているからといって、男が女より偉いなどというのは誤りだったのだと。
今、こうやって万引きした学生たちを見ていて、訓練されていない、つまり躾のされていないチンボなと役立たずであり、これではまるで前にぶら下がった尻尾でしかありません。古書店の主人夫婦が言うように、躾のされていないチンボは世の中のカスです。
そしてこのチンボを一人前に躾するには、先ずケッツの穴を躾することが第一歩です。してみれば「ケッツの穴がすべての物の母である」というあの夫婦の主張は正論です。
チンボもオメコも偉大なるケッツの穴の子(分局)なのです。だから分局の局員を教育せんと欲するならば、先ず本局から躾するのが王道です。
私もさっきお姉さんにチンボの煙突掃除をされたら、何時もよりピンピンゴリゴリに硬くなりましたので、先にブージーで躾されてヒイヒイ泣いている、この学生のケッツの穴をもう三、四回は掘りまくろうと思い元気が出てきました。
第六課 バナナ食ベな
私がお姉さんに尿道をズコズコやられているのを不安気に見ていた学生は、私のチンボが生のイモのようにゴリゴリに赤く怒張してきたのを見て、本能的に身を引いたのですが、お姉さんにあのゴム鞭で一発尻を打たれると、観念して私に背を向け、尻を差し出し、両手を廻して、自分で自分の尻を開陳しました。
背後から迫った私が腰を入れて、グイと善光寺チンボを押し込みます。「ああ、痛い、一寸休ませて......」と言っているのを無視して、グリッと肛門輪をめくり返して直腸の奥まで入れ、逃がさじと腰を引き寄せました。
男のは女より筋肉が強いので、押し込むと、締め付けのきつい輪がグリッと音がする程です。
さっき私が責められるところを見た彼のチンボは、これも怒張して最高に硬くなっています。その硬いのへ、お姉さんはバナナの皮を被せました。
(この話続く)
15.01.28更新 |
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