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わが国が誇る大作家、三島由紀夫が作品中で示したケッツからの卵産み。作家のお墨付きということで、昭和の時代に大変人気を博したものです。また先人たちは肛門の滑りを促す潤滑剤の代用品も見つけていたのでした。お尻の穴に鶏の卵を納め、またその卵を産み出す秘技が文学作品として世によく知られるようになったのは、何と言っても三島由紀夫の『禁色』(きんじき)の影響によるところが大きいと思います。
お尻の穴に鶏卵を入れる秘技自体は、これは何百年も、ことによったら何千年も昔から、密かに実施されてきたんでしょうが......。
三島の『禁色』には、お尻の穴を使う秘芸の達人である男子同性愛者が、たしか横浜のゲイバーだったと思いますが、そこで満座の観客の前で、全裸になり、壁に立て掛けた梯子に登り、お尻を背後にぐっと差し出して一つ、また一つとお尻の穴から鶏の卵を産み出してみせ、梯子の背後で竹の笊(ざる)を受けている弟子と呼吸を合わせ、その笊の中に見事に産み落としてみせ、十一個まで、次々と大腸をひねってポコポコ産み、観客を感嘆させ、それですべて産み落としたようにみせ、皆が「凄いものを見た」と感心した隙にわざと密かに、もう一個胎内に残していたのを、いきなり肛門を差し出して、「コッコッコッコ、コケェーコッ」と産み落とし、それをわざと床の上に割れるように落として見せるシーンが有名です。
このホモの産卵ショーの役者さんは、何と一ダースの鶏卵をお尻から産み出して見せたのです。
このシーンはお尻に関心のある若い女性にも非常に人気があり、当時三島の作品のこの場面を知る人々にはよく愛読されたもので、お尻の穴から鶏卵を入れるオナニーも肛門性感愛好者には密かによく行なわれたものです。そのことを思えば、いまの人たちは文学的センスに欠けて、昭和三十年代よりも大分退化してしまっているようです。
第二課 肛門刺激はコツコツ
当時の一般の人たちの関心は、鶏卵を十個も一ダースもお尻の穴の中に納めてそれを全部産むことよりも、一個か二個を肛門から入れて、それを自分の力で産み出し、出てきた鶏卵をまた中に入れるのを繰り返すという肛門自慰の方法が多かったようで、少々文学に関心のある人間なら、「天下の三島が言っているのだから、少しでも近づけたら」と文庫本を(中には大版の単行本を)手にしつつ、その部分の情景を繰り返し暗誦しながら、我も我もと密かに卵の感覚を、楽しんだのです。
一般の人々には、とても何個もの鶏卵をお尻から入れることは文学上の絵空事のように思えたのでしょうが、あの肛門の狭い海峡を一回一回、硬い卵でこすって通過するその感覚の優美さが、他の何物にも替えられぬ快感であったのです。
それがために、モーニングサービスをする喫茶店などでは、あるいは夜遅くの店では、婦人客のスカートを巧みに剥き上げて、ゆで卵を皮のままその同伴者のお尻の穴から直腸深くへ押し込むのが密かなブームとなったものです。
お尻から入れる卵は当然ゆで卵で、注文するのは男とその相手の女性のと二個ですから、二個が巧みに押し込まれるのです。
喫茶店のボックス席の死角を巧みに利用して、スカートの端を器用にめくりあげて、取り上げたゆで卵を、ペロリと口で舐めて湿りをくれた当時のプレイ・ボーイたちは、相手の女性たちのお尻を巧みに押し拡げて卵を直腸に納め、一個が入ると間髪を入れずに二個目を上手に押し込み、直腸の中を二個の卵で満たした男は、巧みに女性にダンスを強要するのです。
二つの卵は狭い直腸内で押し合ってコツコツ硬い、しかし小さい軽い音を立てます。
その音はコツコツと、骨が触れ合ったような音で、それが若い女性のお尻の中から聞こえるのですからエロチックなものです。
少し腰をかがめたり、身をひねったりすると、コツコツ鳴るのですから、女性のほうはもうすっかりエロチックな気分になっています。
そんな女の気分を巧みに誘導しつつホテルに誘うのが流行りました。
当時の喫茶店ではそうやってゆで卵が殻も残さず姿を消すことが多かったのです。
(続く)
15.09.02更新 |
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