第42講 心の広い小父さん【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第一課 チンボ競べ
小母さんのきつく締まったケッツの穴から解放された私のチンボは、さすがに百戦錬磨の善光寺チンボです。力を失って縮むどころか図太くもまだむくれて生立ちのままです。
上はランニングシャツ、下はステテコで、しかもそのステテコの中に片手を突っ込んで小刻みにせわしく動かしながら近付いて来た小父さんは、「うーん、しかし迫力あった……こんなに興奮したのはもう十年振りかもっとたつぞ。和男(三男)が生まれた時からだから十二年たつか……、本当に久し振りでチンポが立ったよ、いや有難う。わしは怒ってなどいないからまあ気持ちを楽にしてくれたまえ」と言いながら私のそばへ腰を下ろすと胡坐をかきました。
小父さんの眼は異様に熱っぽく光り、いきなり肩を一つポンと叩くと、「しかし君はいい体しとる、昔なら陸士(陸軍士官学校)へぜひ入れたいところだ……」と言いながら舐めるように私の身体を上から下まで眺め廻し、いきなりむんずと私のチンボを握って引っ張りました。
小父さんの掌は汗ばんで熱く、情熱を込めてグイと握り小刻みにしごきを入れてきます。
いきなりチンボを握られるというのは、まるで首根っ子を押さえられたのと同じ気持ちになるものです。私は「あっ」と叫んで腰を引きましたが、自分とは別の意志で動く他人の掌にチンボを捕捉されるのは、その手が男であろうと女であろうと凄く刺激のあるもので、握られた瞬間、ピカッと稲妻が股間から後頭部に突き抜けたようで、生立ちのチンボは瞬時にしてピンコ立ちしました。「おう、これは固いぞ、迫撃砲弾のようだ。しっかりしとる。ううん軍馬のものと変わらんぞ。これはデカイ……」とさすがに元陸軍の将校です。
小父さんは私のチンボを訪問先でなついたその家の犬の首を撫でるようにやわやわとしごきなから「わしも若い頃は一晩に三回や四回はやりまくり、この千鶴子をヒイヒイ言わせたものだが、妙子が生まれ正家が生まれ三番目の和男が生まれると千鶴子のあそこがガバガバになって余り手応えが無くなって張り合いがないのでもうテンポが立たなくなってしまった。会社の仕事も忙しくなって、土曜日に家に帰るともう酒が一番の楽しみになってしまったが、そうか君が下宿するようになってから千鶴子が大分生き生きしてきたと思ったら君がホルモン注射をしていてくれたのか。いい、いい、これからもわしに遠慮などしなくていいからどしどししてやってくれ。千鶴子も欲求が満たされて丁度いいから」と何ともまあさばけた言葉が小父さんの口から出たのです。それを聞いて眉にしわを寄せてかしこまっていた小母さんは晴れやかに顔をあげ、「貴方本当に許して下さるのですか、それに横田君とこれからも本当にしてもよろしいのですか」と聞きました。「うんいいよ。わしが許すんだから亭主公認だ。うんとしてもらって楽しみなさい。但し横田君とだけで他の男とは絶対にいかんよ」と言いながら小父さんは立ち上ってステテコを脱ぎ褌を解くと、自分のチンボを手で握って又座り直しました。
ふと見ると小父さんのチンボは胡坐をかいた股間でピンと斜め上向いて立っていますが、長さは十四〜五センチくらいで、平均の大きさですが、普通より反りがきつく、それを見ていると私は不思議な気持ちになります。
この小母さんのオメコにこの反りの利いたチンボが挿入されてズコズコ励んで、その挙句あの三人の子供が出来たのかと思うと何だかおかしいです。そうやって小母さんは三回も出産を重ねてオメコが広くなって小父さんに飽きられていたのか、そうか小母さんのオメコはこの私の善光寺チンボでなくては普通の男のものでは「太平洋で牛蒡を洗う」ようなものだったのだ、そう思うとこの夫婦がかわいそうな同情すべき状態であり、私はこの夫婦のために知らないで良いことをしたのだ、と納得しました。
小父さんは私の顔を見ながら、「しかし何だなあ、横田君も相当なものだぞ。馬並みのチンポを飼ってて学生のくせしてケツの穴でやることを知っとるんだから……」と言い、自分のチンボをしごきながら寄って来ます。
反りの利いた小父さんのチンボは私の二十センチのと比べると完全に見劣りがします。このチンボ競べは小父さんの負けです。勝利の私は完璧の優越感に気分が大らかになりました。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.11.12更新 |
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