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大正屋の後は、1988年末にぴあから出た『ぴあPeople File '90年代人物辞典』のクレジットを見る限り、編集プロダクションのジャックポットに短期間勤めたようで、盟友の一人、夏原武も当時を回想して「青山が就職したのが(略)編プロのJ社であった」(『ダークサイドJAPAN』)と語っている。その次は株式情報誌『産業と経済』を出しているプリントワンに入社したようだ。1989年4月号の『バチェラー』の近況にはこんな文面がある。
「音楽出版社系からコンピュータのプログラマー、そしてビデオ・ソフト関連のプロダクションと渡り歩いてきた私が、今度は株式専門の出版社に入社。趣味がことごとく本職となるのは、正直、悲しいことなのだが」
しかし『産業と経済』の編集も長くは続かなかった。1989年の後半、ひょんなことから新雑誌創刊の企画が舞い込み、そちらの編集部に移ってしまったようだ。この頃から青山正明と一緒に仕事をするようになった吉永嘉明は『自殺されちゃった僕』で以下のように回想している。
「当初は、雑誌の編集とライターという関係で、僕がある成人雑誌の編集をして、そこで担当していたライターの一人が、『産業と経済』という株式情報誌に所属していた青山さんだった。(略)そんな時にやはり、同じ雑誌で書いていたライターで前衛音楽家の秋田昌美さんの紹介で、新雑誌立ち上げの話がきた」
その雑誌は『エキセントリック』といい、名古屋の電話営業の会社が税金対策で立ち上げたものだという。内容はバブル期に相応しく、海外旅行をテーマに一国ごとに特集していくもので、1989年11月に出たニューヨーク特集の創刊号を皮切りに、パリ、香港、カリフォルニア、ロンドン、バンコクと6号まで出た。発行所は全英出版、5号から中央法科研究所に変更している。
出したはいいが、雑誌コードが取れなかったため、自分たちで書店を回って直販するしかなく、手間がかかりすぎた。広告も取れず、当然ながら売れなかった。そんな理由から6号(1990年8月)で廃刊となったのだが、内容は今見ても斬新な切り口が多く、特に4号のニューエイジ、5号のデジタル・カルチャー周辺、6号の死体と大麻のパレードなどは、惜しまれる傑作揃いである。その後大手から出た海外情報カルチャー誌『03』やロンドンの若者向け雑誌日本版『iD JAPAN』と並べても遜色のない水準だ。巻末収録の編集スタッフの日記には「日本で最も金かけた同人誌と噂されるエキセントリック」と自虐的な一文がある。
『エキセントリック』は廃刊してしまったが、せっかく集まったのだからと、その時の編集スタッフのメンバーで編集チームを組むことになった。それはのちに編集プロダクション「東京公司」となる。
『産業と経済』/プリントワン
『エキセントリック』創刊号/全英出版株式会社
1989年10月20日発行。全英出版株式会社。ニューヨーク特集の本号には青山正明らは関わっていないが、メルツバウの秋田昌美が多く関わっているため、取りあげる対象がいちいち濃く、興味深い内容である。「アメリカン・アヴァンギャルドシネマの歴史」としてウォーホル、ジョナス・メカス、ケネス・アンガーを取りあげているのは古典的だが、「エリオット・シャープの仕事」や「ポール・リマスVS秋田昌美」、特にカセット・マガジン『TELLUS』編集部取材などの音楽関連記事はここでしか読めないのでは。最後に申し訳程度に「旅行業界の人々」と題した飛行機会社の社員による座談会が収録されているのが無駄に笑える。
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
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08.06.22更新 |
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