『BRUTUS』
1983年2月15日発行/平凡出版株式会社
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青山正明以外における『突然変異』
さて青山正明の最初の公での活動であるミニコミ『突然変異』について改めて見ておきたい。発行された1号から4号までの内容、および『突然変異』のロリコン記事をきっかけに『Hey!Buddy』誌から声がかかり商業ライターデビューしたという経緯は、本連載3〜5回を参照して頂きたい。そこでは触れなかった細かい補足をしておく。
『突然変異』をきっかけに商業媒体に登場したのは青山だけではない(青山の変名・西井幼名は除外)。『突然変異』3、4号に名前が登場する谷地淳平もその一人で、突然変異チームとして一緒に『Hey!Buddy』に引き抜かれており、ライターとして一時期活動している。例えば『BRUTUS』1982年4月15日号のSEX特集号には、青山が「アメリカのポルノ男優名勝負」「父よ、あなたも乳が出る!」というコラムを担当しているが、谷地も「医学書の愛読者が医学関係者ではない、という不思議」を執筆しており、さらに「ロリコンを知らずして80年代の性は語れない」という見開きページは全面的に『突然変異』が協力。欄外には「いまやメジャーなミニコミ『突然変異』編集スタッフ(車田正一、谷地淳平、青山正明、佐々木正代)の企画制作によって編集しました」と説明がある。
そして『PLAYBOY日本版』1982年10月号には「清少納言の大予言」(文・谷地/イラストレーション・及川正通)と題した7ページに及ぶ論文が掲載。ノストラダムスが大予言のタネ本に使ったのは『枕草子』だった!という珍説もとい大スクープで、判明している中ではこれが一番メジャーな舞台での仕事である。その後の活動はあまりはっきりしていないが、1983年6月頃の自販機本『コレクター』16号で「夜のお菓子(3)“幽体離脱派痴漢宣言!”」と題した記事を担当しているので、1983年もまだエロ本界隈には関わっていたようだ。
『突然変異』出身と言っていいのか不明だが、2、3号の表紙イラストを担当した霜田恵美子は、昭和30年代を思わせるレトロなタッチが、当時のヘタウマ・ブームとリンクし、『ウィークエンド・スーパー』『ビックリハウス』『宝島』をはじめ、80年代前半の様々なサブカルチャー媒体で活躍した。80年代末に海外へ渡り(1992年に『ライブ!ニューヨークから』というNYルポ本を出している)、それ以降はたまにしか名前を目にしなくなったが、80年代に活躍したイラストレーターとしては上位に名前がくるだろう。
他にも『突然変異』の佐々木正代の名前が映画『陽炎座』の出演者クレジットにあったり、亡くなってしまったがデザイナー丸山浩伸はその後も様々な媒体で活躍していたりするものの、関わっていたスタッフの名前をウェブで検索して引っかかったものが本人かどうかはあやふやで不明確だ。「あの変態ミニコミに関わっていたのは私です」と名乗り出てくれる勇気のある方々がいればいいのだが、ひとまず『突然変異』は青山正明だけのミニコミではないという断りを入れておきたい。
『PLAYBOY日本版』
1982年10月号/集英社
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
1983年2月15日発行/平凡出版株式会社
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青山正明以外における『突然変異』
さて青山正明の最初の公での活動であるミニコミ『突然変異』について改めて見ておきたい。発行された1号から4号までの内容、および『突然変異』のロリコン記事をきっかけに『Hey!Buddy』誌から声がかかり商業ライターデビューしたという経緯は、本連載3〜5回を参照して頂きたい。そこでは触れなかった細かい補足をしておく。
『突然変異』をきっかけに商業媒体に登場したのは青山だけではない(青山の変名・西井幼名は除外)。『突然変異』3、4号に名前が登場する谷地淳平もその一人で、突然変異チームとして一緒に『Hey!Buddy』に引き抜かれており、ライターとして一時期活動している。例えば『BRUTUS』1982年4月15日号のSEX特集号には、青山が「アメリカのポルノ男優名勝負」「父よ、あなたも乳が出る!」というコラムを担当しているが、谷地も「医学書の愛読者が医学関係者ではない、という不思議」を執筆しており、さらに「ロリコンを知らずして80年代の性は語れない」という見開きページは全面的に『突然変異』が協力。欄外には「いまやメジャーなミニコミ『突然変異』編集スタッフ(車田正一、谷地淳平、青山正明、佐々木正代)の企画制作によって編集しました」と説明がある。
そして『PLAYBOY日本版』1982年10月号には「清少納言の大予言」(文・谷地/イラストレーション・及川正通)と題した7ページに及ぶ論文が掲載。ノストラダムスが大予言のタネ本に使ったのは『枕草子』だった!という珍説もとい大スクープで、判明している中ではこれが一番メジャーな舞台での仕事である。その後の活動はあまりはっきりしていないが、1983年6月頃の自販機本『コレクター』16号で「夜のお菓子(3)“幽体離脱派痴漢宣言!”」と題した記事を担当しているので、1983年もまだエロ本界隈には関わっていたようだ。
『突然変異』出身と言っていいのか不明だが、2、3号の表紙イラストを担当した霜田恵美子は、昭和30年代を思わせるレトロなタッチが、当時のヘタウマ・ブームとリンクし、『ウィークエンド・スーパー』『ビックリハウス』『宝島』をはじめ、80年代前半の様々なサブカルチャー媒体で活躍した。80年代末に海外へ渡り(1992年に『ライブ!ニューヨークから』というNYルポ本を出している)、それ以降はたまにしか名前を目にしなくなったが、80年代に活躍したイラストレーターとしては上位に名前がくるだろう。
他にも『突然変異』の佐々木正代の名前が映画『陽炎座』の出演者クレジットにあったり、亡くなってしまったがデザイナー丸山浩伸はその後も様々な媒体で活躍していたりするものの、関わっていたスタッフの名前をウェブで検索して引っかかったものが本人かどうかはあやふやで不明確だ。「あの変態ミニコミに関わっていたのは私です」と名乗り出てくれる勇気のある方々がいればいいのだが、ひとまず『突然変異』は青山正明だけのミニコミではないという断りを入れておきたい。
(続く)
『PLAYBOY日本版』
1982年10月号/集英社
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.11.23更新 |
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