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The text for rea ppraising a certain editor.
しのざき嶺『Bitter & Sweet』より
ある編集者の遺した仕事とそ の光跡
天災編集者!
青山正明の世界 第35回
青山正明のいたマイナー出 版社・「大正屋」とは何か
21世紀を迎えてはや幾年、はた して僕たちは旧世紀よりも未来への準備が整っているだろうか。乱脈と積み上げられる情 報の波を乗り切るために、かつてないほどの敬愛をもって著者が書き下ろす21世紀の青山 正明アーカイヴス!
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青山正明のいたマイナー出版社・「大正屋」とは何か
青山正明が『Hey!Buddy』休刊後に勤めていた出版社は「大正屋」といい、そこで 『カリスマ』『阿修羅』というホラーコミック誌を編集していた話は以前にも書いた。で は一体そこはどんな出版社だったのだろうか。実は国会図書館には一冊も所蔵がなく、出 版物自体を探すのも一苦労で(たまにブックオフの105円コーナーに並んでいる)、単行 本の奥付、オークション、古書店の目録などで一つずつ探していくしかない。
正式名称は「大正屋」出版株式会社。何冊か見つかった出版物はいずれも1986年〜19 87年に発行されていた。発行人の欄にはいずれも86年9月まで前中行司(『SMキング』に 同名人物がいるが、本人かは不明)、10月以降は武井貴司という名前が記されており、こ の2人が社主であるようだ。また9月までは住所は東京都港区六本木の市兵衛ビル3階にあ るが、10月以降は東京都渋谷区広尾の中井ビル4階に移っている。おそらくこの時期に何 か会社内部であったのだと推測できる。さらに発行は「大正屋」だけども、発売元は神保 町にある文苑堂東京店となっていて、流通をまだ余所に頼るくらいの、80年代後半にわず かに活動していた小さな出版社だったのだろう。
手元にあるものはすべてマンガ単行本(ムック)だ。しかも同人誌やエロマンガ誌で 活動していたマンガ家がほとんどである。これは弱小ゆえに人気作家を獲得することがほ とんど無理なぶん、新しい作家を積極的に発掘していかなくてはいけない事情があったと 見えるが、その発掘作業に青山がどれだけ関わっていたのかは判らない。ただ、青山が作 者と一緒に撮った写真が載った単行本も存在するので、別段マンガ編集を嫌がっていたわ けでもなさそうである。ここで「大正屋」の出版物の一部を簡単に紹介しておこう。青山 が関わっていないものも多いだが、どんな作家がこの出版社にいたのかを知るだけでも意 義はあるはずだ。
V.A.『COMIC あげちゃう! No.2』
1986年7月20日発行。表紙は水原マサキと森山塔、裏表紙はスオミフム。未見だが1号 も当然存在する。参加者はねぐらなお、水原マサキ、池田一成、みっちゃんZZ、けいーも と、渡辺わたる、森山塔、よるの♥つばさ、いがらしゆう、きたじま晶、平田チ ューリップ、中島史雄、吉祥寺一矢、眉崎深宇、ふなとひとし。その他、星★萌菜加によ るお便りコーナーなど。巻末の自社広告には『あげちゃう』1号の紹介と、今後の出版予 定リストがある。それによれば毛羽毛現『百物語(仮)』、松田恵『光のまじねえ (仮)』、SFホラー・アンソロジー『ノヴァ』、V.A.『あげちゃう 3』、サブ医学・小林 文雄『気の講座』、サブカルチャー誌『エストレーモ(仮)』が挙げられているが、『エ ストレーモ』が『カリスマ』になったのだろうか?
毛羽毛現『百物語 BY YoKo』
1986年8月17日発行。編集協力はスタジオグライフ、装幀は藤井信夫。毛羽毛が参加 していた同人誌に掲載された「百物語」シリーズをまとめて単行本にしたもの。巻末に自 社広告あり。松田絋佳『命色の化石』と刺激的ニンフ・コミック『COMICあげちゃう』の 紹介。また出版社の紹介文には「「大正屋」出版は、生きのいいピチピチした漫画家さん を、門戸をめいっぱい広げて待ってます/WAVEやアーク・ヒルズからずっと離れた心休ま る六本木でカキ茶などをすすりたい向きは、是非お寄りを!電話歓迎!即日製本」とある。
松田絋佳『命色の化石』
1986年9月5日発行。編集協力はスタジオ・グライフ、装幀は藤井信男。作者欄には 「松田恵あらため松田絋佳」とある。同人誌掲載作品をもとにした単行本。この時、既に デビュー5年経っていたようだ。
V.A.『ますたぁど 1』
1986年10月25日発行。編集人は力武靖、装幀は藤井信男。『COMICあげちゃう』の続 編的シリーズで、副題は「新人類エッチComic!」。表紙を森山塔、裏表紙をスオミフムが 担当。参加者は阿乱霊、狼太郎、吉岡鳴美、Tiger Shark、よりちかびびる、どんきい、K EN-G、きたじま晶、河本ひろし、松田すみお、美和卯月、堀本鑑、円谷なおと、大野安之 (同人誌『ゆーたら・あ・かん』からの転載)。巻末には星★萌菜加による送られてきた 同人誌の紹介や、『あげちゃう!』の自社広告あり。
計奈恵『Let's エンタァティンメント』
1986年12月25日発行。装幀は小島由紀子。ロリコンアニメ「くりいむレモン」のデザ インなどを担当したマンガ家。単行本最後に自社広告あり。「コミック界の新興宗教」と キャッチコピーがついたハイパーカルト・コミック『カリスマ』、ニューエイジSF&Fant asyコミック『NOVA』、売切店続出増刷完成と書かれた松田絋佳『命色の化石』の3冊紹介。 『NOVA』は実際に発行されたかは不明。
V.A.『ますたぁど 2』
1987年1月25日発行。編集人は力武靖。表紙は桐生レイア。参加者はよりちかびびる、 狼太郎、桐生レイア、どんきい、美和卯月、きたじま晶、円谷なおと、華邪、真船忍、河 本ひろし、堀本鑑、浅野みお。前号に引き続き星★萌菜加による同人誌紹介などもある。
V.A.『上海カクテル』
1987年1月25日発行。編集人は力武靖、編集・製作はMIDIスタジオ(羽村明仁、その 他)、ADは○村(仮名)、装幀はGIGAグラフィック(勝木雄二、小島由紀子)。「SFアル コール短篇マンガ集」と副題にあるように、アルコールを題材としたSFマンガをオムニバ ス形式で収録。SFアルコールとはかなり謎なジャンルであるが、○村という人物によるカ クテル・エッセイが随所に挿入され、あとがきをこの人が書いていることからも、この本 全体の企画を主導したのは○村だと思われる。参加者は郁星草、フレッド・ケリー、時坂 夢戯、りん・たおみん、蒔絵徹、本田俊哉、亜麻木硅、毛羽毛現、池田一成、砂倉そーい ち、Ken-G、○村(仮名)、河本ひろし、銀猫。
新井博子『グッバイ ティーンズ 新井博子遺稿作品集』
1987年4月20日発行。企画・制作は小田嶋忠広、デザインはスタジオB4。1967年5月24 日に生まれ、1986年4月11日に当時18歳で自ら命を絶った作者の遺稿をまとめた作品集。 この自殺は当時朝日新聞にも取り上げられた。企画者のシメの言葉に「出版プロデュー サーの青山氏にご協力をいただいたことを感謝します」とある。
松田絋佳『黒の炎 上』
1987年6月1日発行。装幀は小島由紀子。作者あとがきに「完結までには、あと単行本 2冊くらいかかるような気もしますが」とあり、上中下巻の予定だったと見られる。
寄生虫(よりうむし)『チェイサー朱理』
1987年8月25日発行。装幀は小島由紀子、編集協力はスタジオグライフ。初出は記載 されていないが、『WOO』で連載されていた「アフター5マン」やタイトル作を中心とした 作品集。
しのざき嶺『Bitter & Sweet』
1987年9月25日発行。装幀はせいのけんいち。しのざきは『レモン・ピープル』でデ ビューし、森義一や大島岳詩のアシスタントをしながら活動していたマンガ家。ロリコン 誌出身ながら本作はアンチ・ロリコンの大人の恋愛を描いた、ということらしい。冒頭に 写真企画として、イメージガールとして選ばれた結城麻美のヌードフォトコーナーがある。 この撮影レポートということで、青山・しのざき・結城の3人で記念撮影をした写真が掲 載されている。
『カリスマ』(1987年3月)と『阿修羅』(1987年9月)は省略したが、この他にも 『同人誌ガイドブック FOR BOYS』『同人誌ガイドブック FOR GIRLS』(2号も)などがあ る。しかし「大正屋」はどうやら90年代に入る前に倒産してしまった。古くからの友人で ある夏原武は当時をこう述懐している。
しばらくして、今はもうない「大正屋」出版という会社から『阿修羅』なるムック形 態の雑誌を作ったと連絡をもらった。考えてみるとこれが『危ない1号』の原型かもしれ ない。その二冊目に原稿を書いてくれないか、彼からそう言われた時は正直嬉しかった。 というのも、私はライター青山のファンでもあったからで、自分が敬愛する書き手から 「書いてくれ」と言われるより嬉しいことはない。言われるままホドロフスキーの作品を 中心に、原稿を書かせてもらった。その出版社があっという間に倒産したのは笑い話だが、 彼は自腹を切って原稿料を振り込んできた。(夏原武「私にとって友人でもあるが恩人で もあった」/『ダークサイドJAPAN』2001年10月号)
この後、青山は別の編集プロダクションへと移るわけだが、ロリコン系ムックで培っ たであろう編集力を最初に発揮した舞台であることは間違いないし、マンガ単行本を地道 に編集しながら、その後作ることになる『危ない1号』の原型も既に形にしていたのが 「大正屋」時代である。そう考えれば、まだ一部の人間しかその才能に気付いていなかっ た、80年代後半の青山正明に食い扶持を与えたこの出版社の意義は小さくはないだろう。
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5 】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
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ある編集者の遺した仕事とそ の光跡
天災編集者!
青山正明の世界 第35回
青山正明のいたマイナー出 版社・「大正屋」とは何か
取材・構成・文=ばるぼら
21世紀を迎えてはや幾年、はた して僕たちは旧世紀よりも未来への準備が整っているだろうか。乱脈と積み上げられる情 報の波を乗り切るために、かつてないほどの敬愛をもって著者が書き下ろす21世紀の青山 正明アーカイヴス!
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青山正明のいたマイナー出版社・「大正屋」とは何か
青山正明が『Hey!Buddy』休刊後に勤めていた出版社は「大正屋」といい、そこで 『カリスマ』『阿修羅』というホラーコミック誌を編集していた話は以前にも書いた。で は一体そこはどんな出版社だったのだろうか。実は国会図書館には一冊も所蔵がなく、出 版物自体を探すのも一苦労で(たまにブックオフの105円コーナーに並んでいる)、単行 本の奥付、オークション、古書店の目録などで一つずつ探していくしかない。
正式名称は「大正屋」出版株式会社。何冊か見つかった出版物はいずれも1986年〜19 87年に発行されていた。発行人の欄にはいずれも86年9月まで前中行司(『SMキング』に 同名人物がいるが、本人かは不明)、10月以降は武井貴司という名前が記されており、こ の2人が社主であるようだ。また9月までは住所は東京都港区六本木の市兵衛ビル3階にあ るが、10月以降は東京都渋谷区広尾の中井ビル4階に移っている。おそらくこの時期に何 か会社内部であったのだと推測できる。さらに発行は「大正屋」だけども、発売元は神保 町にある文苑堂東京店となっていて、流通をまだ余所に頼るくらいの、80年代後半にわず かに活動していた小さな出版社だったのだろう。
手元にあるものはすべてマンガ単行本(ムック)だ。しかも同人誌やエロマンガ誌で 活動していたマンガ家がほとんどである。これは弱小ゆえに人気作家を獲得することがほ とんど無理なぶん、新しい作家を積極的に発掘していかなくてはいけない事情があったと 見えるが、その発掘作業に青山がどれだけ関わっていたのかは判らない。ただ、青山が作 者と一緒に撮った写真が載った単行本も存在するので、別段マンガ編集を嫌がっていたわ けでもなさそうである。ここで「大正屋」の出版物の一部を簡単に紹介しておこう。青山 が関わっていないものも多いだが、どんな作家がこの出版社にいたのかを知るだけでも意 義はあるはずだ。
V.A.『COMIC あげちゃう! No.2』
1986年7月20日発行。表紙は水原マサキと森山塔、裏表紙はスオミフム。未見だが1号 も当然存在する。参加者はねぐらなお、水原マサキ、池田一成、みっちゃんZZ、けいーも と、渡辺わたる、森山塔、よるの♥つばさ、いがらしゆう、きたじま晶、平田チ ューリップ、中島史雄、吉祥寺一矢、眉崎深宇、ふなとひとし。その他、星★萌菜加によ るお便りコーナーなど。巻末の自社広告には『あげちゃう』1号の紹介と、今後の出版予 定リストがある。それによれば毛羽毛現『百物語(仮)』、松田恵『光のまじねえ (仮)』、SFホラー・アンソロジー『ノヴァ』、V.A.『あげちゃう 3』、サブ医学・小林 文雄『気の講座』、サブカルチャー誌『エストレーモ(仮)』が挙げられているが、『エ ストレーモ』が『カリスマ』になったのだろうか?
毛羽毛現『百物語 BY YoKo』
1986年8月17日発行。編集協力はスタジオグライフ、装幀は藤井信夫。毛羽毛が参加 していた同人誌に掲載された「百物語」シリーズをまとめて単行本にしたもの。巻末に自 社広告あり。松田絋佳『命色の化石』と刺激的ニンフ・コミック『COMICあげちゃう』の 紹介。また出版社の紹介文には「「大正屋」出版は、生きのいいピチピチした漫画家さん を、門戸をめいっぱい広げて待ってます/WAVEやアーク・ヒルズからずっと離れた心休ま る六本木でカキ茶などをすすりたい向きは、是非お寄りを!電話歓迎!即日製本」とある。
松田絋佳『命色の化石』
1986年9月5日発行。編集協力はスタジオ・グライフ、装幀は藤井信男。作者欄には 「松田恵あらため松田絋佳」とある。同人誌掲載作品をもとにした単行本。この時、既に デビュー5年経っていたようだ。
V.A.『ますたぁど 1』
1986年10月25日発行。編集人は力武靖、装幀は藤井信男。『COMICあげちゃう』の続 編的シリーズで、副題は「新人類エッチComic!」。表紙を森山塔、裏表紙をスオミフムが 担当。参加者は阿乱霊、狼太郎、吉岡鳴美、Tiger Shark、よりちかびびる、どんきい、K EN-G、きたじま晶、河本ひろし、松田すみお、美和卯月、堀本鑑、円谷なおと、大野安之 (同人誌『ゆーたら・あ・かん』からの転載)。巻末には星★萌菜加による送られてきた 同人誌の紹介や、『あげちゃう!』の自社広告あり。
計奈恵『Let's エンタァティンメント』
1986年12月25日発行。装幀は小島由紀子。ロリコンアニメ「くりいむレモン」のデザ インなどを担当したマンガ家。単行本最後に自社広告あり。「コミック界の新興宗教」と キャッチコピーがついたハイパーカルト・コミック『カリスマ』、ニューエイジSF&Fant asyコミック『NOVA』、売切店続出増刷完成と書かれた松田絋佳『命色の化石』の3冊紹介。 『NOVA』は実際に発行されたかは不明。
V.A.『ますたぁど 2』
1987年1月25日発行。編集人は力武靖。表紙は桐生レイア。参加者はよりちかびびる、 狼太郎、桐生レイア、どんきい、美和卯月、きたじま晶、円谷なおと、華邪、真船忍、河 本ひろし、堀本鑑、浅野みお。前号に引き続き星★萌菜加による同人誌紹介などもある。
V.A.『上海カクテル』
1987年1月25日発行。編集人は力武靖、編集・製作はMIDIスタジオ(羽村明仁、その 他)、ADは○村(仮名)、装幀はGIGAグラフィック(勝木雄二、小島由紀子)。「SFアル コール短篇マンガ集」と副題にあるように、アルコールを題材としたSFマンガをオムニバ ス形式で収録。SFアルコールとはかなり謎なジャンルであるが、○村という人物によるカ クテル・エッセイが随所に挿入され、あとがきをこの人が書いていることからも、この本 全体の企画を主導したのは○村だと思われる。参加者は郁星草、フレッド・ケリー、時坂 夢戯、りん・たおみん、蒔絵徹、本田俊哉、亜麻木硅、毛羽毛現、池田一成、砂倉そーい ち、Ken-G、○村(仮名)、河本ひろし、銀猫。
新井博子『グッバイ ティーンズ 新井博子遺稿作品集』
1987年4月20日発行。企画・制作は小田嶋忠広、デザインはスタジオB4。1967年5月24 日に生まれ、1986年4月11日に当時18歳で自ら命を絶った作者の遺稿をまとめた作品集。 この自殺は当時朝日新聞にも取り上げられた。企画者のシメの言葉に「出版プロデュー サーの青山氏にご協力をいただいたことを感謝します」とある。
松田絋佳『黒の炎 上』
1987年6月1日発行。装幀は小島由紀子。作者あとがきに「完結までには、あと単行本 2冊くらいかかるような気もしますが」とあり、上中下巻の予定だったと見られる。
寄生虫(よりうむし)『チェイサー朱理』
1987年8月25日発行。装幀は小島由紀子、編集協力はスタジオグライフ。初出は記載 されていないが、『WOO』で連載されていた「アフター5マン」やタイトル作を中心とした 作品集。
しのざき嶺『Bitter & Sweet』
1987年9月25日発行。装幀はせいのけんいち。しのざきは『レモン・ピープル』でデ ビューし、森義一や大島岳詩のアシスタントをしながら活動していたマンガ家。ロリコン 誌出身ながら本作はアンチ・ロリコンの大人の恋愛を描いた、ということらしい。冒頭に 写真企画として、イメージガールとして選ばれた結城麻美のヌードフォトコーナーがある。 この撮影レポートということで、青山・しのざき・結城の3人で記念撮影をした写真が掲 載されている。
『カリスマ』(1987年3月)と『阿修羅』(1987年9月)は省略したが、この他にも 『同人誌ガイドブック FOR BOYS』『同人誌ガイドブック FOR GIRLS』(2号も)などがあ る。しかし「大正屋」はどうやら90年代に入る前に倒産してしまった。古くからの友人で ある夏原武は当時をこう述懐している。
しばらくして、今はもうない「大正屋」出版という会社から『阿修羅』なるムック形 態の雑誌を作ったと連絡をもらった。考えてみるとこれが『危ない1号』の原型かもしれ ない。その二冊目に原稿を書いてくれないか、彼からそう言われた時は正直嬉しかった。 というのも、私はライター青山のファンでもあったからで、自分が敬愛する書き手から 「書いてくれ」と言われるより嬉しいことはない。言われるままホドロフスキーの作品を 中心に、原稿を書かせてもらった。その出版社があっという間に倒産したのは笑い話だが、 彼は自腹を切って原稿料を振り込んできた。(夏原武「私にとって友人でもあるが恩人で もあった」/『ダークサイドJAPAN』2001年10月号)
この後、青山は別の編集プロダクションへと移るわけだが、ロリコン系ムックで培っ たであろう編集力を最初に発揮した舞台であることは間違いないし、マンガ単行本を地道 に編集しながら、その後作ることになる『危ない1号』の原型も既に形にしていたのが 「大正屋」時代である。そう考えれば、まだ一部の人間しかその才能に気付いていなかっ た、80年代後半の青山正明に食い扶持を与えたこの出版社の意義は小さくはないだろう。
(続く)
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ばるぼら ネッ
トワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのイ
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08.11.30更新 |
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