毎週日曜日更新! あの日“アイツ”を追いかけた 全ての女子たちへ! 「腐った遺伝子」 第6回 文=早川舞 ←『ビックリマンチョコ』 発売:株式会社ロッテ All Rights Reserved.Copyright(C)LAD, ロッテ/ ビックリマンプロジェクト |
先日、中野ブロードウェイに行ったらビックリマンシールがどえらい値段で売られていました。に、にまんろくせんえん……30円のチョコのおまけがにまんろくせんえん……。
こんな値段になっているなら取っておいたのに……とか思いましたが、自分の性格上、このテのものを保管しておくのは絶っ対に無理。根がコレクターじゃないんですわ。
ビックリマンシールやポケモンをコンプリートしようとして挫折した経験から言うと、何となくですが、縄師魂とそういったもののコンプリート欲は似ている気がします。
あと、RPG系のゲームによくある「やりこみ」とか。より密度が高く、洗練・完成された「箱庭」を自分の手で作るのが目的という意味で(あ、もちろん悪い意味で使ってる言葉じゃないですよ)。
(前回からの続きです)
ゲーセンデビューから、リアル男子お話プレイと続き、次に私に訪れたのはコスプレデビューでした。
リアル男子とお話プレイなんぞを嗜んでおりますと、そこは高校生、必然的に、
「さむーい」
「しょうがねぇな、じゃあこれ着てな」
学ランが肩にパサ……。
的な、甘酸っぱいフランボワーズタルト(咀嚼済)が鼻から垂れ流れてきそうなイベントが発生したりします。
あ、いや、本当は詳細は覚えていないです。多分、置いてあったのをコンビニのおでんとか食べながら勝手に肩にひっかけただけだと思います。
何しろ山間の町だったので、冬は冷え込んだんです。しかしとにかく、この「学ランを着る」という行為が、その後のコスプレに結びつくこととなりました。
小さい頃、私は男の子みたいな格好をしていました。スカートを穿きたいとか、髪を伸ばしたいとか言うと、「そんなの似合わないから」と両親に笑われ、止められました。
そのうち自分から男の子のように振る舞いたいのだと言うようになりましたが、それはそうしないと両親ががっかりするのがわかったからでした。
唯一髪を伸ばせたのは七五三のときだけで、スカートを初めて穿いたのは小学校の卒業式のときです。
両親はもしかしたら男の子がほしかったのかもしれないと今になって思うのですが、当時は自分の服装にまったく興味がなく、与えられるものをただ着ることに何の疑問も抱かなかったので、そういうものなのだと思っていました。
服や、それを着る自分自身への関心が、まったくと言っていいほどなかったのです。
この現実への関心の薄さは間違いなく、私がオタクの世界にあっさり、そしてどっぷりハマった原因のひとつになっていると思います。
←『キングダム 4(4)』
発行:集英社
著者:原 泰久
発行:2007.2.19
価格:¥530(税込み)
(C)SHUEISHA Inc. All rights reserved.
←『SIDOOH- 士道 10 (10)』
発行:集英社
著者:高橋ツトム
発行:2007.8.17
価格:¥680(税込み)
(C)SHUEISHA Inc. All rights reserved.
↑男装の女児といって思い浮かぶのは最近ではこの子。前々回も出てきましたが(笑)ヤングジャンプに連載中の『キングダム』という秦の始皇帝のマンガに出てくる河了貂という女の子(5歳)。最近は『士道 -SHIDOH』といい、いい年こいてヤングジャンプにうつつを抜かしています。携帯の待ち受け画面は渚カヲル君を経て、適当に格好いい感じのやつからこちらの高杉晋作になりました。1週間ぐらいしたらまたむなしくなってやめるかもしれません。
まぁとにかく、異装が自分の中のスタンダードとして根付いていたわけで、そんな私にとって女子の制服(中学時代は正統派!なセーラー服、高校時代はブレザー)は、はっきりと自覚はしませんでしたが、何だか窮屈で、違和感のあるものでした。
それが学ランを着た途端、ストンと落ちるべきところに落ちたというか、どこかに「帰ってきた」ような気がしたのです。
目が覚めるような、そのあまりの落ち着きっぷりに(矛盾のある表現ですが)その後どうしたかというと、思わず応援団に入ってしまいました。同じクラスに団長格の男の子がいたので、頼みやすかったんですね。
今思うときっと彼は「とにかく学ランが着たいから」と粘る私に迷惑していたと思います。
←『名門! 多古西応援団 (10) (文庫)』
発行:講談社
著者:原 泰久
発行:2000.7.12
価格:¥735(税込み)
Copyright(C)2002 Kodansha Ltd. All Rights Reserved.
↑古今東西いろんな応援団があるかと思いますが、自分内ベスト応援団は何といってもコレです。さすがにやおいはしませんでしたが……。『特攻の拓』のほうが有名になっちゃったけど、これがいちばん好きだったなぁ。
それにしても今も昔も、「これだ!」と見つけたときのスタートダッシュは自分のことながら目を見張るものがあります。
SMは、初めてSMの女王様と知り合った翌週から始めていました。
バンドも、やりたいと思い立った1カ月半後には小規模ながらもライブをしていました。
突っ走る先の対象がちょっと変わったものであることが多いので、たまに奇異の目で見られはしますが、我ながらすがすがしい人生です。
それにまたそういうときって、物事がトントン拍子に進んでしまうんですよね。自分で望んでやったことなのにも関わらず、風景があっという間に変化していくのに自分が驚いてしまう。
さて、その応援団ですが、私の入団後にあっさり解散してしまいました。
えっと、私のせいじゃないです。
元々ある組織だったわけではなく、野球部の大会出場に伴って急遽作られたものだったので、野球部が大会で負けた際に、事実上なくなってしまったのです。
今考えると、別に大して強くもない中途半端な進学校の野球部のためになぜ応援団が発足したのか不思議ですが、まぁ地方の学校なんてきっとそんなもんなんでしょう。
しかし、応援団がなくなったからといって、一度目覚めた異装の恍惚を引っ込ませるわけにはいきません。
当時私は、10代の頃7年間続けていた演劇の5年目を迎えていましたが、この頃になるともう男役をするわけにもいかず(オカマの役はやったけど)、羨望のまなざしで男子、ではなく、男子の学ランを見つめていました。
中身よりも外側が大事、という点では、衣装フェチや体の部位フェチの人に通じるものがあったと思います。
この経験を通して今になって思うのですが、衣装フェチ、特に自分が着ることを望むフェチって、必ずしもそこに性的な要素が含まれない場合が多いのではないかと。
それはあくまでも自分を今いる場所とは違うステップに押し上げてくれる装置であって、性的な何かが発動するのはまた次の段階でなのです。
事実、私は当時まったく性的なものをそこに感じてはいませんでした。ここに階段があることに気がつかず、一直線で考えてしまうと、衣装フェチの人の気持ちを汲み誤ることになってしまうと思うのですが、他のフェチの方、いかがですか? ご意見求む。
そんなときに降って沸いた話がコスプレだったのです。同じ演劇部に所属していたひとつ上の先輩がこれまたこれまた腐女子(格ゲー全般オタ)だったのですが、彼女に持ちかけられたのがきっかけでした。
当時はアーケードゲーム(わかりやすくいうとゲーセンのゲーム)が不良の手からオタクの手に完全にわたった頃で、私と彼女も昼ごはん代を費やして、『飢狼伝説』や『サムライスピリッツ』といった格闘ゲームにハマっていました。
放課後は花も恥らう女子高生が自転車を並べ走り、行き着く先は繁華街にあるゲーセン。そこで筐体に50円玉を積み重ねて(田舎は100円ではなく50円で1ゲームできました)、小学生や中学生や同じ高校だけど顔だけしか知らない同級生や、大きいお友達や大きいお姉さんたちと、日ごと夜ごとに対戦を繰り広げていました。
私たちはあまりにもハマりすぎ、とうとうコスプレという人外魔境の地に足を踏み入れることになったのです。
早川舞 世界、特にヨーロッパのフェティッシュ・カルチャー関係者との交流も深い、元SM女王様フリーライター。だが取材&執筆はエロはもとよりサブカルからお笑い、健康関係まで幅広く?こなす。SMの女王様で構成されたフェミ系女権ラウドロックバンド「SEXLESS」ではボーカルとパフォーマンスを担当。
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07.11.11更新 |
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