THE ABLIFE July 2011
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
私がここでもう一度
端的に言わせてもらいたいのは、
女性に虐められたいという欲望を持っている男でないと、
同好の士つまり緊縛マニアの心を納得させる
「縄」の表現はできないということである。
端的に言わせてもらいたいのは、
女性に虐められたいという欲望を持っている男でないと、
同好の士つまり緊縛マニアの心を納得させる
「縄」の表現はできないということである。
広い柔道場の片側の隅に私一人が立ち、合図とともに走り出して、反対側の壁際に到達する。
到達すれば、私の「勝ち」である。
私の前に立ちはだかり、それをさえぎろうとする三十人ほどの若い女性たち。
彼女たちも私同様白い柔道衣を着て、横一列に並んでいる。
どんなに一生けんめい走っても、私は彼女たちの肉の砦を突破できず、私はつかまり、足をとられ、畳の上に引き摺り倒される。
その私の体の上に、折り重なって若い女性たちの肉体がのしかかる。
彼女たちは手加減しない。全身の力を使って、私の体を圧しつぶす。
私はすこし抵抗し、手足をバタバタさせる。私が抵抗するのは、彼女たちの肉体の圧力を、さらに誘発するためであったろう。
私の体を上から圧迫することによって、彼女たちもまた快楽を感じているにちがいないと、私はくるしい呼吸をしながら意識している。
さんざんに揉み合い、疲れはてたのちに、私はようやく彼女たちの集中攻撃から脱出する。
私はふらふらになり、よろめきながら、広い柔道場の反対側の壁にたどりつく。そしてすぐに眠りに落ちる。
この私の妄想ゲームは、夜、就寝時に、私が夜具をかぶった状態から始まる。
昼間、いやなことがあっても、布団の中で眼をつぶり、白い柔道衣を着た女性たちに襲いかかられる妄想を始めると、まもなく眠りの世界へ入ることができた。
この妄想シーンを思いついたのは、たしか十五、六歳のころだったように思うが、やがて二十歳をこえ、中年に至るまで、まったく同じ内容でつづいていた。
言い方を変えれば、私は四十歳をすぎても、柔道衣姿の女性の肉体の圧迫で、気持ちよく眠りにつくことができた(おかげで私は、生涯、睡眠薬のようなクスリをのんだことがない)。
ただし、一言おことわりしておく。
私の快楽睡眠のお相手をしてくれる柔道衣の女性たちは、あくまでも妄想の中の存在である。
現実に国際競技に出場するような女子選手に対しては、「敬遠」の二字あるのみである。
そして私には、この甘美な妄想の中で、オナニーをしたという記憶がない。
この観念的な妄想と、現実のオナニー行為とは、私にはべつのものであった。
ウソだと思われるだろう(思われて当然である)が、ウソではない。
いまさらウソを言ってもはじまらない。
前回にも書いたが、このあと私が「オナニー地獄」におちいったのは、柔道場妄想とは無関係の、まったくべつのシチュエーションによる(それを告白するのはとっても恥ずかしいことだが、書かずばなるまい)。
それはともかく、「濡木痴夢男の緊縛術の秘密」というものが、もしあるとすれば、ずいぶん長いあいだ、実は緊縛行為とは一見無関係の、こういうM的な妄想に浸って、睡眠の快楽を得てきた事実であろう。
つまり何十年ものあいだサド小説を書き(サド小説とは限らないのだが)撮影の現場で女性モデルを五千数百人縛ってきた濡木痴夢男は、他人の見ていないところでは、女性に虐げられることを夢見て安眠する性癖の持ち主だったという実態である。
しかし、じつはいまさら「秘密」というほどのことはない。
端的に言ってしまえば、緊縛愛好家というのは、私の知るかぎり、いわゆるMの性癖を多く持つ。
こういう仕事を長い年月つづけてきたので、私にはたくさんのホンモノの愛好家とのつきあいがある。それらの人たちとは、かなり親密な仲になっている。
それらのホンモノの愛好家諸氏のほとんどは、程のよいS性とM性の持ち主である。
私には同時に、ニセモノのSMマニアとのつきあいもある。ニセモノと言ってしまっては表現がきついけど、この場合、ゆるしていただきたい。
ニセモノというのは、「SM」で金儲けをしようとしている、あるいはしてきた人たちのことである。こういう人は「SM」が儲からないと知ると、すぐにSMから離れる。
ホンモノのマニアは、損得の勘定なんかしない。好きなものには、わきめもふらずのめりこんでいく。一生のめりこみつづける。
だまされることを知りつつ、ホンモノのマニアは、ニセモノの作るSM商品を、ついお金を出して買ってしまったりする。
ホンモノの緊縛愛好家は、ほとんどがその心の中にSとMの両面を持つ、と私は書いた。ときにはMのほうが強烈な場合もある。
その具体例をここに紹介したいのだが、書かれた方々にはあまりうれしくないことだと思うので、やめておく。だれとはわからなくても、他人には隠しておきたい自分の秘密をのぞかれ、書かれるのは、いやなことである。
私がここでもう一度端的に言わせてもらいたいのは、女性に虐められたいという欲望を持っている男でないと、同好の士つまり緊縛マニアの心を納得させる「縄」の表現はできないということである。
子どものころ、私は「縄」という文字を見ただけで興奮したと書いたが、それは、女の子を縛りたいという欲望よりも、縛られたいという衝動のほうがつよかったのではないだろうか。
しかし私の場合、精液を体外に放出したい、つまりオナニーしたい、という衝動にかられるときには、M的な欲望も妄想もおきない。
オナニーするときに抱く妄想の対象は、やはり「縛られた美女」でなければならない。その美女は、架空のものでなければならない。
柔道衣の若い女体に、どんなに官能的に嗜虐的にもてあそばれても、私は精神面の快楽を味わうだけである。
勃起はしない。勃起しないから、射精欲もおきない。
欲情し、射精欲がおき、勃起するときは、やはり「後ろ手に縛られた女体」が、私の頭脳の中を占領している状態でなければならない。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
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