WEB SNIPER Cinema Review!!
故・若松孝二の弟子である井上淳一、初監督作品
太平洋戦争末期。時代に絶望して自堕落になった作家の野村(永瀬正敏)、かつて娼婦だった飲み屋の女将(江口のりこ)、そして戦場でのトラウマから性行為ができなくなった男(村上淳)の三人が、戦争に翻弄されながらぞれぞれの運命を交錯させていく――。テアトル新宿他、全国順次ロードーショー
本作はれっきとした戦争映画だが、視線は"上部構造"ではなく"下部構造"に向けられており、戦時下を生きる市井の人々の姿が描かれる。戦争という特殊な状況でも、人々の"日常生活"は続くのであり、その中には、戦争だからこそ発生してしまった作家と女のような関係や、連続強姦殺人犯といったケースも含まれる。
気をつけたいのは、坂口安吾の原作小説には後者の"戦争により狂ってしまった片腕の男"はでてこないことだ。作中に大平として登場する強姦殺人犯は、映画ならではの存在であり、これは実際に起こった「小平事件」(1945-1946年)をモデルにしている。その内容は、小平義雄(当時41歳)が「お米が安く手に入るよ」などと言葉巧みに若い女性を山林に誘い出し、強姦した上で殺害したというもので、小平は逮捕された後、死刑が執行されている。なお、一連の顛末は本作スタッフの師匠筋である若松孝二監督が映画化しており、プロットとして引き継がれたことが窺える。
映画では原作にあった「明るいニヒリズム」が影を潜め、大平に代表されるように戦争の悲壮感が強調されている。興味深いのは、作中で印象に残るシーンの多くがオリジナル要素という点だ。正直なところ、原作のメインである作家と女の怠惰な生活(性交)は、大平の強姦描写が挟まれるせいで、いささか退屈なものになっている。"刺激"を重視した作品ではないにせよ、やはり物語が動き出すと目を引くもので、そのため終盤30分の展開(ほぼオリジナル)が存在感を発揮している。具体的には、玉音放送が流れた日に、大平は強姦しようとした女子学生に反撃され失敗する。作家と女は戦争が終結したことにより同棲を解消し、それぞれの生活に戻る。その後、作家はポン中で倒れ、女は外国人相手の売春婦となっていたところで大平との邂逅を果たす。これらのシーンはいずれも、停滞していた前半のタメがある分驚きがある。
そして、終わりには捕らえられた大平の独白が行なわれる。大平は「強姦殺人の方法は全て戦場で教わったこと」だと告白し、彼のような存在も"戦争の被害者"であることを突きつける。作品の根幹的なテーマを、登場人物に滔々と語らせるのは説明過剰という印象を拭えないが、それだけ明確に伝えたいメッセージなのだろう。
ところで、作品内で目立っていたセリフ――「男はみんな殺されて女は間の子を孕まされて日本なんて消えて間の子の国が生まれる」や「戦争を続けろ。止めるなら東京燃える前にやめろ」などはいずれも原作には描かれていない。「義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」という、代表作『堕落論』の一節も登場するのだが、やはり同じ坂口作品だけあって、完全に一致したテーマとなっている。
『戦争と一人の女』を映画化するにあたって、原作小説に様々なアレンジが加えられている。それにより戦争批判の色合いは強まっているのだが、市井の人々に注目するというアプローチ方法に変化はない。ちなみに洋パンとなった女の存在は、上記の「間の子」発言を踏まえたものだが、彼女は大平に襲われることで、その縛りから解放される。不感症と強姦魔の組み合わせは、あたかもマイナス同士を掛け合わせてプラスに転じさせたかのように、新たな展開を生み出していた。
文=高橋史彦
坂口安吾『戦争と一人の女』『続戦争と一人の女』を映画化した官能文芸ドラマ
『戦争と一人の女』
テアトル新宿他、全国順次ロードーショー
関連リンク
映画『戦争と一人の女』公式サイト
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