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『終わらない青』の緒方貴臣監督が、再び叩きつける衝撃作!!
食品工場で働く倫太郎(石崎チャベ太郎)は、人間の女性そっくりの人形・イブキ(桜木凛)と静かに暮らしている。ある日、イブキと瓜二つのキャバクラ嬢・倫子(桜木凛/二役)と出逢った倫太郎は彼女に心惹かれていくが......。自主制作の『終わらない青』が話題となった緒方貴臣監督の長編第2作。2013年2月23日より、オーディトリウム渋谷ほか全国順次公開
映画には単純に面白い作品とそうでないものがある。あるいは、受動的/能動的な作品と言い換えても良い。例えば、ハリウッド大作などは漫然と見ても楽しめるが、後者の場合はあれこれ考えて観る必要がある。脳を回転させ、五感を働かせて鑑賞すると、より深く楽しめる映画は多い。緒方貴臣監督の『体温』は、そうした思考を求める作品だ。上映時間は72分と短く、ストーリーも素直に受け止めればシンプル。しかし、鑑賞する際の姿勢によって感想は大きく異なるだろう。
本作は人形を愛する男の物語である。主人公の倫太郎にとって人形は特別な存在だ。彼は等身大のラブドールにイブキと名付け、恋人のように扱っている。毎日語りかけるし、丁寧に髪を梳いて、着替えをこなす。そして、車椅子に乗せて散歩に赴く。出先では、一緒にボーリングをしたり、アイスクリームを食べたりする。記念日には豪華なお祝いパーティーを開催し、さらにはセックスもする。ちなみに、この時点ではイブキ役をAV女優の桜木凛が演じている。彼女の見開いた目は決して瞬きをせず、感情の光も宿していない。人間が人形役に徹することで、不気味な緊張感が生まれている。
倫太郎は自分が傷つくことを恐れ、他人との接触を最小限に抑えてきたようだ。それ故に、人形と二人っきりの閉じた世界を生きている。前半はじっくりと二人だけの生活シーンが描かれる。物語は、そんな彼が、街角でイブキそっくりのキャバ嬢・倫子(源氏名はアスカ)と出会うことにより動きだす。倫子役を演じるのは同じく桜木凛。イブキとの一人二役をこなしている。キャバ嬢の倫子は、必然的に倫太郎に話しかけてくる。いつもは自分が語るだけだった彼は、立場が逆転したことに驚いてか当初は彼女の質問にうまく応じることができない。倫子がますます気になる存在となり、足繁く店に通いだす。次第に、倫子のほうもまたキャバクラで演じる別の自分に疲れ、純粋な倫太郎に心を許していく。この頃になると、イブキ役はいつしか本物の人形(オリエント工業の高級ラブドール・みづきちゃん)に切り替わっている。
ある時、倫子が失恋をしたことにより、倫太郎の自宅で一晩共にする機会が生じる。そして、生身の男女による情事が行なわれ、二人はたっぷりと体液を交換する。なお、このセックスシーンはタイトルの『体温』に相応しく生々しい描写となっている。
しかし、二人結ばれてめでたしめでたしと思いきや、事態は急転しクライマックスを迎える。倫子が部屋の奥にいたイブキを見つけてしまうのだ。案の定、気味悪がり逃げ出す結果に。携帯電話も着信拒否され、倫太郎は絶望する。倫子は去ってしまい、生身の女性を知った今となっては、イブキはかつて愛したモノとは違う。もう昔の関係には戻らない。彼はイブキの顔を取り外して激しく犯す。そして、首から下となった身体を連れて線路前に足を運ぶ。もしや、ここで決別するつもりなのか。手に汗握る瞬間だ。走り去る電車の前で大きく叫ぶ倫太郎。人形の行方は――。
以上が大体のあらすじとなる。ここからは本作を読み解くヒントとして、監督を務めた緒方貴臣氏と、後半のイブキ役(ラブドールのみづきちゃん)を提供したオリエント工業の林拓郎氏との対談を参照していこう。ネタバレも含まれるが、"考えながら観る作品"の一つとして楽しみ方の参考にしてほしい。
「自己愛の究極の形。すなわち、傷つきたくないから女性の代用としてラブドールを愛する男を描こうと思った」。緒方監督は制作した理由をこう語る。当初はラブドール役を最後まで女優で撮るつもりだったとも明かす。なぜなら、「倫太郎にとってイブキは人間にしか見えていない」から。ところが、「ラストにかけては彼の目にも"人形"に映っている」――そう思った瞬間に、オリエント工業への撮影協力を依頼したという。
林氏は本作を「人形をどのように捉えているか」について、受けてに解釈を委ねている作品だと感じていた。ラブドールには「女性の代替物」と「人形愛の対象」という二つの方向性があり、それらを軸に発展してきたと語る。ただし、突き詰めていくと両者は相容れない道だと考えていた。女性の代わりをメインに据えて突き詰めると、人形としての良さが失くなってしまう。現在のラブドールは二つの方向性の間で揺れている状態にある。今後の行方について、二人共に大きな関心を寄せていた。ちなみに、人間と人形の違いが俎上に上がった時は、緒方監督が「一番の違いは老いがないこと」と述べ、林氏は「毎日(人形と)向き合っているけれど、人間と人形の違いは考えれば考える程わからない」としていた。
ところで、一般的なラブドールの認識はどのようなものだろうか。緒方監督は「主に男性向けでダッチワイフの進化形。安っぽいイメージが強いが、みづきちゃんはとても精巧。価格は75万円する。性的ではない使い方をしているユーザーも多い」と述べ、世間の認識とギャップがあることを指摘していた。林氏は「ユーザーの意見に応じていくうちに使用方法が多様化した」と語り、「会社のポリシーとして単なる性処理の道具じゃない人形を作っていきたい」と続けた。さらに、「昨年みうらじゅんさんがラブドールを購入された。どうも触れ難い存在と思っているようだ」(林氏)に対し、「男性は女性に理想像がある。それをラブドールに求める人もいればアニメのキャラクターに求める人もいる。神聖化というか性的な目で見られないケースはあるかもしれない」(緒方監督)とするやりとりがあった。
終盤の話題は日本と海外の差異について。実は、『体温』が生まれた背景には、アメリカ映画『ラースとその彼女』があるという。同じような設定の物語で、主人公はリアルドール(アメリカ製ラブドールのブランド)を本物の人間のように愛している。ただし、最終的に人間の女性を好きになってうまくいき、代わりにリアルドールは死んでしまう(声が聞こえなくなる)。このラストを含めた展開に諸々疑問があり『体温』が撮られたそうだ。その上で、緒方監督は日本とアメリカの宗教の違いについて語っていた。「キリスト教では人間以外のモノに魂が宿ることはない。でも、日本ではモノに魂が宿ることは昔から考えられてきた。日本には人形愛的なものが強いのかもしれない」。これを受けて、林氏が「海外からの取材時には決まって『人形に人格を見出すのは変わっている。何故なのか?』と聞かれる。言われて初めて他国も一緒じゃないのかと気づいた」と、体験エピソードを披露していた。
ここから個人的見解をいくつか。まず、林氏が言うように本作は"受けてに解釈を委ねる"映画だった。加えて、面白ポイントを探ったり、雰囲気を感じとるなり、何かしら能動的でいないとすぐ終わってしまう。逆に思考することができれば、作品を題材に深いテーマへと繋がることができる。例えば、主人公の倫太郎ははっきりいって気持ち悪い。ところが、なぜそう思ったのかを自問してみると、それは自分と向き合うことになる。あるいは「人形とは何か」について思いに耽ることもアリだろう。ちなみにイブキ役を中盤まで女優が演じ、途中で人形に交代したことは、こうした観点からしても優れた演出だった。前情報がない状態で上映に臨めば、身動き一つしないイブキに「病気の妹?妄想?幽霊?」など、序盤は色々な想像ができただろう。
「女性の代替と人形愛」――二つの方向性の話は興味深かった。近年顕著に感じるのは二次元美少女のフィギュアの隆盛だ。これは「人形愛」に分類されると思うが、アニメや漫画など周囲の文脈によって生まれている価値がある。美少女フィギュアにはかつてない射程距離があり、国境や宗教観もカバーしうる。そして、代替方向では人造人間が急速浮上中だ。さらに踏み込んだ人間とロボットの融合話も楽しい。人形に対する想像力がどんどん膨らんでいく中で、ラブドールは確かに曖昧な状態を漂っている。今後の展開として"枝分かれ"したらどうなるのか。美少女フィギュアと融合し、バイオロイドとも合体する。こうなった時、ラブドールの概念は......!? やっぱり考えることは面白い。
文=高橋史彦
自分だけの世界で生きる男と自分を見失いそうなキャパ嬢。
二人の出会いに、互いの孤独が埋まる契機はあるのだろうか――
『体温』
2013年2月23日より、オーディトリウム渋谷ほか全国順次公開
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映画『体温』公式サイト
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