WEB SNIPER Cinema Review!!
台頭するエレクトロ・ミュージック・シーンを
彗星のごとく駆け抜けたDJの夢と挫折
1990年代パリ。大学生のポール(フェリックス・ド・ジヴリ)は親友と組んでDJデュオ「Cheers」を結成するや、たちまち熱いクラブシーンで人気となって成功の階段を駆け上がる。突然の名声、そして仲間たちとの「甘い生活」に惑溺していくポールだったが、そんな日々は少しずつ彼の人生を狂わせ始めて......。フランスの新鋭女性監督ミア・ハンセン=ラブが描く、切なくほろ苦い青春音楽映画。彗星のごとく駆け抜けたDJの夢と挫折
全国順次ロードショー
10/24より渋谷アップリンクにて上映決定!
客観的に書けない、興奮して。ついに思春期の音楽が映画に取り込まれてしまった。それは歴史にされてしまったということでもある。仮装パーテイーでダフトパンクのDA FUNKがかかる、そう俺にとってダフトパンクはワン・モア・タイムじゃない、DA FUNKだし、もっといえばRouleだし、トーマス・バンガルターだし、いや、この映画で10数年越しにその読み方はトマ・バンガルターだったのだと知った(トーマスは英語読みだった)。それがかかったときに主人公と友達が言う「悔しいけれどかっこいい」そう。その通り。そこに居合わせた彼女の一人が言う「私はもっとテクノな感じのほうがいいわ」、まったく同じことを初めて聴いたとき思った。やがてダフトパンクは有名になっていく、その横でフレンチ・ハウスシーンと共に歩いていた主人公DJポール(演じるのはフェリックス・ド・ジヴリ)こそが、本作監督ミア・ハンセン=ラヴの兄スヴェンであり、これはその自伝にもとづいた90年代から2000年代にかけて足掛け20年に及ぶフランス・クラブシーンの映画なのだ。同時に本作は、フィリップ・ガレル、オリヴィエ・アサイヤスらに連なる、最新型のフランス青春映画になっている。
映画は暗い川辺を歩くシーンから始まる、だんだん聴こえてくる地響き。レイヴパーティーだ! 巨大な音が映画に近づいてくる、この興奮はジョニー・キャッシュの生涯を描いた映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(ジェームズ・マンゴールド監督)のオープニングを連想させる。しかも今回聴こえてくるのは囚人たちが足を踏みならす音ではなく、Jaydee「Plastic Dreams」のベース音なのだ。映画が始まるのは1992年。セカンドサマーオブラブの時代、「Plastic Dreams」が新譜だった年、主人公は森の中へと移動していき、木立の間に幻覚の鳥を見る。そして朝方、ふたたび会場に戻り閑散としたフロアでDJに最後の曲を教えてもらう。そこでかかるSueno Latinoの金属的で密林的な音のループとともに、タイトルクレジットがかぶさってくる、これが興奮せずにいられようか!
主人公は学生の身で実家に住みながら海賊ラジオでパーティー情報を集めては、「手紙を出しに行く」と嘘をついて家を抜け出し、パーティーに向かっている。やがて仲間に出会い、一人暮らしになり、友達とはじめた「ガラージ・ハウス」(80年代NYの伝説的なクラブ、パラダイス・ガラージでかかっていた音楽)をテーマにしたパーティーは、フレンチ・ハウスのムーブメントにのってみるみる大きくなっていく。一方で、付き合っていたアメリカ人の人妻(グレタ・ガーウィグ)が帰国してしまったり、と思ったらショートカットのかわいい娘(ポーリーヌ・エチエンヌ)と付き合ったり、さらにはオリエンタルな雰囲気の恋人(ゴルシフテ・ファラハニ)ができたりと、さすがフランス人。20年にわたり切れ目のない恋愛を重ねていく。
この映画、平日にいろいろストーリーがあるのだが、そのあとに必ず週末のパーティー・シーンが訪れて、「うおー!ジョイ・ベルトラムかかってる!」とか興奮して忘れてしまう。ともすれば観終わって「なんかよく思い出せないけど、ずっとテクノとかハウスがかかって踊ってたな」みたいな感想しか残らないのだが、それこそ「一晩中最高だったけど、ズンズンいってた以外、なにも思い出せないな」という実際のパーティー明け気分と一緒。平日と週末、主人公と恋人、この組み合わせが打ち寄せる波のように繰り返されながら変化していく、映画の構造自体がクラブミュージックのようになっているのだ。
監督は『あの夏の子供たち』『グッバイ・ファーストラブ』のミア・ハンセン=ラヴ。彼女はオリヴィエ・アサイヤスの『5月の後』を観て、自分たちの世代の青春、フレンチ・ハウスシーンの映画をつくろうと思ったらしい。そんな本作だけに、ミキサーに貼ってあるのがトランスマットやURのステッカー(ついでにラフ・トレードも)だったり、DJの使うヘッドホンがSONY MDR-7506からSennheiser HD25へと移り変わっていったり、瑣末な部分に監督のリアルさ、そしてフランスと東京を飛び越えた身近さを感じて興奮する。
同時代のテクノシーンを描いた映画としては、アメリカなら『groove グルーヴ』(グレッグ・ハリソン監督)、イギリスなら『ヒューマン・トラフィック』(ジャスティン・ケリガン監督)、ドイツなら『ベルリンDJ』(ハンネス・シュテーア監督)などが日本でも公開されてきた。『EDEN/エデン』も含めてこれらパーティー映画の「青春」に共通する先行世代との差は政治性のなさで、60年代を描いたフィリップ・ガレルの『恋人たちの失われた革命』や、70年代を描いたオリヴィエ・アサイヤスの『5月の後』では、キンクスやタンジェリン・ドリームがかかり、登場人物たちはデモに出かけ、国の行方について激論を交わしていた。一方、本作で登場人物たちが議論するのは「バーホーベン監督の『ショーガール』は傑作かゴミか」くらい、人々はひたすらに踊っているだけだ。その代わりに彼らは、ある日突然、自分がスモークと音楽で満たされた竜宮城にいたことに気づくことになる。パーティー映画の登場人物たちは、政治ではなく時間に縛られているのである。。
『EDEN/エデン』で最初に「時間が経つ」のは2001年ごろ、NYのMOMA別館に主人公たちが招聘される、キャリアとしては絶頂の時期だ。このとき主人公は一緒にいた恋人と喧嘩になり別行動になるや、さっそくNYに移住した元カノのところに会いに行く。たぶん元カノとのチョメチョメ「ワン・モア・タイム」を狙っているであろう彼は、しかし扉を開けると元カノの夫に出迎えられる。気詰まりなひと時を過ごし、やがて再開した元カノのお腹は、妊娠して大きくなっていた。
このとき彼女が「久しぶり」と主人公の肩を叩く、その、同士!って感じの叩き方がいい。昔恋人だった、2人の時間を過ごした、そして今やそのすべては思い出になった、その積み重なった機微がこの一瞬の挨拶で表現される。主人公はそれをわかっているのか、わかっていないのか、煮え切らないようなボンクラ顔で彼女をパーティーに誘う。この映画では主人公がいつまでたっても時間に気づかず、その経過は周囲の人間で表現される。そのまま20年の月日が経ち、彼の人生はゆるやかに下降していくのだ。
この主人公と対をなすのが他ならぬダフトパンクで、彼らは「ダサすぎてクラブに入れてもらえない」2人組からやがて世界的スターへとのしあがり、しかしスターになってからも素顔だと「ダサすぎてクラブに入れてもらえない」。つまり彼らもまたボンクラであり、しかしボンクラのまま生き残るのである。ここには、監督による「クラブは本来『ドレスダウン』していく場所なのだ、ダサい奴こそがクラブの主人公なのだ」という気分への理解が隠されている。そのダサさ賛美は、ガキの中に唯一混ざってビジネスをしている大人、『24アワー・パーティ・ピープル』(マイケル・ウィンターボトム監督)でいえばスティーヴ・クーガン演じるクラブのオーナー、トニー・ウィルソンの役柄を、本作ではフランス映画界が誇る癒し系ハゲ役者、ヴァンサン・マケニュー(『女っ気なし』『やさしい人』)が演じていることからもわかる(彼のコケ芸はすばらしい)。いっぽう主人公がビッチと一緒に行く「セレブでおしゃれな人たちの社交場」としてのクラブは明らかに否定的に描かれていて(このクラブは日本にも支店があったのだがドリンクは高いし実際まったくいけ好かない場所だったと思ってググったら本作の公開記念イベ#&$*@)、監督は随所でボンクラこそがクラブの王道であることを謳っているのである。
しかしだからこそ、主人公がボンクラゆえに没落していく後半はつらい。彼は別の時代、別の元カノに会いに行っても、また夫と会う羽目になる(まあ年齢を考えれば当然だ)。忙しそうに仕事の話をする夫を眺めながら、彼らの子供たちに囲まれる主人公。相変わらずボンヤリしたその顔を眺めていると、痛々しさを超えて恐怖すら感じてくる。
では、これは挫折の映画なのだろうか? それを解くカギは、最後に出てくる「ザ・リズム」という詩にあって、そこでは映画のループ構造が、生命の諸行無常そのものであることが謳われているのだ。とすれば主人公がついに「音楽を止めてくれ!」と叫ぶその瞬間も、また大きなループの一部にすぎないではないか。平日と週末、恋人と次の恋人、小さな円環が大きな円環へとつながり、それはこの映画の公開をきっかけに、ミア・ハンセン=ラヴの兄がまたDJ活動を再開しているという、映画の外にまで繋がっている。本作に教訓はなく、繰り返しと変化をともなう、ひとつの生命の運動が描かれているのである。
最後に、この映画のパーティー・シーンについて語りたい。家で聴く音楽とパーティーで聴く音楽の一番の違いはなんだろうか。それは「反響」で、フロアに近づいて行く時はキックとベース、低音のこもった音漏れとして現われる。やがて扉なりトンネルなりを抜けると、それらは輪郭をもち、巨大な姿をあらわにする! 人より大きい音楽が、空間に満ちている反響。逆に音楽から遠ざかっているときの、地響きとしての気配。反響こそが鳥肌の立つ「パーティーの秘密」で、だから本作は空間のなか、映画館でぜひ観て欲しい。
文=ターHELL穴トミヤ
音楽さえあれば、僕らの楽園は永遠に続くと思っていた――
『EDEN/エデン』
全国順次ロードショー
10/24より渋谷アップリンクにて上映決定!
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映画『EDEN/エデン』公式サイト
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