WEB SNIPER Cinema Review!!
本作で長編デビューを果たす朝倉加葉子監督・脚本によるスラッシャームービー
日本人留学生たちと共にロサンゼルス郊外でのキャンプに参加することになった、韓国人留学生のアジュン(キム・コッビ)。楽しいはずのキャンプだったが、真面目な性格の彼女は酒やドラッグ、セックスに溺れる日本人留学生たちに強い不快感を覚え始めていた。そんな中、殺人と強盗を生業をするホワイト・トラッシュの兄弟がアジュンたちの過ごすコテージに狙いを定めて......。ポレポレ東中野にて限定公開中!
明治維新以降、日本人には西洋コンプレックスがある。知識も文化も最先端は西洋からやってくる。西洋には今や、白人黒人黄色人いろいろな人間が住んでいるが、明治時代から続く伝統的な西洋コンプレックスの中心にいるのは今でも白人だ。産業革命を輸入した日本人が劣等感を払拭するために、「それでも日本は一等国である」という自己意識を確立しようと思う。そのとき、そこに「西洋の真似をして西洋人に近づくのが一番である」という一派と、「日本はすでに一等国であり、古来からの伝統にのっとった日本文化を極めるべきである」という一派が出現する。
先の「吸収」派はたとえばダンスホール「鹿鳴館」で日夜洋風の舞踏に明け暮れる。残りの一派はそれを「チャラチャラしやがってクソどもが!」とののしる、これを「しやがって」派と呼ぼう。二派が島国の中でせめぎあう。爾来この構図は、現在に至るまで変わらない。変わらないが、その内実はというと、この様変わりはめまぐるしい。今や洋服でバイオリンを弾き西洋を気取るのは間抜けだけだ。代わりにある者はバンクシーのような政治的なグラフィティが日本にないのは屈辱的であるとして、街にせっせとスプレーを吹きかける。ある者はマラソンを楽しまないのは先進国の人間として致命的と考えて、マラソンの普及に邁進する。中国にパンクバンドができた!と聞けば「おー、ついに中国も!(先進国になってきたか)」と思うし、中国で同人誌即売会が流行っているらしいとなれば「えっそこまで!?(先進国になってたのかよ)」と思うはず。今やその国の発展程度はハイカルチャーではなくストリートカルチャーではかられるのである。しかるに映画ではどうか、カンヌに入選した?しかり。ハリウッドでリメイク決定?しかり。しかし「キューバに初のゾンビ映画が誕生した(『ゾンビ革命 -フアン・オブ・ザ・デッド-』)!」、人の懐に飛び込んで、その芯から発展を知らしむのは、たとえばそんなニュースではないだろうか。
そして本作、日本人女性監督、朝倉加葉子による全編L.A.撮影のスラッシャームービーである。ホワイト・トラッシュの殺人鬼に襲われるのは日本人4人と韓国人の混合ユニット。日本人留学生の1人を『ムカデ人間』の北村昭博が、主人公となる韓国人留学生を『息もできない』のキム・コッビが演じている。学期終わりの、山への楽しい旅行。日本人留学生の友達に誘われたアジュンを待っていたのは、全員英語が喋れず、日本語だけで盛り上がっている恐怖のガラパゴスカーだった。しかも、道中の買い物の支払いまで、なぜかアジュンがすることになってしまう。
観客は主人公のアジュンとともに、たっぷりと「感じの悪さ」を味わっていく。
観客が感情移入するのは、唯一の真っ当な人間、主人公のアジュンだろう。そのとき、残りの日本人4人が見事にスラッシャームービーの被害者黄金律、ジョッグス(日本風に言えばリアルが充実ボーイ+いじめっ子要素だろうか)とその彼女、およびそこに引っ張られる人間になっているのがおもしろい。このチームが『キャビン』風にいえば、殺人鬼との接触、警告の無視という段階を経て、スラッシャー約束の地、人里離れた山小屋へと到着する。本作はスラッシャームービーとしてのマナーを忠実に守ってくのである。
惨殺は日本人留学生への嫌悪感が最高潮に達したころに始まる。とくにいいのはビッチの惨殺だ。まず女の両腕を縛り付けた上、首も吊るす。それゆえ、縛った左腕を切断しても、体が傾かないぜ! そして胴への一撃! 自分の体重でちぎれていく体、その絶叫は誰の耳にも届かねえ! 自分の体重で千切れていく絶望の雄叫びに乾杯だ!
殺されていく日本人のみじめさは、彼らの貧弱すぎる英語(それはほとんど単語でしかない)でさらに際立っていく。『ロスト・イン・トランスレーション』でLとRの違いを発音できない日本人が笑い者にされていた、そこに腹を立てた御仁もこの片言の「ヘルプ......」には痛快さを感じるだろう。彼らは2つの点で観客に嫌われる。第1にアジュンに気を使わなかった。第2に留学にきたのに勉強もせず遊んでばかりいる。アメリカ留学をしたあげく、勉強しないでチャラチャラしているような奴らは殺されて当然だ。
しかし、本当に当然だろうか? アメリカ留学するならば、勉強せねばならない。このある種の潔癖さの裏には、その実「アメリカに行きやがって(あこがれやがって)」という「しやがって」派の気分が隠れているのではないか!? でなければこの心の底からの歓びを説明しきれないよ!? アメリカに価値を見いだしやがっての「しやがって」派的気分、むしろ勉強云々はそこから目をそらせるための、かりそめの理由付けでしかないのである! アメリカに行くような奴は全員死ね! だってこれが、英語ペラペラのMBA取りまくりでジェントルマンな日本人でも、やっぱりホワイト・トラッシュに虐殺されたらたのしくて最高だもの! 本作はスラッシュムービーという「吸収」的な愉しみを持つ入れ物でありながら、その中身は「しやがって」の溜飲を下げる物語で満たされている。アメリカを舞台としたことで、この独特のねじれを獲得しているのである。
スラッシュマナーが丁寧にこなされていく中、やがて気になってくるのはどうやってそこから逸脱するのかだろう。すべからく、真の意味で文化の創造者となるのは「吸収」派でもなく、「しやがって」派でもなく、鹿鳴館にハマっちゃった奴らの次の一手、「俺の鹿鳴館」派であるはずだ。であるからには、かならずオリジナル展開が来ないはずはない。ここで本作、まさかのジャパニーズ・エイティーズ展開がやってくるのである。映画は加速度的にねじれを増し、人種意識、さらに性差までもが内包され、「吸収」「しやがって」の彼岸へと流れ出していく。ここではスラッシュムービーのホワイト・トラッシュでさえOTAKUでHENTAI展開になったあげく、性差もこえ、いきなりFUCKすらされてしまうのである。アレクセイ・ゲルマン監督の『フルスタリョフ、車を!』の突然のホモイマラチオシーンのようなショック、それがジャパニーズ・エイティーズ・ギミックで人種すらこえて再現されていくのである。
オリヴィエ・アサイヤス『イルマヴェップ』では香港映画という「俺の鹿鳴館」へのフランスからのさらなる求愛、いわば「俺の『俺の鹿鳴館』」とでもいうべき情熱が映画を食い破って噴出してきた。本作では、白人を超えたスーパー白人だーってなんだそりゃ! これぞ21世紀だよね感へと映画は突入していく、その先にいったい何が待っているのか! そんなのクソ素晴らしい世界に決まってるだろ! オレ様の斧を喰らえ! この! この!(続きは劇場で)。
文=ターHELL穴トミヤ
キム・コッビ(『息もできない』)主演×北村昭博(『ムカデ人間』)出演
新鋭女性監督が挑んだ、本格スラッシャー・ホラー
『クソすばらしいこの世界』
ポレポレ東中野にて限定公開中!
関連リンク
映画『クソすばらしいこの世界』公式サイト
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