WEB SNIPER Cinema Review!!
ポーランドの新鋭アンジェイ・ヤキモフスキ監督作品
ポルトガルの古都リスボンにある視覚障害者のための診療所。そこに赴任してきたインストラクターの男・イアン(エドワード・ホッグ)は、「反響定位」という方法を使って白杖を使わずに外へ出て歩くことができる。盲目の子供たちに自分と同じ技術を伝えて外に出る素晴らしさを説くイアン。彼の隣室で引きこもっていた女性エヴァは、彼に興味を抱いて閉じていた心を少しずつ開いていく――全国順次公開中
主人公はポルトガルの盲学校に赴任してくる盲目の若い教師(エドワード・ホッグ)。自信満々に門から入ってくる彼は、舌で音を発し、反響音で空間を把握する。さらには、環境音だけで周囲を把握して、杖なしで街を歩き回るという型破りの特技を持っている。彼は健常者と全く同じようにふるまうことで、自分が盲目だという運命に挑戦しているように見える。だからこそ盲人の命綱であり、同時に目印となる杖を嫌っている。
コップに水をこぼさず注ぐにはどうすればいいか。それには「勢いよく注ぐ」ことが重要で、すると水位が上がっていくにつれはっきり音が変化していくのがわかる。彼は「おどおどせずに思い切りよく行動する」ことを教えるし、「匂いを嗅ぐ」ことを教える。最も重要なのは「推理する」ことで、たとえば修道女がミルクを出す声を聞いてから「いま、ネコが庭を通ったのがわかったか?」と生徒たちに尋ねたりする。生徒たちは「ネコは音もしないし、匂いもしないから分からない」と抗議するんだけど、彼は「じゃあなぜいまイヌが吠えたんだ」と問い返す。「イヌの鼻を借りて、ネコの匂いを嗅ぐんだ!」とか言って、観客は生徒たちといっしょに世界を見る感覚を拡張をされていくことになる。
監督はポーランド出身のアンジェイ・ヤキモフスキ。舞台となるリスボンの街にはトラムが走っていて、石畳の路地が広がり、主人公が歩くとコツコツ、カリカリ、地面に応じた音がする。音に満ち溢れた本作の雰囲気には、男がひたすら女のあとを追い回す雑踏音映画『シルビアのいる街で』(ホセ・ルイス・ゲリン監督)を思い出した。
印象的だったのは庭に出ることを禁じられた主人公と生徒たちが、せめてドアを開けてくれとせがむシーン。修道士が少しドアを開けたとたん、暗い廊下に、車の音、風の音、鳥の声が流れ込んでくる。ここには、世界が音であるなら、世界は流体になるという感動があるのだ。ただ、その万能感はすぐに水を差され、映画は音だけで世界を捉えることの限界を示す。あれっと思うのだが、それは本作が「障害を乗り越え、健常者と同じになる」ことに主眼を置いた映画ではないからだ、ということがやがて明らかになってくる。
寄宿舎には子供たちのほか、周囲から心を閉ざした美しい盲目の女性(アレクサンドラ・マリア・ララ)が住んでいる。主人公は彼女の気をひくために鳥の集う窓辺を偽装し、一方の女は主人公から隠れようと、足音を消すためサンダルを脱いだりする。2人の間には盲目同士だからこそなりたつ騙し合いの応酬がって、盲人に見えていないものを、この映画は観客にも同じように隠したり、または見せたりしていることに気がつく。
環境音に敏感になり、十分訓練された観客が本作の最後に対峙するのは巨大な船で、映画は雰囲気だけでこの存在を演出していく。エンジン音、音の反響具合、圧迫感、そこにほんとうに巨大な船があるのか、ないのか。それが映画の当初から主人公につきまとっていた疑惑と結びつき、彼がどこまで信用できる人間なのかを「見ようとする」展開になっていくのがおもしろい。けど本作が渋いのは、「こうである世界」を見ようとする先に、「こうであってほしい世界」を見ようとしているからで、それこそは宗教や、物語や、そして映画を生んできた人類普遍の欲求にほかならない。船はあるのか、鳥はいたのか、彼は信用できるのか、画面に映っていてもそれを見るか見ないかは観客に委ねられる。この映画は見える見えないに関わらずすべての観客に、何が見たいのか選ぶように、問いかけているのである。
映画祭で音響賞をいくつも受賞し、始まる瞬間からどんどん「音」に対して敏感にさせられていく本作だが、その終わり方はとても視覚的だった。カメラは軽やかにトラムに飛び乗り、我々はストーリーから連れ去られてしまう。そういえば僕があのひとの家でヤカンの沸騰を待っていた日々も、振り返るとまるでトラムで連れ去られるように、目の前からあっという間に離れて行ってしまった。
文=ターHELL穴トミヤ
あなたとなら見える。リスボンの街で出会った盲目の男女は恋に落ちた。
『イマジン』
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