WEB SNIPER Cinema Review!!
第71回ヴェネツィア国際映画祭 審査員特別賞受賞作品
トルコ東部のアナトリア地方。11歳の少年アスラン(ドアン・イズジ)は、ひょんなことから傷だらけで瀕死の闘犬シーヴァスと出会う。同じ頃、学校では「白雪姫」を演じる学芸会の準備が進んでおり、彼の演じたかった王子様役は村長の息子オスマンに、白雪姫役は密かに思いを寄せていた美少女のアイシェに決まってしまうが――。トルコの新鋭監督カアン・ミュジデジの長編デビュー作。10月24日(土)、ユーロスペース他、全国順次ロードショー
子供ものと動物ものには無条件で厳しい評価をしなければならない。「子供が、動物が、かわいい?」みたいなぬるい風潮には断固NO! 本作は、トルコの少年が死にかけて捨てられた闘犬を拾い、友情を育んでいくという物語。「子供」も「動物」も入ってるじゃないか、ふざけるんじゃない!みたいな気分で観に行ったのだが、そんな予想を頑として拒絶するかのような、つねに寄りの画面+無茶苦茶な手ぶれが、映画の前半部分を支配する。それも「激しいアクションシーンで揺れちゃう」というわけでもなく、「カメラ1台だけで頑張って全部映そうとして動きまくったらブレました」みたいな。そしてピントも一箇所に合わせたあと変えないので、人物が移動するとボケていたりする。スタビライザーとか、ピント係とか、そもそももう一台のカメラとか、なんとかならなかったのかよ!と、映画館で乗り物酔いになりながら突っ込んでしまった。「ワンちゃんがかわいいねぇ」「うちの孫にそっくりじゃワィ」などと言いながら映画館にやってきた老夫婦は、早々にゲロを吐き劇場から退場させられることになる......、これもまた監督の決意の演出なのかもしれない。
主人公(ドアン・イズジ)は、牧草地の広がるトルコの片田舎で、年の離れた兄と、両親とともに暮らしている。ある日、学校で「白雪姫」を上演することになったのだが、担任は村長の息子を王子役に、クラスのかわいい女の子を白雪姫にと、勝手に配役を決めてしまった。その娘のことが好きな主人公は気に入らず、なんとか自分が王子役になれるよう画策する。そんなある日、村に闘犬の一座がやってきた。少年はそこで放棄されていった犬を手当てしてやり、飼い犬として一緒に暮らすようになる。やがてその犬は闘犬としての才能を発揮し、村長の犬と対決することになるのだが......と映画は続いていく。
ちなみに この映画の主人公は頑固で、いつも不機嫌そうな顔をしている。しかし意中の女の子にはけっこう積極的で、この年頃の少年にありがちな「好きなのにあえて、いじわるして泣かす」みたいなアホな行動には出ない。それどころか彼女をデートに誘い、原っぱの盛り土の上で寝っ転がって「きみの王子になりたいな」みたいなことを言っちゃってる。バッチリじゃねえかお前! しかも挙句、寝転がったままなんか一回転して、女の子のほうに近づいたりとかしてい。どこで覚えたんだよその技!不良だよ不良! 行動力のある彼は返す刀で、教師の家にも「配役を変えろ!」と直談判に行くのだが、そのときなぜか教師が家の中でポルノを観ているという謎の演出がアホでよかった。
やがて少年の犬が闘犬として才能をみせはじめると、周囲の大人たちは彼と犬をチヤホヤしだす。彼らを車に乗せ、各地の闘犬会場を連れ歩くのだが、この移動シーンがおもしろい。夜道のなかを、山を越え、村を越えて、途中で警察に検問されたりして車を走らせていくと、突如、暗闇の中から駐車した車が何台も出現してくる。やがて道端に人がたむろしだして、この感じはまさにRAVE! 好事家が一箇所に集まってなにかをしようというときの雰囲気は、なんでも似てくるのかもしれない。 肝心の闘犬シーンは、ガブッといくし、血も出てるしかなりエグい。監督は血糊と特殊メイクで撮影したというが、ぜったい実際やってる気がする、というのはトルコ映画への偏見だろうか......。
本作のトルコ人監督カアン・ミュジデジは、ベルリンはクロイツベルグ地区(テクノのクラブがたくさんあるところだ)にバーを持つヤリ手実業家でもあるらしい。その情報を聞いて本作もテクノかかりまくりなのかと思ったのだが、そんなことはなかった。しかしエンドロールですごい曲が流れる。聴こえてくるのは、ネシェット・エルタシュの、「悪いのは私だ」。まるで荒野のような弦楽器と、風にはためく粗布のような声。字幕を追わなくとも「人生の悲哀」がビシバシに伝わってくるトルコ民謡に、ただものではないのを感じた。 この映画、村長との対決も通過点に過ぎず、なにか不穏そうな未来をはらんだまま終わっていく。金にしか興味のない周囲の大人と、この頑固な少年は、かならず犬をめぐってもうひと衝突起こすだろう。とすると、その先の少年の悲哀をこのエンディングの曲が代弁しているのではないか。本作は物語が途中で終わり、あとは歌の中に消えていく、異色の作品なのだ。それともこの曲が代弁しているのは、カメラで酔ったら「悪いのは私だ」というメッセージなのか......。
文=ターHELL穴トミヤ
闘いに破れ瀕死の闘犬シーヴァス。その再生と壮絶な生き様が
少年アスランの幼い眼差しに深く刻まれていく......。
『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』
10月24日(土)、ユーロスペース他、全国順次ロードショー
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